くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道、日常のことなど雑多に書きます

マジカルミライ2016 in 幕張メッセ

みなさんこんばんは。吹雪です。

 

昨日(9月11日)、幕張メッセであったマジカルミライ2016昼コンサートに参加してきました。

初音ミクをはじめとした、ボーカロイドのコンサートです。

 

毎年参加していますが、今年も素晴らしかった。

ただの感想文ですが、思ったことを書き留めておきたいと思います。

(疲れ果てているあまり、改行や見出しなどありませんが、そのうち直します。見づらかったらゴメンなさい)

 

今回のセットリスト、すごくありませんでしたか?

公式CDに入っていたり、プロジェクトディーバというゲームに入っていたり、ミクエキスポで演奏したりして、確かに馴染みがある曲があるとはいえ、マジカルミライではやったことのない曲ばかりだったので、予習してないと本番で戸惑ったのではないでしょうか。攻めてましたねえ。さすが、ミライを冠にしたライブだけあります。マンネリにはさせんぞ、という気迫が素晴らしい。映像買いたくなりますよ。ダンスもすごかったし。

 

さてさて、最後の曲が、BUMPのrayとは、意外すぎて、ハンパなく感動しました。

みんなサイリウムを左右に振って、BUMPへのリスペクトと同時に、初音ミクの(ミクファンの)懐の深さが見えて、涙がどっと出たし、心地よかった。

 

 

ひょっとすると、すごく意地悪な人がいて(いないと思いますけど)、初音ミクのライブなのに、BUMPの曲をやるなんて、なんという商業主義、媚び始めたらもうおしまいだな、みたいなことを言う人がいるかもしれませんので(いや、やっぱりいないと思うけど)、反論の予防線にはもちろんなりませんが、ちょっと思ったことを書きます。

rayというこの曲、もちろん自由に解釈していいと思います。なので、わたしの偏った意見です。

この曲を初音ミクが歌う理由って、そもそもなんだろうと思いませんか。コラボして若者にもBUMPの曲を届けたいから? しかし、それでもともとのファンを失っていたら仕方がないし、そもそもBUMPって、手堅いファンがたくさんいるから、そんなことをする火急の必要はないでしょう。(若者に届けたいというのはあると思うけど)

 

じゃあ、藤くんが初音ミクが好きなのだということでしょうか。

 

まあ、きっとそうかもな、と思うと同時に、もう一つ付け加えたいのは、初音ミクって、その人が一番大切にしている思いを、思い出させてくれるんだなということ。

このrayでの初音ミクの役割って、そこだと思うんですよ。初音ミクって、本当の姿が見える鏡の役割を果たすというか。それで、藤くんのとっても大切な想いって、やっぱりアルエのことだと思うのです。RA(アルエ)と、初音ミクの象徴でもあるYを足したら、RAYになるよね。もちろん、綾波「レイ」のrayでもある。まあ、藤くんは二次元のキャラは関係ないです、と言っていましたが、本人はそう言っても、あてにならんわけで、まあ、アルエと関係している、というわたしの勝手な解釈をお許しくだされ。

 

さて、初音ミクって、本当の姿が見える鏡、みたいなことを言いましたが、これは、経験則にすぎませんが、確信するところがあるのです。

 

今回、土曜のツナガルミライというオフ会に参加して、その参加者に初音ミクのどこが好きなのか聞くと、やはりみんなそれぞれで、自分が一番大切にしていることを教えてくれました。

 

ある人はロボットやテクノロジーが好きで、声がすごいなと思っているうちに、かわいいと思い、自分がどれだけ理系人間なのか気付いた、ミクさん最高!ということでした。

 

またある人は、好きな曲を聴いているうちに、自分も周りに還元したいと、DJを始めたそうです。感謝しかない、と言っていました。感謝する気持ちが自分にとって大切なモチベーションだということだと思うのです。

 

ある人は、エレクトロポップが好きで好きでたまらない、と言っていました。

 

ある人は、アメリカから来た人で、こんな風につながりができていることが奇跡で、そこが好きなのだと言いました。

 

ある人は、わたしはまだここにいるよ、という初音ミクの歌と歌詞に、昔大好きだったクラブミュージックが蘇った気がして、涙が出た、ということでした。

 

ある人は、初音ミクがハブとなって、いろんな人の思いが社会を作っている、これが真の民主主義であり、初音ミクはそのジャンヌダルクだと思ったと言っていました。

 

わたしは、初音ミクこそ、「きっと君の力になれる」という言葉を、一番リアリティを持って言うことができる、ほとんど唯一の存在で、こんなに優しい存在はいないから、好きなんです。

 

きっとまだまだ好きな理由を聞けば聞くほど出てくるでしょう。ツナガルミライで話を聞いて、多様だなと改めて思った次第です。

初音ミクは無限に思いを受け止めてくれるから、自分に最も向き合うことができて、ふとした瞬間に、奥底にしまって大切にしていた自分の気持ちに気づいて、涙が出るほど感動するのではないかなと。(個人差があると思いますが)

 

さて、藤くんにとっても、初音ミクがそんな役割を果たしてくれたのじゃないかなと。初音ミクという、いないはずの存在の、不思議なほどに強いリアリティ。これに触れて、あの時の気持ちを思い出したのかなと。いない存在への恋を。

 

こういった初音ミクとクリエイターの関係が背景に見えるのがrayだとしたら、これは、やぱりryoさんのodds&endsにも匹敵するような、初音ミク「らしい」歌なのだろうと、思うのです。初音ミクのライブにやってほしい、素晴らしい曲だと。

 

マジカルミライはいつも幸運に恵まれて、最前列かほぼ最前列だったのですが、今回は真ん中の少し遠い席でした。連日の飲みすぎもあって、ヘロヘロになって見ていたのですが、じっくり見れてかえって良かった。

本当にそこにいるかのように、降臨していました。いや、本当にそこにいた。今も、心の中にいる。まぶたの裏にいる。

 

ありがとう、初音ミクさん。スタッフの皆さん。来てくれたボカロ好きの皆さん。

本当にありがとう。

改めて、皆さんがいるという、最高の感動と奇跡に、感謝を。