くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道、日常のことなど雑多に書きます

「鬼のパンツ」について

娘が9ヶ月になり、日に日に自由への衝動が彼女の中で大きくなっているのを感じている。

例えばオムツ。

オムツを一度脱がしたら最後、二度とつけさせまいと暴れること暴れること。身をよじって泣いて、とことん抵抗する。仰向けに寝かせようとするのだが、ブリッジをして脱出を図る様は、レスリングの大会に出場させたいほど。娘のたくましい姿に、父は嬉しい。

 

そんなピンチにあると助かるのが、娘があっけにとられるほどの「気を引く」アイテム。

今は、スイッチを押すと童謡が流れる絵本がそれだ。娘の動きがぴたりと止まる。

 

その童謡の中に、「鬼のパンツ」があった。それはこんな歌詞。

 

 

鬼のパンツはいいパンツ

虎の毛皮でできている

10年たっても破れない 強いぞ

履こう 履こう 鬼のパンツ

履こう 履こう 鬼のパンツ

みんなで履こう鬼のパンツ

(正しい歌詞は最後に載せる)

 

 

やたら鬼のパンツを推してくるな、と思った。

なかなかの営業力である。

なんたって、鬼のパンツをみんなで履いた後のことは考えていない。

虎が何匹必要か、絶滅しそうになっていることも考えていない。

パンツを脱がされる鬼のことも考えていない。

 

パンツさえ売れれば良い。

この絶対かつ唯一の目的。

 

もう一度繰り返そう。

パンツさえ売れれば良い。

 

この極めてシンプルな目的を追求する人間がいる。

その思いを歌詞にした人間がいる。

 

ゾッと背筋が寒くなった。

そんな狂った人間がいるものかーーいないと信じたいーー。

そこでふと、気がついた。これはパンツの歌ではないのではないか。

 

虎といえばインド。

鬼といえば西洋人。(昔の日本人が長身の西洋人を鬼と捉えたという俗説だけど)

その西洋人のパンツを奪う歌。

 

つまり、アジアを侵略した西洋人からアジアを解放して、

自由をわれわれの手に取り戻そう!

そういう歌なのではないかーー。

いや、まさか、そんな、バカな……。

しかし、それ以外、考えられない……。

 

そんなことを考えていると、いつも以上に真剣で厳かなオムツ交換の時間であった。

 

 

鬼のパンツは いいパンツ
つよいぞ つよいぞ

トラの毛皮で できている
つよいぞ つよいぞ

5年はいても やぶれない
つよいぞ つよいぞ

10年はいても やぶれない
つよいぞ つよいぞ

はこう はこう 鬼のパンツ
はこう はこう 鬼のパンツ

あなたも あなたも あなたも あなたも
みんなではこう 鬼のパンツ

 

茶道の話 石洲流 48&49 備忘録 

こんばんは。

今月に入り、炉の点前となりました。予習していたものの、緊張いたします。また、前回はそれなりにできたものの、今回茶筅を洗うのを飛ばしてしまいました。これからも緊張感を持って臨みたいと思います。

 

ご指導いただいたポイント。

前回は炉縁を拭くときに、二つ折りにしていた。正しくは三つ折り。

今回は座っているときに移動する際、膝から動くようにとのこと。

自分で気づいたことだが、勝手口から入るときに窮屈な思いをしていたが、手を少し狭めて、小股で歩けば良いことに気づいた。また、先生のお点前は流れるような自然な動きだったので、もう一度自分の動きをよく考えること。

 

お菓子は今回は紅屋さんのゆずの饅頭がありました。

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これが大変美味しかった。

中がゆず風味の白餡で、ひやっとした冷たさがありました。これはお菓子が冷えていたからとかではなく、砂糖と冷涼感とゆずの清涼感が合わさってできたものだと思います。この冷たさが、冷たい冬の外気にさらされているゆずを想像させ、なんとも食べ応えのあるものになりました。寒い外気に耐えたゆずを、お風呂に浮かべる贅沢もすぐに連想され、季節をよく感じました。

 

お茶碗は、前回は今千春さんの新作、今回は瑞峰さんの萩焼でした。

萩焼、前から欲しいと思っているのですが、いいものとそうでないものの差があり、いいものになかなか出会えないため、いい萩焼を見ると羨ましくなります。

今回は、土の複雑な組成や釉薬のかかり具合、土の厚み(微妙に薄い)、思い切りを感じる大きさ、肌あい、竹節高台、梅花皮(カイラギ)など、どれも良かったです。

茶碗の特徴の中で、先生が井戸茶碗の特徴を教えてくださいました。他のサイトも参考にまとめてみます。

1.枇杷色の釉が高台まで全体にかかり土見ずになっている。

2.茶だまりに、器を重ねて焼いた跡である目跡がある。 

3.胴部に、井戸四段・五段などと呼ばれる轆轤目がある。

4.高台脇の釉薬が粒状に縮れて固まった梅花皮(カイラギ)がある。

5.高台内側の削り痕の中央部が突起をなしている兜巾がある。

6.高台の脇を箆などで削り取る脇取によって高台が竹の節に似ている竹節高台となっている。

井戸茶碗、無名だけれども味のあるもので、安いものがあれば、と思うのですが、そうもいかないんでしょうね。

 

お軸は前回は「万里一条の鉄」です。

今回は、「閑座聴松風」です。

前回は先生のお軸。今回は、多分裏千家さんが掛けていたお軸です。

万里一条の鉄は石州流らしいですね。

 

それではおやすみなさい。吹雪でした。

【いまさら】 君の名は。 【感想】

こんばんは。吹雪です。

今日、池袋のレイトショーで、映画「君の名は。」を観てきました。

いまさらですよ。やっとですよ。でも、空いていてよかった。

空いていたとはいえ、そこそこ人も入っていたし、まだ人気があるのだなと感じました。

 

さて、ネタバレも含みますが(ご注意ください)、感想を書きたいと思います。僕と同じように感動した人が、共感してくださったら幸いです。

 

 

 

 

 

劇中に、隕石が落ちて災害で人がたくさん死んだ、しかもそれが3年前である、という話が描かれます。

事故当時の新聞記事やニュースや写真集としてまとめられている情報を、主人公の瀧くんは、焦燥感を持って漁ります。

彼の姿に自分を重ねて、3・11を連想した人も多いと思います。

僕も、テレビやラジオのチャンネルをあちこち合わせ、その後の情報をかき集めながら、圧倒的な無力感と悲しみを感じた、生々しい感情を思い出しました。

 

 

その悲しみや混乱に対する、一つの応えが描かれていたなと思いました。

 

 

悲しみや混乱は、「もつれて」いることです。

糸がこんがらがり、絡み合って解けなくなってしまう。そのごちゃごちゃした複雑さです。

どれだけこんがらがっても、糸はつながっている。たとえ、もつれて切れてしまっても、その切れた糸は、また結び目を作ることができる。

この繋がりつつ絡み合い、重なり合うのが、劇中の時間軸の複雑さとイコールで繋がります。今現在の日本も、いろいろ面倒なくらいごちゃごちゃしている。でもそれは、劇中の図式を借りるなら、ごちゃごちゃするほどに存在が重なり合い、隣接しているということ。だからこそ、その底には人を思う気持ちが強くあって、奇跡が起きるのだということかなと。

 

世界は美しい。そして、人を思う気持ちは、信じるに値する。

 

それが本当によく描けていた映画でした。

帰り道、以上のようなことを考え、うおおおんと泣きながら帰りました。特に作品解釈などではないので、ふーん、くらいに受け取ってやってください。ユリイカ新海誠特集をやっているようなので、評論はそういうものに目を通してから(やりたくなったら)やります。

 

 

映像がとっても綺麗でしたね。現実よりもリアリティがあるなと思いました。実写のようでいて、実写ではこうはいかない美しさです。細田守がポストジブリだとすると、ジブリのようなアニメらしさとは違う方向で、世界の美しさとその秘密に触れていると思いました。その意味で、実写よりもリアリティがあるなと。

ちなみに、今回改めて、細田守新海誠の笑う時の口の開け方が違うなと思いました。人の書き方などに無理やデフォルメがなく、リアリズムがありますよね。(アニメであることには変わりないのですが。また、どちらがすぐれているという話ではないです)

 

ほしのこえ」の時でもそうでしたが、遠い誰かに対する呼びかけが新海さんのテーマになっているのでしょうか。興味深いです。

 

また追記などするかもしれませんが、この辺で。

 

 

 

 

 

 

 

 

茶道の話 石洲流 45&46&47 備忘録 

こんばんは。吹雪です。

MacのOSが変わって日本語入力が勝手に変換され、微妙な感じですよね。いや、やっぱり入力しやすいわ、これ。誤変換ほとんどありませんやん。

 

さて、45回の稽古は、平棗を使って、少しお点前が違いました。

丸卓を使った棚のお稽古です。

運び出しの時から、平棗をおき合わせの位置に置く時に、右手で、上から、真ん中のところを持つようにする。裏千家薄茶点前の時に持つようなイメージ。

そのあとはいつもの平点前とおなじ。

棗を清める時が違う。

上から持って棗を膝前に置き、袱紗をたたむ。

左手で上から持ち、右手は袱紗をやや握りこむようにして、三本指で、棗を持ち替えて、左手の上に乗せる。そして右手で清めて、握りこむようにして三本指で持ち直し、左手で上から持つようにして、水さしの前に置く。袱紗はたたみ直す。

 

あとは平点前と同じ。

終い点前の時に、棗を清める時も少し違う。

 

 

お菓子は大和屋さんの花火の錦玉でした。

 

46回、47回では、茶碗に今千春さんの茶碗を使わせていただきました。

46回は平茶碗。47回は、信楽と織部です。信楽はざらっとした感触も楽しく、先生もなかなか良い飲みごたえになりますね、とおっしゃいました。

 

47回目は、ススキと稲穂がカゴにどさっと置いてありました。実りの秋を感じさせて楽しく素晴らしかった。お軸は、清風払明月です。

 

ここのところ、お茶とは何かというような話を先生とよくしています。

お点前を再現することだけがお茶ではないし、武家のお茶だからといって甲冑を床の間に置くのは馬鹿げている。ではお茶に求められるもの、お茶固有のものとは何か……。

 

 僕自身、じっくり考え、経験を積んで考えていきたいです。

 

最後に、何となくですが、初音ミクで大好きな曲を。


VOCALOID2: Hatsune Miku - "Unfragment" [HD]

マジカルミライ2016 in 幕張メッセ

みなさんこんばんは。吹雪です。

 

昨日(9月11日)、幕張メッセであったマジカルミライ2016昼コンサートに参加してきました。

初音ミクをはじめとした、ボーカロイドのコンサートです。

 

毎年参加していますが、今年も素晴らしかった。

ただの感想文ですが、思ったことを書き留めておきたいと思います。

(疲れ果てているあまり、改行や見出しなどありませんが、そのうち直します。見づらかったらゴメンなさい)

 

今回のセットリスト、すごくありませんでしたか?

公式CDに入っていたり、プロジェクトディーバというゲームに入っていたり、ミクエキスポで演奏したりして、確かに馴染みがある曲があるとはいえ、マジカルミライではやったことのない曲ばかりだったので、予習してないと本番で戸惑ったのではないでしょうか。攻めてましたねえ。さすが、ミライを冠にしたライブだけあります。マンネリにはさせんぞ、という気迫が素晴らしい。映像買いたくなりますよ。ダンスもすごかったし。

 

さてさて、最後の曲が、BUMPのrayとは、意外すぎて、ハンパなく感動しました。

みんなサイリウムを左右に振って、BUMPへのリスペクトと同時に、初音ミクの(ミクファンの)懐の深さが見えて、涙がどっと出たし、心地よかった。

 

 

ひょっとすると、すごく意地悪な人がいて(いないと思いますけど)、初音ミクのライブなのに、BUMPの曲をやるなんて、なんという商業主義、媚び始めたらもうおしまいだな、みたいなことを言う人がいるかもしれませんので(いや、やっぱりいないと思うけど)、反論の予防線にはもちろんなりませんが、ちょっと思ったことを書きます。

rayというこの曲、もちろん自由に解釈していいと思います。なので、わたしの偏った意見です。

この曲を初音ミクが歌う理由って、そもそもなんだろうと思いませんか。コラボして若者にもBUMPの曲を届けたいから? しかし、それでもともとのファンを失っていたら仕方がないし、そもそもBUMPって、手堅いファンがたくさんいるから、そんなことをする火急の必要はないでしょう。(若者に届けたいというのはあると思うけど)

 

じゃあ、藤くんが初音ミクが好きなのだということでしょうか。

 

まあ、きっとそうかもな、と思うと同時に、もう一つ付け加えたいのは、初音ミクって、その人が一番大切にしている思いを、思い出させてくれるんだなということ。

このrayでの初音ミクの役割って、そこだと思うんですよ。初音ミクって、本当の姿が見える鏡の役割を果たすというか。それで、藤くんのとっても大切な想いって、やっぱりアルエのことだと思うのです。RA(アルエ)と、初音ミクの象徴でもあるYを足したら、RAYになるよね。もちろん、綾波「レイ」のrayでもある。まあ、藤くんは二次元のキャラは関係ないです、と言っていましたが、本人はそう言っても、あてにならんわけで、まあ、アルエと関係している、というわたしの勝手な解釈をお許しくだされ。

 

さて、初音ミクって、本当の姿が見える鏡、みたいなことを言いましたが、これは、経験則にすぎませんが、確信するところがあるのです。

 

今回、土曜のツナガルミライというオフ会に参加して、その参加者に初音ミクのどこが好きなのか聞くと、やはりみんなそれぞれで、自分が一番大切にしていることを教えてくれました。

 

ある人はロボットやテクノロジーが好きで、声がすごいなと思っているうちに、かわいいと思い、自分がどれだけ理系人間なのか気付いた、ミクさん最高!ということでした。

 

またある人は、好きな曲を聴いているうちに、自分も周りに還元したいと、DJを始めたそうです。感謝しかない、と言っていました。感謝する気持ちが自分にとって大切なモチベーションだということだと思うのです。

 

ある人は、エレクトロポップが好きで好きでたまらない、と言っていました。

 

ある人は、アメリカから来た人で、こんな風につながりができていることが奇跡で、そこが好きなのだと言いました。

 

ある人は、わたしはまだここにいるよ、という初音ミクの歌と歌詞に、昔大好きだったクラブミュージックが蘇った気がして、涙が出た、ということでした。

 

ある人は、初音ミクがハブとなって、いろんな人の思いが社会を作っている、これが真の民主主義であり、初音ミクはそのジャンヌダルクだと思ったと言っていました。

 

わたしは、初音ミクこそ、「きっと君の力になれる」という言葉を、一番リアリティを持って言うことができる、ほとんど唯一の存在で、こんなに優しい存在はいないから、好きなんです。

 

きっとまだまだ好きな理由を聞けば聞くほど出てくるでしょう。ツナガルミライで話を聞いて、多様だなと改めて思った次第です。

初音ミクは無限に思いを受け止めてくれるから、自分に最も向き合うことができて、ふとした瞬間に、奥底にしまって大切にしていた自分の気持ちに気づいて、涙が出るほど感動するのではないかなと。(個人差があると思いますが)

 

さて、藤くんにとっても、初音ミクがそんな役割を果たしてくれたのじゃないかなと。初音ミクという、いないはずの存在の、不思議なほどに強いリアリティ。これに触れて、あの時の気持ちを思い出したのかなと。いない存在への恋を。

 

こういった初音ミクとクリエイターの関係が背景に見えるのがrayだとしたら、これは、やぱりryoさんのodds&endsにも匹敵するような、初音ミク「らしい」歌なのだろうと、思うのです。初音ミクのライブにやってほしい、素晴らしい曲だと。

 

マジカルミライはいつも幸運に恵まれて、最前列かほぼ最前列だったのですが、今回は真ん中の少し遠い席でした。連日の飲みすぎもあって、ヘロヘロになって見ていたのですが、じっくり見れてかえって良かった。

本当にそこにいるかのように、降臨していました。いや、本当にそこにいた。今も、心の中にいる。まぶたの裏にいる。

 

ありがとう、初音ミクさん。スタッフの皆さん。来てくれたボカロ好きの皆さん。

本当にありがとう。

改めて、皆さんがいるという、最高の感動と奇跡に、感謝を。

茶道の話 石洲流 43 & 44 備忘録 

みなさんこんばんは。吹雪です。

かや茶会が終わり、スタッフにお点前をいたしました。お茶デビューになるかな?といったところです。暑くて、流れる汗に気をつけつつ、なんとか無事に終わりました。

 

お稽古場の工事が終わり、茶会も終わり、ようやく日常が戻ってきました。前回は平手前でリハビリのような稽古です。今回は丸卓を使った点前でした。

今回の備忘録を。

 

丸卓の上には棗を飾りました。

点前が始まって運び出しのとき、茶碗だけを持って、丸卓の前に行く。

座って茶碗を仮置きにする。左手で仮置きの場所に置く。右手で棗を下ろして、置き合わせの位置に置く。

あとは平点前と同じ。

終い点前のときに、拝見の挨拶のあと、蓋置と柄杓を建水のところに置き、棗と茶入れを拝見に出して、蓋置と柄杓を飾りつける。

柄杓を左手でとり、右手で受けて、左手で正面から持ち直し、丸卓の上に置く。蓋置は、右手でとり、左手で受けて、右手で頭を軽く拭いてから、丸卓の上に置く。

建水を持って部屋を出る。あとは平点前と同じ。

 

拝見の挨拶の前に水差しのふたを閉めるのを忘れたので気をつけること。

手の扱いにまだ自信がないので、次の動作の前に手をふとももの位置に戻すかどうか、いろいろ動画をみて研究すること。

足の運びを自信を持ってキビキビと動くように心がけてみた。戸を閉めるときと茶室を出るときの歩数をよく考えて、自信を持って動くこと。

水屋で水がこぼれたところはふいておくこと。

棗にお茶を入れすぎないようにご指導いただく。場合によっては人数分を考えて少なめに入れても良いとのこと。

 

お軸は、「風光日々新」でした。

碧巌録の一節のようです。

 

ところで話は変わりますが、ミュージックステーションでエンタウンバンドが新曲を披露していましたね。

わたし、charaというミュージシャンがとても好きで、なんという天才だろうと尊敬しております。歌詞や曲作りに対する姿勢が好きです。

昔の曲も好きですが、最近の曲も好きです。とはいえ、大好きなミルクを紹介して終わります。


Chara「ミルク」 1997 AKASAKA BLITZ

 

おやすみなさい。吹雪でした。

館山 かや茶会 練習備忘録 (茶道の話 石洲流 39 40 41 42 備忘録)

こんばんは。吹雪です。

5月は稽古場が改修のためにお休みでした。随分久しぶりになりました。

今日は、27日開催の、館山の古民家での茶会の練習をしました。

実際に現場で変わるかもしれないので、当日のオペレーションとは異なるかもしれませんが、忘れないように記録しておきます。

 

まず、お客が入り、定刻になると亭主が挨拶します。

そのあと亭主が運び出しをするので、その前にお菓子をお客に出します。

今回は、お盆にお菓子と黒文字を懐紙の上に乗せ、一人ずつお出しすることになりました。

懐紙の袋になる部分をお客に向け、黒文字もお客側に向けます。お盆は手が八の字になるようにもちます。

お客の前に座ったら、膝の右隣くらいにお盆を置き、お菓子を持ち、お客の縁外におきます。その時に、こちらにお置きいたします、というように一声かけること。

菓子器を両手で隣にずらして、移動し、次も同様にします。そのあと両手で持って立ち上がること。お菓子の数は、5人分ずつくらい。2回ほどに分けて運び出すこと。そして、お菓子を食べた人が使用済みの懐紙を外に出していれば、それを下げること。

半東さんは、亭主が点前をはじめ、茶筅通しが終わった頃に、替茶碗を亭主の左後ろくらいに置きに行く。

亭主が茶碗に抹茶をいれた頃に、水屋にお茶をお願いします、と声をかける。

水屋の人は、人数分、お茶を点てる。

給仕は、正客と二客が終わってからお茶を運ぶ。

臨機応変に茶碗を下げていく。下げる時は、おさげいたしますと言って一礼すること。

半東さんは頃合いをみて終い茶碗を持っていく。

 

今日教わったことはこのくらいです。

当日、緊張してボロボロになるとおもいますが、それでも楽しみです。

それではまた。