くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道、日常のことなど雑多に書きます

編集者の心構え 開高健の「編集者マグナ・カルタ 9章」によせて

こんばんは。Fです。

 

尊敬し、恐れ多くも少しでも近づきたいと思っている編集者がいます。

Kさんとしましょう。

彼が、心に留めている言葉として、「森羅万象に多情多恨たれ」という開高健の「編集者マグナ・カルタ」に出てくる文章を挙げていました。「知ってる!」と思って、嬉しくなったものです。

 

このマグナカルタは、9の文章からできています。

1は、「読め」。

おそらくよく知られている5は「トラブルを歓迎しろ」。

そして最後の9が、「森羅万象に多情多恨たれ」なのです。

 

どの項目も、アンテナを全開にして、情熱を持って突き進め、という文言に要約されると思うのですが、動物好きのKさんを通すと、「森羅万象に多情多恨たれ」という言葉は、それ以上の力があるように思い、強く印象に残りました。

 

なぜこの言葉がマグナカルタの最後に出てくるのでしょう。

私には、確かなことは何も言えません。

 

しかし、配置からも、これはひとえに、「言いたいことを締めくくる力」を持っているからではないでしょうか。そして、「締めくくる力」を持つのは、最後のその先をちゃんと描くことができるからだと思うのです。

「いろいろ情報を集めなさい」という教えを超えた意味を、開高健はきっとこの言葉に託すことができたのではないでしょうか。

 

私は、正直、この9番目の言葉にいまいちピンときていませんでした。

いろんなものに同情し、共感し、たくさんのことを知って、正しく必要だと思う情報をまとめて発信するのが、編集者の役割なんだろうな、そのくらいのことしか考えてなかったのです。

 

先日、夕暮れ時の庭先に、白くてほんの小さな見えないくらいのつぶの虫を見かけました。

都会で生活している分には、普段は全く目に入らないであろう虫です。それくらい小さくて、タバコの燃えきらない灰のようでした。

 

こんな小さな虫でも、細胞が体を構成し、羽ばたき、パートナーを探して、そして新たな命を紡ぐんだろうなと、なぜだか感じさせられました。それがとてもありがたいことに思えました。彼らのような命が懸命に次世代を作ってくれるからこそ、めぐり巡って、私たちも生きていくことができるのは間違いありません。

 

それから、なんとなく気になって調べました。コナジラミでした。

 

害虫であるコナジラミを知った上で探そうとしても、きっと私は気づかなかったと思います。

そう思うと、彼らに気づくことができたのは、「森羅万象に多情多恨たれ」というKさんの言葉が心に残っていたからではと、ハッとしました。


押してからでないとわからない、トラップのようなスイッチなのです。
 

飛躍するとは思いますが、開高健の最後の文は、何か役に立つことなどではなく、森羅万象に生きることを気づかせるスイッチに過ぎないし、そのスイッチこそ、最も大切な物のひとつ、と考え、それについて言及したのではないかな、と思ったわけです。

闇雲に、気になる動物の保護で共感を満たすわけでもないのだな、と。

 

もちろん、いろいろな読み方があった方が楽しいので、これも単なる一つの意見に過ぎないと思っています。

 

ただ、このスイッチを与えたいと開高健が思ったのなら、それはささやかでも成功したのではないかと思うのです。

 

Kさんが、目に涙をたたえながら生き物の話をするときなんか、特に。

そして、夕暮れに消えていった、美しくもあまりにも小さな、白い命の影に。