くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道、日常のことなど雑多に書きます

『壁の遊び人』 久住章

壁の遊び人=左官・久住章の仕事

壁の遊び人=左官・久住章の仕事

 

カリスマ左官ということで気になって気になって仕方がなかった。図書館で借りて読んだ。まとまらないところもっと知りたくなるところがあるが、かなり面白い。

【メモ】

コリシャン・オーダーの柱:古代ギリシャの建築様式の一つ。上部にアカンサスの葉の飾りなどをあしらった繊細で華麗な柱が特徴。

ピエースモンテ:ケーキ屋の技術。小麦とコーンスターチと砂糖を混ぜてゴム粘土状のものにして飾りを作る。これを漆喰に応用。

漆喰の仕上げにセルロイドの下敷きでこすったらつやがよく出てハエも止まらない壁になった。(34頁)ただし、プラスチックが溶けて紫外線が当たると白くなるという失敗も。

一番上に塗る土は基本的には柔らかい。板の上に乗せて流れるか流れないか。仕上げはフェザータッチで。表面を撫でるかなでないか、さわっているかさわっていないか。著者の親父の時代はたらいに水を張って、その上を鏝で撫でる練習をしたそう。水が泡立たぬよう、できるだけ水が動かないように。(39頁)

中国では左官のことを泥水師や泥水匠といい、台湾では土水師という。

 

日本の職人技の半分は意匠性。機能性よりも重視。民芸品でも同じ。テクスチャー、デザインが大事ということ。鏝は明治初期に今の形になった。かしめ留めができるようになったから。(49頁)

原田進さん:弟子の一人。

久保田騎士夫(きしお)さん:高知県安芸郡安田町の土佐漆喰の職人。

 

砂漠の砂をかためるバインダーの特許をフランス陸軍が持っており、1平方メートルあたり1万円になる。モロッコの砂漠の砂を川久ホテルのオーナーのリクエストで使おうと思ったが臭くて使えなかった。(143頁)

 

高知城は下地が竹ではなくヒノキ。荒壁の段階から石灰を使っており、全部漆喰でできている。昔は漆喰のノリは米を使っていたので、旗本レベルの武家でもそう簡単に漆喰での施工ができなかった。メキシコではノリにウチワサボテンを入れる。

小林隆男さん:磨き大津研究会の代表。

 

土壁を練るにはかなり広い場所が必要。だから都会ではできない。

木材が構造材ではない住居を研究中。大工ではなく左官が第一人者となる建築を目指したいとのこと。木材を構造材に採用せず、左官で構造材ともなるようなものを研究中。(204頁)

 

【感想】

漆喰黒磨きを何度もやり直した話など、興味深かった。鏝のあつかい、材料の分量と試行錯誤、サンプルの話など、本職だからこそ経験できる話が多くて面白かった。

お茶を祖父がやっていたそうだが、久須美疎安の分家か何かかな。

珪藻土を川久ホテルに施工したのが現在の珪藻土の始まりだというのも面白かった。実際にいろいろ施工した建築物を見てみたいと思った。

 

【本作り】

103頁からの土佐漆喰の話の中に、かなり詳しい材料のレシピや技術の話があるので、コピーを取るか、購入する。後半になると話し口調がつよくなる。後半はどうしても力が足りなくなりがちなので、編集としてよくわかる。句読点が二つある箇所を発見。

『マルクス入門』 今村仁司 

 『マルクス入門』今村仁司 

 

今回は簡単なメモ。

 

マルクス入門 (ちくま新書)

マルクス入門 (ちくま新書)

 

 

マルクスは経済決定論的な読み方が主流だった。フランスの戦後は共産党の力が強く経済決定論の読み方が主流だったが、それに対して実存主義的な解釈をしたのがサルトルメルロ=ポンティ

 サルトル弁証法的理性批判で、メルロ=ポンティは政治から離れることでマルクスとの関係を結実させた。

 

『想像するちから』 松沢哲郎

松沢哲郎『想像するちからーーチンパンジーが教えてくれた人間の心』

岩波書店 2011年2月25日 

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

 

 人間とは何かがテーマになっている。著者が学生の頃に抱いた疑問だ。それをチンパンジーとの比較から探る。

面白かった発見は、『贈与論』に見られるような群れと群れとの社会関係をチンパンジーは持っていることや、言語能力などを自分の言葉で進化論的に考えていることである。

 

チンパンジーと人は、チンパンジーニホンザルよりも近い関係にある。

他の猿とはアイコンタクトできないが、チンパンジーとはアイコンタクトできる。事務員がつけるようなそでカバーをチンパンジーに渡すと、チンパンジーは腕を通して、また返したそうだ。チンパンジー以外では噛むかたたきつけるか、そういった行動しかとらないらしい。

チンパンジーはある程度の意味把握ができる。そして、チンパンジーはあくびも伝染するほど共感力が高い。新生児のようにチンパンジーの新生児も自然に笑う。

 

チンパンジーは若い雌は群れを出て行くそうである。これは他の部族と婚姻関係を結ぶことで労働の交換をし、血が濃くなることを避けるよう配慮していた人類と通じるものがある。

チンパンジーの寿命は50年。5年に一度子供を産み、雌が一人で育てる。子供は5年間ずっと乳を飲む。もちろん数ヶ月経つと固形物を食べるが、離乳しないのも子育てと群れのバランスに貢献している面があるらしい。

10歳ほどで子供を産めるようになるため、およそ8匹育てることができる。高い乳幼児死亡率を考えても、群れの拡大には十分な人数だと言える。

人間は、子供が成長するまでに時間がかかり、子育てのあいだ妊娠できないとなると、生涯に産める子供が5人ほどになる。そして、乳幼児死亡率を考えると、産める子供の数は2人強になる。これでは群れの維持が難しい。

そういった事情から人間とチンパンジーの差を考えると面白い。ヒトははやく離乳し、たくさん子供を産み、群れ全体で育てる。チンパンジーは離乳が遅く、妊娠できない状態で5年過ごし、一人で育てる。

こういった子育ての特徴もあってか、ヒトの子供は仰向けでおとなしくしているが、チンパンジーはそうではない。足をバタバタさせる。

進化論的観点から子供の違いを下記のようにまとめていた。

1哺乳類 母乳を与える

2霊長類 子が母親にしがみつく

3真猿類 母親が子を抱く

4ホミノイド 互いに見つめ合う

5人間 親子が離れ、子が仰向けで安定していられる

 

なるほどと感じざるを得なかった。

人間とチンパンジーの教育の差は、人間は教えるが、チンパンジーは教えないことにある。チンパンジーの子供はじっと大人を見ている。1年ほど見た後、同じ動作をする。

チンパンジーは言語能力を持つといわれているが、それに対して著者は留保的だ。言葉を本当にシンボルとして覚えているかどうかを判定する実験はなかなか難しいらしい。

色と文字が等価的に結びついているかどうかを調べるために、ストループ効果で研究しているが、まだ発展途上のようだ。

著者は様々な角度から人間とは何かという答えを与える。子供を共に育てる、あるいは群れ全体で育てなければ群れが維持できない。そこに人間の特徴がある。また、共感する能力をチンパンジーが持っていたとしても、人間のようには相手が望むことを想像できない。再帰的な想像能力が人間の特徴と言えるだろう。

エピローグとしてチンパンジーの保護活動と、アフリカの緑化について書かれる。「緑の回廊 チンパンジー」で検索すると出てくるらしい。

 

そのほか、チンパンジーは人がかかる病気のほとんどに罹患することが興味深かった。また、心理学の実験で、目はなぜ一つではなく二つか、なぜ縦ではなく横についているのか、というような問いが一見哲学的に見えたとしても、全部経験論的、進化論的に説明できるという著者の話が面白かった。

 

全体的に非常に面白かった。後半になると読みづらい部分も出てくるが、それもまた本作りの想定内だろう。軽い砕けた言葉が使われる箇所があるのも、そういう本作りの狙いだろう。 

『植物は考える』 大場秀章

12月 『植物は考える』 大場秀章  KAWADE夢新書

奥付 1997年9月1日

『皮膚は考える』みたいな本を期待して読んだ。また、植物のことに興味があった。

2時間を何回かに分けて話したものを土台にして本書ができているようだから、少しぎこちないところもあったが、面白く読むことができた。

面白かった話は次のようなもの。

植物が二つ並んで同時に成長していく際、葉が相手にかぶろうとするタイミングで、横に広がるのではなく、より上に伸びるようになる。

葉の影が相互に影響しているのかと一般的には思われるだろうし、自分もそう思ったが、実はそうではなく、葉の影が相手に届く前に、植物は相手からそれるように、そして上に伸びるように成長を始める。

どうやら、緑色の物体を感知し、判断しているらしい。緑色のブロックをとなりにおいても同様の現象が起きることがわかっている。

植物は、細胞一つひとつが目鼻口といった感覚器官の役割をしているのだという。外界を知覚して、コミュニケーションを取ろうとする。その一つが、フィドンチットと物質効果だ。ブルーマウンテンと呼ばれるコーヒーがあるが、これは実際にモヤがかかって青く見える山からきているらしい。このブルーマウンテンは、植物がフィドンチットを出すことによる。新緑がではじめたころ、虫に対抗するために、アルコールが入った物質を放出するのだ。これが人間にはとても心地よいらしい。

そのほかにも、アレロパシーと呼ばれる現象も面白かった。植物も人間と同様、活動すると排泄を行うとでも考えると良いだろう。同じ土地に居続けると、汚染物質が溜まって植物は成長できなくなる。他の植物が生えず、やがて自分も枯れてしまう植物もあるという。生命は不思議だ。日本では雨が多く降るので、比較的この現象は弱いらしい。

ほかにも、アラビアの山に鬱蒼とした森があるという。砂漠にもかかわらず、空気中の水分が結露する場所で、この結露のみで大きな森になっているという。

熱帯のランの話も良かった。このランは、ハチの雌にそっくりな花を咲かせる。雄はそれを実際の雌と錯覚し、花に寄り付いて花粉を運ぶというわけだ。しかもこのランは、たった1種類のアシナガバチしか相手にしないことである。何かの理由でアシナガバチが絶滅したら、このランも絶滅するかもしれない。リスクは大きい。しかし、まるでその擬態はハチを利用するためではなく、花に止まるハチに恋い焦がれた結果のようにさえ思える。虫と植物は確かに関係して進化してきたが、それは結果としてそう見えるだけで、やはり別々に進化している。それが、偶然にお互いを必要とするかのように進化したように見えて面白い。

『パソコン通信探偵団 パスワードのおくりもの』 松原秀行

今回も面白かった。シリーズの始まりの前作から登場したまどかが、レギュラーメンバーとして参加。個性もはっきしてくれるし、まどかならではの事件も見所があってなかなか良かった。

 

前回同様、日常の不思議や、パズルなどを章ごとにテーマを変えて飽きさせないように進むが、最後の事件でうまく伏線が繋がったりするので、ボリュームの多い一続きの読み応えは十分にあった。

大人が読むと当然トリックや答えがすぐわかるものも少なくない。しかし、子どもが読むと、わかった喜びを得られて楽しい読書体験になるのかな、と思った。また、なるほどと思わせるバランスも良かった。

 

日常の不思議をチャットで報告して推理するというのが、毎回屋外での主人公の動きと事件を作らなくて良いので、うまく設定を考えたな、と思う。

 

今回の事件も、なかなかの重い事件が最後にあるが、さらっと解決するあたりが、著者の技量なんだろうと思った。

 

 

 

『パソコン通信探偵団事件ノート パスワードは、ひ・み・つ』 松原秀行

推理ものの児童書をあれこれ読んでいる。

児童書に限らず、流行や歴史などをそれなりに整理してみたいと思っているので、いつかそれができればなと少しずつメモすることにした。

 

1995年に出版されたこの本。パソコン通信という言葉がすでに懐かしい。ダイヤルアップでパソコンを接続し、チャットをする話。電子機器を使って特別なことをやっているワクワク感は、当時の子どもだけでなく大人もとても楽しかったのではないだろうか。それだ非常によくかけていて、読んでいてとても楽しい。ワクワクする。時代遅れだとして読まないのはもったいない。

 

作者が推理ものが好きなのだとよくわかる。また、不思議な安定感というか、明るさがあって、健康的な読み応えがとてもいい。登場人物は才能を持っているし、女の子は美少女だし、主人公はモテる上に女の子に好かれることを自然と気にしているし、しかもそれぞれちゃんと抑制された描写で、ドライなのがいい。

 

最初から最後まである事件を描いているわけではなく、謎解きやパズルなど、頭脳ゲームの章と、探偵団が日常で出会った不思議なことを分析する章と、事件の章がうまく組み合わされていて、飽きない読み応えになっている。

 

パスワードは、ひ・み・つ―パソコン通信探偵団事件ノート〈1〉 (講談社 青い鳥文庫)

パスワードは、ひ・み・つ―パソコン通信探偵団事件ノート〈1〉 (講談社 青い鳥文庫)

 

 

 

『ピカピカのぎろちょん』 佐野美津男

ネタバレがあるので、ご注意を。

名作が多く、波乱万丈な人生ゆえか、洞察も深い作品を書く佐野美津男

手に入るものはできるだけ読んだが、どの作品も面白かった。
とにかく、えげつないものもきちんと書く胆力と筆力のある作家。

今の児童書界隈では少ないタイプの作品かもしれない。

 

で、『ピカピカのぎろちょん』である。

おそらく、当時この本が作られた時は、小学校5、6年生向けを想定したんだろうなと思うが、当時も今も大人が読んでも遜色のない深みと面白さがある、と思う。

 

心に残ったのが、ギロチンで処刑する大人を真似して、「アタイ」(主人公)が、空き缶などで「ぎろちょん」を作り、子どもたちで、野菜を嫌いな人間に見立てて斬首していくところ。

ピロピロが起きて世の中が変わる、という展開など、当時の革命思想や世相を反映しているなと思うが、どれだけ社会のリアリティを背負っているかは、問題ではない。

世の中が変わったから、フランス革命のような斬首による交代劇が生じ、それに伴って「大人が隠したいきな臭いこと」が生じたように思えるが、本書で印象に残ったのはそれではない。

戦争を経験し、地獄の戦後孤児を生き抜いた佐野氏にとって、「世の中が変わる」ことは、本当にあった当然の日常の一部であって、敏感に想像の神経を張り巡らし、創造力を発揮するテーマではない。

 

ここで描かれていることは、大人はいつも世界を隠蔽したがり、子どもは不気味なまでの力で、それを知ろうとしている、ということである。

 

最後、アタイは、壁に囲まれた大人の世界を、なんとしてでも知ろうと思った、と書かれている。

 

審判を下すのは、常に子どもなのだ。