くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道、日常のことなど雑多に書きます

『パソコン通信探偵団事件ノート パスワードは、ひ・み・つ』 松原秀行

推理ものの児童書をあれこれ読んでいる。

児童書に限らず、流行や歴史などをそれなりに整理してみたいと思っているので、いつかそれができればなと少しずつメモすることにした。

 

1995年に出版されたこの本。パソコン通信という言葉がすでに懐かしい。ダイヤルアップでパソコンを接続し、チャットをする話。電子機器を使って特別なことをやっているワクワク感は、当時の子どもだけでなく大人もとても楽しかったのではないだろうか。それだ非常によくかけていて、読んでいてとても楽しい。ワクワクする。時代遅れだとして読まないのはもったいない。

 

作者が推理ものが好きなのだとよくわかる。また、不思議な安定感というか、明るさがあって、健康的な読み応えがとてもいい。登場人物は才能を持っているし、女の子は美少女だし、主人公はモテる上に女の子に好かれることを自然と気にしているし、しかもそれぞれちゃんと抑制された描写で、ドライなのがいい。

 

最初から最後まである事件を描いているわけではなく、謎解きやパズルなど、頭脳ゲームの章と、探偵団が日常で出会った不思議なことを分析する章と、事件の章がうまく組み合わされていて、飽きない読み応えになっている。

 

パスワードは、ひ・み・つ―パソコン通信探偵団事件ノート〈1〉 (講談社 青い鳥文庫)

パスワードは、ひ・み・つ―パソコン通信探偵団事件ノート〈1〉 (講談社 青い鳥文庫)

 

 

 

『ピカピカのぎろちょん』 佐野美津男

ネタバレがあるので、ご注意を。

名作が多く、波乱万丈な人生ゆえか、洞察も深い作品を書く佐野美津男

手に入るものはできるだけ読んだが、どの作品も面白かった。
とにかく、えげつないものもきちんと書く胆力と筆力のある作家。

今の児童書界隈では少ないタイプの作品かもしれない。

 

で、『ピカピカのぎろちょん』である。

おそらく、当時この本が作られた時は、小学校5、6年生向けを想定したんだろうなと思うが、当時も今も大人が読んでも遜色のない深みと面白さがある、と思う。

 

心に残ったのが、ギロチンで処刑する大人を真似して、「アタイ」(主人公)が、空き缶などで「ぎろちょん」を作り、子どもたちで、野菜を嫌いな人間に見立てて斬首していくところ。

ピロピロが起きて世の中が変わる、という展開など、当時の革命思想や世相を反映しているなと思うが、どれだけ社会のリアリティを背負っているかは、問題ではない。

世の中が変わったから、フランス革命のような斬首による交代劇が生じ、それに伴って「大人が隠したいきな臭いこと」が生じたように思えるが、本書で印象に残ったのはそれではない。

戦争を経験し、地獄の戦後孤児を生き抜いた佐野氏にとって、「世の中が変わる」ことは、本当にあった当然の日常の一部であって、敏感に想像の神経を張り巡らし、創造力を発揮するテーマではない。

 

ここで描かれていることは、大人はいつも世界を隠蔽したがり、子どもは不気味なまでの力で、それを知ろうとしている、ということである。

 

最後、アタイは、壁に囲まれた大人の世界を、なんとしてでも知ろうと思った、と書かれている。

 

審判を下すのは、常に子どもなのだ。

『フェイダーリンクの鯨』 野尻抱介

ネタバレも含みますので気をつけてください。

 

 

野尻抱介さんの『フェイダーリンクの鯨』を読みました。

 

すっごく面白かったんです。木星型惑星のリングが雪玉でできていて、その雪玉を投げて移動したり、ひし形のような虹が見えたり、とにかく目の前に見えるような文章で、美しい。

 

読書ができる体験ってなんだろうと思うことは少なくないのですが、「圧倒的な美的体験」も読書が提供できる経験ではないでしょうか。

 

野尻さんとサイゼリヤに行った時に、「小説は脳の力をフル活用しているから、逆にリアルな体験なんです」とお話されていました。

読書をすることで、過去の体験が総動員され、新しい経験に再構築されるのでしょう。だからこそ、うまく読書体験がハマれば、その人にとってかけがえのないリアリティを持つんだろうな、と思いました。

そんなわけで、読書にしか提供できない経験は、はるか宇宙やはるか未来のことについて、(過去でもいいんだけど)、リアルな体験をさせてくれることなんだろうな、と思いました。

野尻さんの小説は、社会に対する鋭い洞察があって、本当に好きです。

『フェイダーリンクの鯨』は、最後、生物が生きていく知恵も、人間が木星型惑星に火を付ける知恵も、等しく価値があるからこそ、彼ら生物の姿に圧倒されるのだ、ということが書かれます。

本当に珠玉の文章です。

多くの人に野尻抱介の文章を読んでいただきたいです。

空条承太郎が時を止めることについて

久しぶりの更新が、「JOJOの奇妙な冒険」という漫画のキャラクターについてです。

 

今回取り上げたいのは、第3部の主人公であり、人気キャラの空条承太郎

 

彼の人気は、「スタンド」と呼ばれる特殊能力の圧倒的な強さによります。(それと、承太郎のクールで無敵なキャラ。)

彼の能力は「時間を止める」ことです。第4部などではほぼ無敵の強さを誇るため、とにもかくにもカッコイイ。

 

この記事を読む方には説明不要かもしれませんが、議論の前提として押さえておきますと、劇中ではスタンドというのは「精神性のあらわれ」であり、「精神エネルギーそのものが力あるビジョンとなったもの」となっています。スタンドが壊れれば、持ち主である本体も死にます。

 

例えば、第3部のラスボスDIOは、「ザ・ワールド」というスタンドを持っており、このスタンドは「時間を数秒間だけ止める」ことができます。

DIOはどのような精神の持ち主かというと、「方法や過程などどうでもよい」というセリフと吸血鬼になってしまったことに端的に表れているように、「人間らしく生きることをやめた支配者」です。

 

そんなDIOが時間を止めることができるのも納得です。

というのは、「時間を止める=存在を支配する」ことであり、「手段を問わない=プロセス(生きている過程)を問わない」ことが時間支配の能力で、究極に体現されるからです。

 

注目したいのが、「プロセスを問わない=結果だけを求める」のは、JOJOの奇妙な冒険では、絶対悪のひとつとして描かれていることです。第5部のボスはディアボロという名前のマフィアのドンですが、その彼の能力も、「プロセスを吹き飛ばすことができる時間能力」です。そして第5部の劇中でも、「吐き気のする邪悪」として描かれています。

 

「友情・努力・勝利」を掲げる少年漫画的にもその方が望ましい事情もあるのでしょうが、私は、作者の荒木氏が現代社会に対する思想表明として、「結果だけを求める=悪」を意識的に描いているように思います。

 

つまり、JOJO全編を通じて解釈していくと、「プロセスを問わない=時間を止める=悪」のはずなんです。そして、「邪悪の化身」であるDIOがこの能力を持ったのも当然納得できます。

 

納得できないのが、ではなぜDIOを打ち倒す存在である空条承太郎が、時間を止めることができたのか。彼の精神性は、「支配者」なのか。どういう精神だからこそ、DIOの「支配の精神」を超えることができたのか。

 

それが謎でした。今回そのことについて解釈を出したいと思います。

 

承太郎は、「俺を怒らせた」から、DIOは敗北したのだと言います。

では、「承太郎の怒り」とは、どのようなアレゴリーなのでしょうか。

 

承太郎の「承」という文字は、「引き継ぐ」という意味を持っています。名前からは容易に、「繋がり世代が続いていく」命のありさまをキャラ設定に盛り込みたかったのだろうと連想させます。

永遠の命をもつDIOと、死と誕生という「命の運命」を背負った承太郎はそこでも対極的です。

つまり、「命の本質、命そのもの」と、それを利用しようとする「邪悪」が対比されているわけですが、しかし、「命そのものの怒り」と言われても、よくわかりません。実はこのテーマは第5部で究極のレベルまで掘り下げられるのですが、今回はそこには触れません。

 

命そのもの怒りとは、例えば、会社組織を考えていただければよいでしょう。結果だけを問われ、汚いことをやり続けていれば、当然意欲もなくなるし、社会的にも存在価値がないでしょう。やがて良心の咎めや社会的な怒りが、やがてその会社の思想「結果=業績だけを追求する」ことを糾弾し変えてしまうはずです。

 

作者が描きたい対立構造と、そこに盛り込みたかったテーマも、そこまで難しくはありません。

 

問題は、「命を肯定する側の人間が、なぜ時間を止める能力を持つのか」ということなんです。

 

劇中には残念ながらこの答えはありません。「スタープラチナのパンチは光速を超えるから」という説明がありますが、現象説明であって、主人公にその能力を持たせた作者の思想を説明するものではありません。

 

私はこの作品の大きな矛盾に思い、悩んでいたのですが、やっと一つの解釈を得ることができました。

承太郎が時を止めることについては、おそらく、ゲーテの戯曲『ファウスト』が下敷きになっています。

 

承太郎の立場は、命の肯定であり、JOJOのテーマである「人間賛歌」です。

ファウスト』の最後は、ご存知の通り、人間が助け合いお互いの未来を作る姿(まあ、土木工事なんですけど)をファウスト博士が見て、「時間よ止まれ、あまりにお前は美しい」と呟き、メフィストフェレスが魂を奪おうとしたところに、天使がバラの花びらを降り注いで、ファウストの魂を天上へと導く、というものです。

 

つまり、人間賛歌の瞬間、命の全肯定の瞬間は、「時間よ止まれ」ということなのであり、JOJOもこの思想を引き継いでいるのです。多分。そう考えるとまだ納得ができます。

 

そんなわけで、承太郎が時を止めることができるのは、彼が支配者の属性を持っているからではなく、「時間よ止まれ」といってしまうほどに、「命はあまりにも美しい」という、彼が持つ生命賛歌の力なのでしょう。承太郎氏がヒトデの研究で博士論文を書いたのも、命への深い愛情があってこそのことなのでしょう。

 

以上です。

石州流 備忘録 濃茶 平点前

こんばんは。吹雪です。久しぶりに茶道の備忘録を書きます。

前回から濃茶の割稽古が始まりました。ちゃんとメモらないと、難しいので大変!

 

今回は、炉の点前です。

まず、茶入れの扱いですが、あまり持ち歩かないために、水差しの前にあらかじめ置いておきます。本来は棚を使うものなのかもしれません。

 

茶碗を持って入室。壁付きに茶碗を仮置きし、右手で、茶入れを置き合わせの位置に置きます。茶碗を左手、右手で、置き合わせの位置へ。退室し、建水を持って入室。襖を閉めます。壁付きに建水を置いて、定位置に柄杓と蓋置きをセットして、一服差し上げますとご挨拶。

 

茶碗を仮置きして、茶入れを清める。

右手で膝前に茶入れを置く。縛ってある紐を両手で、少し中央に寄せるようにして、解きやすくする。真ん中を右手でつまみ、人差し指に引っ掛けて引っ張り、右手を返すようにして、ねじれを解く。

 両手を添えて、二回反時計まわりに回して、左手中指を茶入れに当てながら、左手ですっと仕覆の尾を引っ張り、ちょうど良いところまで引いて、紐を緩める。上側を、左、右の順で、左手、右手で紐を緩め、下側も同様にする。

両手を添えて、二回時計まわりに回して、右手でとり、左手で受け、仕覆をとる。

仕覆をとる時は、右手で、左、右と、手刀のようにして、仕覆を脱がせるようにし、右手で持って、左手はそのまま、ぽとりと仕覆を落とす。右手で袱紗を三つ折りにする(膝の上で)。

茶入れを清める。

蓋を二の字を書いて清め、三つ折りのまま、胴を清める。ふっくらと持って、上、中、下と三回ずつ、1周するまで清める。茶入れは、反時計まわりに左手で回転させる。文淋の茶入れだったので、指先で横から持つようにした。

清め終わったら、袱紗を茶入れにつけたまま、すっと撫で下ろし、袱紗を腰につける。

右手で茶入れをみだれの位置におき、左手は仕覆をとる。左手のひらを返して仕覆を上に向けた時、尾が左側に来るようにする(建水の上方に置いた時に、壁付きに尾がくるようにする)。

次に袱紗を三つ折りにして左手に持ち、茶碗を仮置きの位置から膝前に起き、茶杓を清め、茶入れに置く。このとき茶杓は反対向き(うつぶせ)にして茶入れにもたせかけること。

袱紗を右手に持ち替え、水差しを清める(ともぶたの場合は清めなくて良さそう)。左手を自然な感じでついて清める。茶巾を乗せるところのみ、壁付き側に、二の字を書いて清める。

 袱紗を左手に持ち、茶巾を水差しの上に置く。

柄杓を左手に持って、柄杓を左手に持つ。右手で袱紗を持ち、二つ折りにして、釜の蓋を清め、蓋置きの上におく。

お湯をくみ、茶碗を温めて、お湯を建水に捨てる。手を軽く揉むようにして湿り気をとる。もう一度お湯をくみ、柄杓を左手に持ち替えて、蓋を閉める(中蓋を閉めるという)。柄杓を蓋置きにおく。

茶筅通しをする。茶筅を戻し、お湯を捨て、茶巾で清めて、茶巾をたたみ直す。

茶入れから茶碗にお茶を入れる。茶杓で3ばい。そのあとはまわし入れる。この時、茶杓は、茶碗の中に入れて置く。

茶入れの回し方は、指先でくるくると回す。横から茶入れを持つ左手の形に、上から右手を添えるイメージ。親指が右手を上にして交差し、ハートを作るような感じで。

袱紗で茶入れを清める。右手で膝の上で三つ折りにして清める。いの字を書くようにして、茶入れの口だけを清め、袱紗を腰につけて、茶入れの蓋を閉めて元の位置に戻す。

茶碗に左手を添え、右手で茶杓をもち、お茶を軽くならして、回先を打つ。

茶碗に茶杓を乗せて、袱紗で清め、茶入れに乗せる。

袱紗を建水の上で払い、袱紗を左手に持ったまま、左手に柄杓をもち、右手で袱紗を取り出して、二つ折りにし、蓋を清めて蓋置きに置く。

お湯を入れ、横向きの8の字を書くようにして、しっかりと練る。8の字を書く動きのまま、左側に茶筅を寝かせるようにして置き、柄杓をとって、茶筅にお湯をかけながら、茶筅を手前側に回す。茶筅についたお茶を落とすようにしつつ、お湯をかけやすいように、茶筅を心持ち高く持つこと。

しっかりとお茶を練って、出来具合を確認し、お出しする。

水を2杯いれる。水差しの上に乗っている茶巾は、釜の蓋に置く。

 

しまいの点前はこれから習う。

 

仕覆の紐の結び方。

左手は、手のひらを上に向けて、茶入れに添える。右手で、左、右、左の順に、口を閉める。

そこから、下記画像の順に紐を結ぶ。

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また、休めるときの紐の結び方にも気をつけること。

途中までは、同じ。

上の3番目のところから、

下の紐を上の紐の輪っかの中に、下から通して、尾にかける。

それで、形を整えれば出来上がり。

完成は下記の図。

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【読書感想】 レイさんといた夏 安田夏菜 

皆さんは、自分はいったい何者なのか、考えたことがありますか。

 

僕は、正直、あまりないのです。

やりたいことはいつもたくさんあるし、何事も器用にできたし、情熱をかけて読みたい本や、時間を忘れて没頭したいことは常にありました。

 

「自分探し」と聞くと、探すものじゃないでしょ、作るものでしょ、と思ってしまいます。

 

本書は、しかし、そういう僕でも、「自分とはなんぞや」という問いの答えについて、ははあ、なるほど、と思わせてくれるに十分な作品でした。

 

レイさんといた夏 (文学の扉)

レイさんといた夏 (文学の扉)

 

 

 

 

以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

簡単にあらすじを紹介すると、主人公は人付き合いが嫌になった女の子。その子の部屋に、自分が誰なのかわからず、死に方もわからないで成仏できなかった幽霊が出てきます。女の子は幽霊が自分を取り戻す手助けをします。幽霊が少しずつ思い出すエピソードを聞きながら、女の子は幽霊が出あったであろう過去の人たちの似顔を描きます。

その人たちのスケッチに囲まれて、幽霊は、「わたしは、この人たちだ。この人たちとのつながりや出会いが、わたしを作っているのだ」と気づき、天に召されるのでした。

 

この、「自分は他人からもらったもの」、というオチは、とても良いものだったと思います。ちなみに、そのオチはとってつけたようなものでは全くなく、謎解きがしっかりなされていて、本は読み応え十分でした。

 

※追記する予定です

 

 

 

 

 

【読書感想】 一〇五度 佐藤まどか  

2018年初夏追記

最近、読書感想文を考えるために、このエントリーを読んでくださる方が少なくないようです。この過疎ブログをご覧になるくらいですから、感想を書けなくて困っている方ではないでしょうか。

コツというか、伝えたいことがあります。

 

『一〇五度』は、子供たちにどのように生きてほしいか、著者の願いがたくさん込められています。だから、感想を簡単に言葉にできない人こそ、必ず、心の中に何かをたくさん感じ取っているはずです。

せっかく素晴らしい読書体験をプレゼントしてもらったのだから、やっぱり、自分の言葉で、自分の心と頭で、考えて書いてみましょう。

 

書くことがまとまらなければ、そのまま、「書きたいことがまとまらない」、と書きましょう。それで、なぜまとまらないのか、どの部分が気になっているのか、自分の心を描写してみましょう。思うがままに書きましょう。文章の稚拙さなど考えずに、あなたの心の状態を、そのまま書けば良いと思います。

 

本の感想がなく、今夜のご飯のことばかり考えているのだとしたら、それをそのまま書いて、なぜ本の感想を考えないのか、まとめてみましょう。

自分の心の声に耳を傾ける時間は、とても大切です。

優れた感想文を大人は欲しがっている訳ではありません。どれだけ自分を見つめられるか、それを期待しているのだと思います。

 

 こんばんは。吹雪です。

あすなろ書房さんから出版されている佐藤まどかさんの『一〇五度』を読みました。

 

一〇五度

一〇五度

 

 

この本、とっても青春していて面白かったです。

ごく簡単にネタバレしない程度にあらすじを紹介すると、椅子に特別な愛着を持つ主人公が、学生デザインコンペにモックアップを作って応募する、というストーリーです。随所に気の利いたアイデアがちりばめられており、リアリズムもあり、また精密な登場人物の心理描写もありで、大変素晴らしいヤングアダルト文学でした。

友達と目標を共有して濃密な時間を過ごすことができるのは、アガる設定です。そういう青春って、楽しそうですよね。しかも、部活の大会とかではなく、自分の興味から発した目標なのだから、なお自由で大人っぽくて、やりがいも感じられて、羨ましいなと思いました。そういえば、僕は高校生の時に中原中也賞が欲しくて、詩の出版をどこかでしてくれないかとあちこち応募していましたっけ。

 

僕のことはさておき、「耳をすませば」的な背伸びした学生っていいですね。このように大人の世界に切り込んでいく若者の成長ストーリーをもっと読みたいなと思いました。

 

読後感として不満はないのですが、こんな展開もアリでは、という気持ちも湧きましたので、いくつか備忘録がてら感想を書きます。

 

父親が、今や絶滅危惧種と思われるほどに「地震雷火事親父」のド迫力。主人公を殴って2メートル吹き飛ばし、主人公は恐怖から逆らえなくなるエピソードが出てきます。

 

この父親、読んでいて腹が立ってくるほど、頑固で、たくましくて、越えられない壁で、圧倒的に物分かりが悪くて(子供目線)、自分の考えを押し付けてくる。

こんな親って、今、いますかね……? 古い親父イメージと思う反面、ぶっちゃけ、ああ、こういう父親はやっぱりいい親だし立派だわ、と思うのですよ。

とはいえ、父親は実は完璧ではなく、主人公の弟への対応は疑問しかない対応なので(弟を病弱だからと努力させない)、賢い親が厳しいふりをしているだけとは思えないのですが……(著者は父親との間に何かあったのでしょうか)。

この父親との対立が物語の推進力になっていますが、実際には、父親ではなく、周囲の友人との対立が原動力になっている人が少なからずいるとも思いますので、そういった周囲との関係性の果てに、成功するストーリーも読んでみたい気がします。

椅子を偏愛するマイノリティの立場を堂々と受け入れる主人公たちの姿が冒頭で描かれますが、せっかくの魅力的な同級生とのエピソードをもう少し読みたかった気もします。しかし、そうなると個性の書き分けも大変ですし、エピソードを回収するには字数が多くなりますから大変ですね。

 

 

また、主人公の能力が高すぎるので、椅子のアイデアについても、「ああ、頑張って考えたんだな」くらいしか印象が持てなかったので、創造する苦しみが伝わるとより共感できるかなと思いました。閃くまでのプロセスがほしかったなというか。しかし、それをやってしまうと、暗くなってバランスが悪くなるので、まあ、必要ないかもしれません。

 

もう一つ。好きなことを仕事にするのは大変だと本書では書いています。その通りだと思いますし、子どもたちには、将来を慎重に決めさせるために、そう言いたくなる親の気持ちもわかります。

これは本書への批判では全くないのですが、就職活動で書かされ言わされる「志望動機」は、どれだけ仕事に関することが「好きで本気」なのかが重視されたりしますよね。じゃあ、結局好きなことをどうやって仕事にするか考え続けていた方が実際に生きていくには良いのでは……と思いました。それに、プロクオリティで仕事できる人って、やっぱりその仕事が好きだと言える人かなと。いい学校行ってエリートサラリーマンや官僚になることに、リアリティを感じる子どもたちはいるのかな。かなりリアリティがなくなっていると思うのです。

 

また、これからの子どもたちが働く上で、重視することは一体なんでしょうか。想像しづらいのですが、苦労に折り合いをつけられるかどうか、そういったことではないでしょうか。だとすると、好きなことを仕事にした方が良いのではないのかなと。

 

さらにもう一つ。では、好きなこと、夢中になることを選択していくことを子どもたちに勧めたいかというと、それも少し疑問です。

僕に子どもが生まれて気づいたのは、性格や能力って結構遺伝するな、ということでした。先祖がどういう生き方をしたかったのか、どういう環境に適応してきたのか、どういう衝動を持って生命を分化させてきたのか、そういうことを考えると、自ずと自分に向いている職業や働き方はあると思います。

本書では、主人公の祖父が椅子職人なので、そういう「血」について触れられていますが、そのあたりをすっ飛ばしている小説も多いですよね。僕はむしろ先祖がどういうことをしてきたか、主人公がそこから発想する小説が読みたいですね。

 

でも子どもたちには、本書のような体験をしてほしいです。この本の中で書かれていることは、人に任せられる強さであり、人と協力しなければ生きていけない、「素晴らしい弱さ」なのです。この「素晴らしい弱さ」に気づくことは、やはり人と105度で背中合わせで支え合わないとわからないと思います。

 

最後に、夢を持った多くの人が感じるであろう気持ちを歌った、REOLの「No title」を。


[MV] REOL - No title