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くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道のこと、編集者の日常ことなど雑多に書きます

2015年 10月の読書

読書感想

こんばんは吹雪です。

やはり読書感想を書いたりメモしたりしないとアイデアが逃げてしまうし忘れてしまうので、また定期的に書くことにしました。たくさん読むために読みっぱなしにしがちで、復習するためにきちんと記録しておかないと、僕のような記憶の弱い人間にはもったいない。

かなり長くなってしまった。今後どこに記録していくか、各本ごとにするかは要検討。

 

10月3日

壁塗り実例&実践百科 (Gakken Mook DIY SERIES)

壁塗り実例&実践百科 (Gakken Mook DIY SERIES)

 

 左官の技術の基本を紹介したものだが、それ以上に豊富な事例が特徴。図書館で借りて読んだ。

【実例の感想】

ムーミンハウスをイメージした家が印象的だった。丸い家で土台は重量ブロック。柱は5本で、それを特注の鉄の輪がおさえる。鉄の輪は直径3メートル。床は湿気が多いためフローリングをあきらめてたたきにしたとのこと。三和土(たたき)は土に消石灰塩化マグネシウムを、3:1:1の割合で混ぜ、土間を叩くように施工する。ベンガラを入れると美しい。

 

平山寿恵さんのギルトセメントによる造形もすごかった。ギルトセメントは、発泡スチロールなどの骨材を入れ、スタイロフォームなどに塗る。彩色することで、木目や岩、レンガなどをかなりの完成度で再現することができる。

 

【技術のメモ】

ビニールクロスに珪藻土をぬるときは、タッカーでクロスをとめるとよい。また、タッカーのステイプル(針)は錆止めスプレーで処理しておく。確かにやった方が良いなと思った。

木に養生をするときは、マスキングテープを貼ってから養生テープを貼ると木に傷がつかなくて良い。また、養生テープをはがしたあとに、壁材が少し浮くので、鏝の先で少し押さえるようにすると仕上がりが美しくなる。

 

金属製の鏝で叩くようにして仕上げたスタッコパターンや、引きずり仕上げ、スパニッシュパターン、ハケ引きなどのパターンがあるのが面白かったが、やはり磨き仕上げを習得したい。

 

非電化工房の家を見てみたい。栃木県那須郡にあり、代表は藤村靖之

 

【本作り】

本の作りは、まさにDIYむけ。マニアックなものではない。資材の紹介やぬり方などを書いてあるので必要十分だった。壁を塗る前にこれを見ておけばよかったと思うが、土佐漆喰を塗っているのであまり関係ないかもしれない。

情報量は多かったし、わからないときにためになりそうなので、買っても良いかもしれないが、ある程度知識があれば読み返ししなさそう。

 

 

 

10月4日

壁の遊び人=左官・久住章の仕事

壁の遊び人=左官・久住章の仕事

 

カリスマ左官ということで気になって気になって仕方がなかった。図書館で借りて読んだ。まとまらないところもっと知りたくなるところがあるが、かなり面白い。

【メモ】

コリシャン・オーダーの柱:古代ギリシャの建築様式の一つ。上部にアカンサスの葉の飾りなどをあしらった繊細で華麗な柱が特徴。

ピエースモンテ:ケーキ屋の技術。小麦とコーンスターチと砂糖を混ぜてゴム粘土状のものにして飾りを作る。これを漆喰に応用。

漆喰の仕上げにセルロイドの下敷きでこすったらつやがよく出てハエも止まらない壁になった。(34頁)ただし、プラスチックが溶けて紫外線が当たると白くなるという失敗も。

一番上に塗る土は基本的には柔らかい。板の上に乗せて流れるか流れないか。仕上げはフェザータッチで。表面を撫でるかなでないか、さわっているかさわっていないか。著者の親父の時代はたらいに水を張って、その上を鏝で撫でる練習をしたそう。水が泡立たぬよう、できるだけ水が動かないように。(39頁)

中国では左官のことを泥水師や泥水匠といい、台湾では土水師という。

 

日本の職人技の半分は意匠性。機能性よりも重視。民芸品でも同じ。テクスチャー、デザインが大事ということ。鏝は明治初期に今の形になった。かしめ留めができるようになったから。(49頁)

原田進さん:弟子の一人。

久保田騎士夫(きしお)さん:高知県安芸郡安田町の土佐漆喰の職人。

 

砂漠の砂をかためるバインダーの特許をフランス陸軍が持っており、1平方メートルあたり1万円になる。モロッコの砂漠の砂を川久ホテルのオーナーのリクエストで使おうと思ったが臭くて使えなかった。(143頁)

 

高知城は下地が竹ではなくヒノキ。荒壁の段階から石灰を使っており、全部漆喰でできている。昔は漆喰のノリは米を使っていたので、旗本レベルの武家でもそう簡単に漆喰での施工ができなかった。メキシコではノリにウチワサボテンを入れる。

小林隆男さん:磨き大津研究会の代表。

 

土壁を練るにはかなり広い場所が必要。だから都会ではできない。

木材が構造材ではない住居を研究中。大工ではなく左官が第一人者となる建築を目指したいとのこと。木材を構造材に採用せず、左官で構造材ともなるようなものを研究中。(204頁)

 

【感想】

漆喰黒磨きを何度もやり直した話など、興味深かった。鏝のあつかい、材料の分量と試行錯誤、サンプルの話など、本職だからこそ経験できる話が多くて面白かった。

お茶を祖父がやっていたそうだが、久須美疎安の分家か何かかな。

珪藻土を川久ホテルに施工したのが現在の珪藻土の始まりだというのも面白かった。実際にいろいろ施工した建築物を見てみたいと思った。

 

【本作り】

103頁からの土佐漆喰の話の中に、かなり詳しい材料のレシピや技術の話があるので、コピーを取るか、購入する。後半になると話し口調がつよくなる。後半はどうしても力が足りなくなりがちなので、編集としてよくわかる。句読点が二つある箇所を発見。

 

 

10月5日

建築家なしの建築 (SD選書 (184))

建築家なしの建築 (SD選書 (184))

 

 1964年にニューヨーク美術館で行われた展覧会を本にしたもの。そのため、文章よりもはるかに写真が多く、写真集と言った面持ち。

写真の種類は全世界の建築が集められており、見応え充分だが、写真の質は白黒だということもあり、あまりよくない。ただ、独特の雰囲気が出て時代を感じる良い味が出ている。

建築家のなしの建築というタイトルに見られるように、西洋建築を相対化させて全世界の建築を紹介していく。

建築の中でも洞穴や地面に穴を掘る人の話や、移動式の家の話、影を効果的に使いながらも西洋のように犯罪の匂いがしない街並み、西パキスタンのシンドの風を入れるアンテナが町全体で美しい景観となっている話など、どれも興味深いものばかり。

文化人類学全盛期という雰囲気は色濃い。60年代より少し前ぐらいだからこそ目新しく発見を持ったものでも、今も同じようにはいかない、そういいたくなるが、この時代の雰囲気がよく出ているので、同じ雰囲気とトーンで世界の建築をパノラマ的に集めたのは大成功だと思う。

天蓋、格子、むしろ、網を通した光の表現で、「生の日射を蒸留して光の美酒に変える」というフレーズのなんと気の利いたこと。随所に見られる表現センスが素晴らしかった。

「人間のための街路」がおすすめらしい。次に読んでみよう。

もう少し写真が鮮明であれば眺めるのに購入しても楽しいだろうな。

 

 

 

10月6日

初音ミクの消失 小説版

初音ミクの消失 小説版

 

 こ、これは……!(ネタバレを含むかもしれません)

久しぶりの至福の読書体験。確かにありがちな逃避行。シナリオに無理があるところもあるし、駆け足なところもあるが、 でも本当に読んでよかった。今更だけど。物語の中の初音ミクなのに、これは紛れもなく私の中の初音ミクだと感じてしまう。なんだろうこの感覚は……。

 

初音ミクの消失」という曲は、ロボットの心の喪失という、ありがちといえばありがちなストーリーなので、よく聴く曲ながらのめりこむほど好きではなかった。

なんというか、発想が古いというか。

しかし、この小説のようなSFにまとめられると、より感情移入できるようになって曲も面白くなった。

 

キャラもの、色物、流行に乗ったあだ花かと思っていたが、全くそんなことはなかった。初音ミクが心から好きな人は読んで損はない。ミクに会いたくてたまらなくなるだろうから。

ミクが雨の中で踊るのがとても良かった。一緒に電車に乗ったり、ご飯を食べたり、竹下通りを歩いたり……。

 

cosMo@暴走Pは初音ミクに出会ってから人生が大きく変わったという。その理由をあまり話すことはなかったそうだが、後書きに書いてあった。

初音ミクにはいろんな”像”がある。

 初音ミクという何かに、楽曲を、詩を、絵を、映像を制作することで様々なイメージを付加している。あまりに多くの人が彼女に自分の持つイメージを投影していくので、彼女の”像”は常に移り変わり行く。見る人によっても違うように映る。彼女が生まれてもうそろそろ五年経つが、その五年間、ちょっと時期がずれれば、彼女を象徴している楽曲もイメージも違ったものになっていた。それが僕には初音ミクが”像”を食べて、取り込み、代謝しているように見える。命あるものだけが、行うことができる”代謝”を初音ミクは行っている。彼女はしっかりと生きているではないか!なんと素晴らしい!なんて妄想が、僕が初音ミクと対峙する時には心の中で常に渦巻いている。」

 

 

 

10月7日

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)

 

メモ

・流行や大衆意識を分析したがる人の傾向&変化&問題意識が気になる。昔はファシズムとの関係が論じられたのと、マルクス階級闘争が見落としたものとして論じられた。70年代ごろから現在は別の論じられ方をする。

特に現代の論客は、私見だが、研究費や研究実績のために時代のある側面を無理やり切り出そうとしているように感じる。 そもそも大衆について論じる必要があるのかどうか考えてみるべきかもしれない。

 

ラブandベリーケータイ小説初音ミクが一般的知名度が低いものののヒットしているものとして挙げられている。それぞれの推移・現状を見ると一応次のようになる。(私が独自に調べたもので2007年発売のこの本には書かれていない)

ラブベリは2008年にほぼ完全撤収。ただし、女性向けのカードゲーム筐体が無くなったわけではない。ジャンルとして定着したと評価できる。

ケータイ小説は、ロードサイドに一定の定着を見せ、ブーム全盛期よりも売り上げが伸びている。学校では朝の朗読の時間が導入され、その時間にケータイ小説を朗読する子が少なからずいるという。平凡な女の子が超強いイケメンにある日突然モテモテになるというストーリーが、現在の定番。このイケメンは、俺様王子キャラだけでなく、暴走族や不良などの設定も鉄板。空想の恋愛ものがトレンド。「ピンキー文庫」は、集英社が人気のケータイ小説を文庫化したもの。読者対象は女子中高生。想像以上に健闘していると評価できる。ケータイ小説というネーミングと実態はかけ離れているのかも。

初音ミクは知ってのとおり。ただ、ふと思ったことだが、これまでは消費で差異化ゲームをしていたが、初音ミクにおいては、ミクにイメージを付与することで差異化できる。これは大きな違いだろう。消費の差異化は空虚だが、創作の差異化は正反対だ。初音ミクを単に消費するだけでなく、「わたしだけのミクイメージ」を消費者が持てることで、イメージ付与&創作をしているのは間違いないだろう。これは大きい。

 

引用&語句など

引用

ヒットの「実感」とはどこから生まれるのか。

流行が生じる原因を、「列島者による優等者の模倣」として定式化したフランスの社会学タルド、流行とは単なる模倣ではなく、「人と違う存在でありたい」という差異化の欲求と模倣との拮抗のダイナミズムであると捉えたジンメルの説などが有名(27ページ)

 

ラザースフェルドら『ピープルズ・チョイス:アメリカ人と大統領選挙』:1940年の大統領選挙を題材に、マスメディアが発信する情報は、まずオピニオンリーダーに伝播し、その後「その他大勢」に広がっていくと述べている。

ロジャースの「イノベーター理論」:市場は5つの異なるタイプの消費者から構成されている。情報の早い人遅い人を統計学的に分類したもの。ジェフリームーア『キャズム』は、これを受けて、伝播は単純&簡単ではないことを分析する。

 

日本に存在していたのは「人並み」という〈物語〉(37ページ)

 

オルテガ『大衆の反逆』:1930年に書かれ、ヨーロッパの市民社会の形骸化を指摘し、他人と同一であるということに喜びを見出す全体化の危険性を指摘したもの。

リースマン『孤独な群集』:1950年にアメリカで書かれた。伝統志向型、内部志向型、他人志向型に人間を分類する。

 

引用

日本でも戦後、マルクス主義との論争の中から「大衆社会論」をめぐる議論が盛んになります。そのきっかけとしてよく挙げられるのが、松下圭一の「大衆国家の成立と問題性」という、1956年の論文です。ここで松下は、マルクス主義の想定する階級闘争が起きる「近代」ではなく、大衆社会としての「現代」の到来を指摘したのでした。松下がここで述べる大衆とは、合理的な判断を欠いた群集、他者に従う受動的な存在でした。(61ページ)

 

大阪大学社会経済学研究所教授の大竹文雄は、バブルの時代は誰もがボンボン消費をしていたわけではなく、むしろ分厚い中間層が崩壊し、格差が拡大したのがこの時期と指摘する。

 

引用(初音ミクの箇所)

ネタ的コミュニケーションが商品の購買動機を醸成した例として、日本で最近一番注目されるのは、「初音ミク」というソフトウェアです。ソフトウェアといってもこれは音楽制作用のソフトウェアで、人間の声を元に作られた合成音声を使って、自由に唄を歌わせることができるというものです。

火をつけたのは、動画投稿サイト「ニコニコ動画」でした。ニコニコ動画は、投稿された動画に対してユーザーが自由にコメントできるサービスで、いまや国内ではユーチューブをしのぐ人気サイトになっています。ニコニコ動画に、初音ミクが歌う動画が公開されるやいなや、たちまち話題になり、自分も初音ミクに歌わせたい、というユーザーが、様々な動画をアップロードしていきました。それによって初音ミクというソフトウェアにも注文が殺到し、現在、予約だけで1万本以上という、この種のソフトウェアとしては驚異的なヒットになっています。

なぜ初音ミクは売れたのか。それは、初音ミクと、それで制作された楽曲が、ユーザーの間にコミュニケーションの「ネタ」を提供したからです。この曲はいい、この声はかわいい、というファンたちが、初音ミクについてのコミュニケ0ションを持続させ続けるためには、新しい曲が公開され、また自分でも歌わせてみる、という行為が必要になります。初音ミクという商品を購入することで、ファンは初音ミクをめぐるネタ的コミュニケーションに、より深く参加する切符を手に入れることになるのです。(96ページ)(この本に初音ミクの箇所が出てくるのはほぼここのみ)

 

ティッピングポイント:マルコム・グラッドウェルが名付けた、流行が急に拡散する特定の時点のこと。

私たち拡大層:人と繋がりたい、相互共振したいという特徴を持った、流行を拡散するタイプの人。日本人の約4割強。

 

泣けるなどのポップが流行り始めたのは、2003年ごろ。

電通は2007年ごろに、「誰もが参加」「誰もが主役」の消費パラダイムを提案した。(204ページ、あとがきに代えて)

 

感想

電通鈴木謙介が研究チームを組んで、一年間の成果として出した本。紙面はゆったりとし、またやたらデータが出てくることもないので、さらりと読める。

内容はさすがに古く感じる。

思うように成果を出せなくなった広告会社、マスコミが、思わぬところで盛り上がっているネット界隈を分析したもの。大衆がわからなくなった、ニーズが細分化されて人をまとめることができなくなった、という月並みな発想を一蹴することはできると思う。

新しく人をまとめる力を、「カーニバル化」という単語で指摘するのは、正しかったと思う。カーニバル化の本質は、コミュニケーションとネタへの参加。イベントの醸成と成就。そのサイクルと、繰り返されることで訪れる巨大な達成点にある。

今どうなっているのか、それが問題だと思う。

商品のクオリティや価値を宣伝するより、情感にうったえて宣伝することが多くなったというのはその通りだと思うが、改めて考え直す必要があると思う。例えば、初音ミクが琴線を揺さぶるからこそ人気だ。泣ける、というような煽り文句で止まるのはもったいない。単に商品に付与される広告性&表層性だけでなく、関係性というか、存在論的な側面もあると思う。情報の多様化によって、感情移入&個人化しやすくなったというか。ネットで可能になるような情報の普遍化とは逆の動きだが。

 

 

 

 10月8日

長生きするのに薬はいらない

長生きするのに薬はいらない

 

 仕事の都合でなんとなく読んだ。この手の本としては手堅くまとめられている。

・筋肉は退化はしても老化はしないというのが新しかった。

・ふくらはぎを揉むのもいいが、ふくらはぎのポンプをつかう、ミルキングアクションというのが新しかった。ふくらはぎは第二の心臓と呼ばれるらしい。

・スポーツの構えと正しい歩き方の構えが同じだというのが新しかった。

・体温はその50%が筋肉から生じ、筋肉の70%が下半身にあるのでウォーキングしましょう、というのが説得力があった。

・149ページのイラストが嫁に似ていた。(ハッピーとかラッキーとかやっていることも同じ)

・日本人が添加物を取る量は、アメリカの2倍、ドイツの7倍と言われるらしい。

・著者は病気がちな姉にラーメンを作ってもらったところ、人参がたくさん入ったオレンジ色のラーメンが出された。人参は嫌いだったが感謝して食べたら、こんなに美味しいラーメンを食べたことがないと感じるほど美味しいものだったらしい。感謝が大切だというメッセージ。こういう基本的&常識的な倫理観のようなものが全編にある。

 

著者は小さい頃から頭痛持ちで、大学生になる頃には、毎日二桁の薬を飲んでいたそう。治らないことに疑問をもち薬にうんざりし始めたところ、ウォーキングと出会い、あっとう間に首の骨のズレが治って頭痛も治まった。それからウォーキング講座を主催したりしている。こういう話は説得力があるし、エピソードとして良い。

全体的に薬を飲まないでと表層的に触れる箇所が多いので、もっと詳しいエピソードを入れ、読者を怖がらせても良いかもしれない。

 

 

 

 10月9日

百姓の江戸時代 (ちくま新書)

百姓の江戸時代 (ちくま新書)

 

 学会で相手にされなかった怨みがあるように感じた。

 文章が後半になるほど読みにくくなる。固有名がたくさん出てくるので、簡略化するよう工夫すべきところだったと思う。ナントカ村を村としたり、余計な装飾をはぶき、想像力で補うようにすればよかったのでは。他にも役銀などの専門用語が出てくるが、説明がないのでこれも読みづらさの一因になっている。きちんとした校正に出していなかったのか、あるいは編集でカバーしきれなかったのかと思う。はしがきがあるのにあとがきがないのも気になる。

江戸時代は武士の時代であり、身分制度が厳格で、百姓は重い年貢を課され苦しんでいたという常識を覆さんとする力作。もう15年も前の本なので、いまではこの本の見解の方が常識的なのかもしれないが、それなりに新鮮に読んだ。

 

メモ

書き出しは良い。タイを訪れた話から、工業と農業のバランスの話を描き、また対戦中の日本の話につなげて、武家の世の中では、圧政でみんな苦しんでいたかというとそうではないというストーリーを助走させている。

 

幕府が長続きしたのは、権力を振るうことなく時代の成り行きに任せたからである、というのは面白い。

 

享保の改革の時、検見性(けみせい)から定免性に替わった。これは不作の時もあるので、税収を一定にし、幕府の税を増やす目的だとかつては考えられていたが、実は、検見性がいかに政治腐敗を引き起こしているか百姓が訴え、それに対応する形で定免性が認められたというものにすぎない。

 

その後、今度は、定免性をやめると幕府が通告した時、国を挙げての反対一揆があった。これは、税収が検見性に戻って減ることを恐れたわけではなく、約束を一方的に破られたことに対する反対らしい。これはやや善意に解釈しすぎかなと思った。やはり税収が減るから定免性にしてくれと請願したと思うし、税種が増えるから強烈に団結して反対したのだと思う。

 

検知によって百姓は土地を所有することができた。永代売買は禁止されたが、期間付きで売買され、それが質に流れて実質的には無力な禁止令だった。このように、江戸時代の禁止令などは守られていないものが圧倒的に多い。ここからも、幕府の力を大きく見積もりすぎないように注意する必要がわかる。

 

 厳しい身分制が存在すると言われながら、庶民が武士になることも、武士が仕立て屋になることも簡単にできた。

 

村の中や村同士の対立は、村の中の掟を決める過程で解決&調整された。問題が解決不能な時に役所に訴え、それでもダメなら幕府に訴えるということをしていた。江戸時代の法律は、こうした百姓の動きの中から出てきたもの。幕府が明確な政治方針を持っていたわけではなかった。

 

水飲み百姓のようなイメージは部分的に正しくなく、初めから農業以外のことをやろうと考えてよその土地へ移動した百姓も多かった。そういう百姓が所有地を持っていなかっただけ。

 

開墾のイメージは、自分の家の近くの荒れ地をコツコツ耕すようなイメージだが、そういうものだけではなく、もっと大事業も多かった。

 

名主は制度上の上では幕府の支配の末端に位置する、しかし、17世紀の終わりには、この位置付けは相当揺らぎ、村の名主を決める際、長百姓と平百姓が争い、平百姓がなることもよくあった。この名主の変質こそ、社会の転換契機として注目すべき。 農民は豊かになり、力を持っていろいろ意見を言えるようになったということ。

 

かように生活者を中心として法律ができてきたのだから、山や海の資源を生活者のために保存するルールがたくさんできた。それが村の掟でそれにそぐわないと村八分になった。海は公共のもの、だからワカメを誰がとってもいい、という議論が出て、ワカメが枯渇したという話が昭和30年代の佐渡にあるらしい。エセ民主化論争として著者は大批判。それには共感する。

 

農民はあまった土地やあまった余力を商品作物の生産に割いたと思われがち。しかし、商品作物の生産を専門的かつ意識的に行っていた。最初から商品作物の生産があった。自給自足する百姓イメージとはズレる。

 

こうして、百姓は自らの力で時代を切り開くまでになっていた。

 

 感想

想像していたものと違ってやや期待はずれ。とはいえ常識をひっくり返そうとする意気込みは伝わり面白い。

ただ、その時の証拠にあげる事例に逆に突っ込みたくなることも。検見性をやめたのは増税するためという一般論に対して、やめて増税できるならなぜもっと早くやらなかったのか、と反論しているが、定免性だと数年間の石高を平均する必要があるため、すぐにできなかったとも考えられる。

このように、いくつか疑問を残したままあわただしく進んでいくので、頭に入りづらかった。また、各章の出だしもはっきりとした問題設定やストーリーがないので、散発的な話題が次々に出てくるようで、文脈を読む想像力が働きづらく、読みづらかった。これは勿体無く感じる。

 

10月10日 

社会を結びなおす――教育・仕事・家族の連携へ (岩波ブックレット)
 

 これまでの家族・仕事モデルが通用しなくなったので、新しいモデルが必要だという本。仕事はワークライフバランスと女性活用、家族はそれに対応したモデルとなる。

グラフなど見たことがあるものばかりだが、手際よくまとめられているので、高校生の勉強会などには有用だとおもう。

 

 10月11日

 引用

私もアドバイザーとしてかかわったNPO法人「子どもとメディア」の2013年調査によれば、「ネット以外に自分の居場所がある」「ネット以外に熱中していることがある」「人間関係に恵まれている」と答えた小中高の児童生徒のほうが、そうでない子どもよりもケータイやスマホの使用時間はいずれも長い傾向が見られました。実態をよく知らない大人たちは、リアルな生活が充実していない子どもたちが、ネットの世界に耽溺してしまうのだろうと考えがちです。(18ページ)

 

ネット依存の程度を図ろうとするとき、いま世界で最も頻繁に利用されているのが心理学者キンバリー・ヤングが開発した尺度。

 

今日のコミュニケーション能力は、多種多様な商品が行きかう自由市場の貨幣と同等の役割を果たしているともいえます。貨幣さえあればどんな商品とも交換できるように、コミュニケーション能力さえあればどんな他者とも関係を取り結べるからです。(30ページ)

社会心理学者のシーナ・アイエンガーが行った実験で、24種類のジャムと、6種類のジャムの試食スペースを作ったところ、24種類の方が試食をしたが、買ったのは6種類のほうが多かった、とのこと。

 

今は内キャラ(自分自身が見せたいキャラ)も外キャラ(他人によってつけられるキャラクター性)によって駆逐された。(71ページ)

 

新聞記者の小国綾子さんは、生きづらさを抱えた若者や子どもの取材を長年にわたって積み重ねてこられた方。中学時代は自分もリストカッターだった。

 

引用

臨床心理学者の河合隼雄さんの言葉を借りれば、私たちは教育を行うとき、知的なレベルでは「個の倫理」に訴えようとしますが、実践のレベルでは「場の倫理」を優先させてしまいがちなのです。(『大人になることのむずかしさ』岩波現代文庫、2014年)(82ページ)

 

感想

教育のむずかしさや若者の扱いづらさを問題化しているように見受けられるが、そもそも問題なのか、疑問。

 

 

 10月13日〜14日

近代政治哲学:自然・主権・行政 (ちくま新書)

近代政治哲学:自然・主権・行政 (ちくま新書)

 

 メモ・気になった点

ホッブズの想定する自然状態では、人間観の能力の差を克服可能な相対的なものとしたはずで、スピノザの個性の発揮の論理とは相いれないと思うが、どうだろうか。
スピノザホッブズの論理を、ホッブズの内部で別の方向に展開したと評されているが、スピノザ的なものを認めないことにホッブズの「万人の自然権」があるのではないか。諸能力の差異化を禁じたからこそ、徒党を組む帰結が出てくるのだから。

 

1章 ジャン・ボダン 

引用

封建国家を考える上で避けて通れない書物に、フランスの歴史家マルク・ブロックの『封建社会』がある。……封建時代のヨーロッパでは、領主や家族、村落共同体や家臣集団などの上に、より広い範囲におよぶ様々な権力がそびえ立っていた。ところが、「それらの上位権力は、広域支配の代償として、長いこと、実効性に乏しい活動しかできなかった」。(17ページ)

→江戸時代の統治について最近読んだことと一致していて面白い。

 

封建国家の網の目状の統治機構を実際に形作っているのは契約関係である。……封主が契約に違反したと判定されれば、封臣たちは封主に対する一切の義務から解放され、封主に対して実力で反抗することも可能であった。つまり、封建的契約関係とは、確かに支配と服従の関係だが、そこには、封主と封臣の対等の関係があった。(20ページ)

 

封建国家には新法の制定という意味での立法の観念それ自体が存在しない。……つまり、国王の支配は国王と直接に契約している直属の封臣のみにおよぶのであって、一般人民との直接の関係は存在しない。(23ページ)

 

近代初期のヨーロッパは宗派内戦に苦しんだ。近代国家体制はそれに対する様々な反省の上に生まれたものである。しばしば、近代国家は1648年のウェストファリア条約をもって始まると言われるが、これは、ヨーロッパで最後にして最大の宗教戦争となった30年戦争に終止符を打った条約である。(26ページ)

 

ボダンは、主権の行使を「臣民全体にその同意なしに法律を与えること」と定義することによって、主権に立法権としての規定を与えたのみならず、立法権という概念そのものを創造したとも言えよう。……現代ではこの言葉は「国民主権」あるいは「人民主権」という言い回しによって、民主主義の根幹に位置付けられており、こういってよければ、ある種の”清潔”なイメージを持っている。ところが、この概念は血みどろの宗派内戦から生まれたものである。それに期待されていたのも、君主に対するあらゆる反抗を上から抑えつける機能だった。(32ページ)

→主権の印象が真逆なのが面白い。

 

2章 ホッブズ

引用

ホッブズが自然状態について最初に指摘するのは、人間の平等である。ただし注意が必要である。これは、「人間には平等な権利がある」とか「人園は差別なく等しく扱われねばならない」といった意味で言われているのではない。そうではなくて、「人間など、どれもたいして変わらない」ということだ。

確かに他の者よりも腕力の強い人間もいる。少し頭のいい奴もいる。しかしホッブズによれば、そうした違いも、数人が集まればなんとかなる程度の違いでしかない。(43ページ)

→この指摘はのちのスピノザを論じるときと矛盾するように思われるから気をつけておく。

 

人間は能力において平等であって……徒党を組むしかない。……かくして、自然状態においては絶対に争いが避けられないという結論が導きだされる。(45ページ)

 

したがって自然権という際の「権利」とは、その語感が与える印象とは異なり、一つの事実を指していることが分かる。自然状態において、人は単に自由であって何でもしたことができる。その自由という事実そのものを自然権と呼ぶのである。

……

とはいえ、なぜこのような複雑な概念が必要になるのだろうか? なぜ事実として人間は自由であることが権利として確認されねばならないのか? それは、この権利を規制することで国家が創設されるという理論を確立するためである。(49ページ)

 

自然権の放棄を基礎とし、けいやくによって 生成する国家を、ホッブズは〈設立によるコモンーウェルス〉と呼んでいる。このタイプの国家にこのような特別な名前が与えられるのは、当然、別の仕方で生成するコモンーウェルスが想定されているからである。これとは別の仕方で生成する国家は、〈獲得によるコモンーウェルス〉と呼ばれている。(54ページ)

 

 社会契約論として有名な〈設立によるコモンーウェルス〉の論理は、いわば、既に国家の中に生きているものたちに服従の必要性を説くために持ち出された方便にすぎない。ホッブズ国家論の核心はむしろ、〈獲得によるコモンーウェルス〉にある。なぜならば後者こそは、相互不信から戦争状態、そして団体同士の併合合戦へ、という自然状態論の論理に、無理なく、整合的に位置付けられる国家像であるからだ。

……

〈獲得によるコモンーウェルス〉を中心に据えた国家論は、自然状態の克服を前提としていないことになる。(57ページ)

 

3章 スピノザ

自然権とは、確かにーーホッブズの言うようにーー自分の力を自分の思うがままに用いる自由である。だが、その力は当然のことながら、様々な条件のもとにある。魚は自らの力を思う存分に発揮して生きているであろうが、その力には、水中を泳いで生きるという条件が課されている。どんなに強く望んでも、魚は地上を歩いて生きることはできない。(75ページ)

 

ホッブズは極めてリアリスティックに市z年状態を描き出した。けれども、そこには少々不純物が紛れ込んでいる。ホッブズは自分で斥けたはずのものを自然状態に持ち込んでいる。「恐怖によって結ばれた信約は義務的である」という考えは、自然状態ではあり得ないはずの義務の観念を前提にしているからだ。

 スピノザはここでもまた、ホッブズよりも上手にホッブズの概念を扱っている。(79ページ)

 

王は権限が強くなれば強くなるほど統治の実際から遠ざかっていくということだ。(93ページ)

→百姓の江戸時代にも同じことが書いてあった。

 

4章 ロック

ロックは「自然法」という言葉を用いて、それは「すべての人類に、〈一切は平等かつ独立であるから、何人も他人の生命、健康、自由、または財産を傷つけるべきではない〉ということを教える」と述べている。

……

自然状態について、そこには「何々すべき」と命じる法が有効に作用していると述べることは、したがって、こっそりと何らかの権威、強制力、論理を密輸入していることを意味する。つまり、ここに用いられている「自然状態」という言葉は虚偽である。(108ページ)

 

ロックは自然状態において所有権を認めたという主張によって有名である。(110ページ)

 

5章 ルソー

ルソーを読んでいると、まるで一般意志の内容を確定して、そこから個別具体的な政策が導き出せるかのように考えてしまうことがある。そのような解釈に基づいて、ルソーの社会契約論を現代風にアレンジしようという提案もある。しかし、ここで注目するべきは、ルソーが、一般意志は個別的な対象に対しては判断を下せないと繰り返し述べていることである。(156ページ)

 

一般意志の行使とは、主権の行使のことであった。後に見るように、主権の行使とは法律の制定である。(157ページ)

 

6章 ヒューム

ヒュームによる社会契約論への批判の出発点は実にシンプルなものだ。人間はさほどエゴイストではない、人間はそれほど利己的ではないーーこれがその出発点をなす。(178ページ)

 

黙約は正義をもたらし、正義は所有制度を安定させ、そして所有制度は占有、先占、時効、従物取得、相続といった一般規則によって構成される。(189ページ)

→黙約とは社会的慣習のこと。

 

社会契約論は、人々が自分たちで社会を作り出すという発想に貫かれていた。しかしヒュームによれば、社会が動き出すためには、黙約の形成という時間のかかる過程が不可欠なのだ。(196ページ)

 

7章 カント

カントの政治哲学が見出せるのは、「歴史哲学」の中。

 

では、人類が「道徳的存在者」として、自然から強制されている〈文化の目的〉とは何か? それは「普遍的に法を司る市民社会を実現すること」と定義されている。簡単に述べれば、法の支配が確立した社会の実現である。(207ページ)

 

共和的体制と民主的体制はいつも混同されているが、これらは区別されねばならない、と。つまり、各国家が目指すべき政治体制は、「民主的」な体制ではないというのだ。

 我々は望ましい政治体制のことを、ボンヤリと「民主的」という言葉で名指してしまう。カントは、我々のそうしたボンヤリとした判断ーーカント自身の言い回しを借りれば、「通俗的な理性の密かな判断」ーーに含まれる問題を明らかにしようとしている。(217ページ)

→カントが明らかにしようとしたことは、厳密な意味の民主制では、全員が行政に関わり、どのような判断も全員の判断とされること。それは専制へとつながる可能性がある。みんなで決めたことだからというように。だがそう考えると民主主義とはなんだろうか。全員で決めたのだからと常になんらかの専制を行い、排斥するプロセスなのだろうか。

 

彼らの議論から引き出されるべき今日的課題が見えてくる。

 近代の政治哲学は、行政に対する鋭敏な感覚を持ちつつも、やはりそこでは立法権中心主義とでも言うべき視座が支配的であった。それゆえに主権を立法権として定義することの問題点はじゅぶんには考察されてこなかった。だが、実際の統治においては、行政が強大な権限を有している。

 ならば、主権はいかにして行政と関わりうるか、主権はいかにして 執行権力をコントロールできるか、これが考察されねばならない。(239ページ)

 

 

 

 10月15日

和える-aeru- (伝統産業を子どもにつなぐ25歳女性起業家)

和える-aeru- (伝統産業を子どもにつなぐ25歳女性起業家)

 

 仕事の必要上、また、伝統産業と現代的な感覚で起こした企業の結びつきが気になって読んでみた。

もう少し伝統工芸に対する思い入れを話してもらっても良いかと思う。

 

10月17日

脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか (岩波科学ライブラリー)

脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか (岩波科学ライブラリー)

 

 社会心理学では、倫理観を記述する概念として次の5つの道徳感情が根幹をなしていると提案されている。
「傷つけないこと」「公平性」「内集団への忠誠」「権威への敬意」「神聖さ・純粋さ」

これらは「根源的な倫理観の要素」(モラルファンデーション)と呼ばれている。我々の倫理的規範はこの5つの倫理基盤に帰属すると、米国バージニア大学のジョナサン・ハイトを中心とした社会心理学者たちが提唱してきた。(21ページ)

 

現代の政治心理学の発展において中心的な役割をはたしてきたのは、ニューヨーク大学のジョン・ジョスト。

 

保守的な人が持つ恐怖に対する鋭敏な感覚は、視覚のレベルでも知られている。……政治的にリベラルな人と保守の人が、他人の顔をどのように認知しているかを調べた研究では、保守的な人は同じ顔を見ていても、その人が「脅威である」と感じる度合いが強いようである。(32ページ)

 

この政治的信条の脳研究は、政治的信条という一見高次な理性に基づく信念だと思われていたものが、もしかすると脳の構造という生物的な特徴にその基盤があることを示唆する。

……

「三つ子の魂百まで」を地で行く例なのだが、三歳時点の性格から、二〇年後の政治的性向が予測できるという研究結果が発表されている。……リベラルな大人になる子どもたちは、三歳のときすでに問題に直面した時に乗り越える能力を発揮し、自発的で表現豊かで、独立心が強いという特徴があった。一方、保守的な大人になる子どもたちは、不確かな状況に置かれると居心地悪く感じ、罪の意識を感じやすく、怖い思いをすると固まってしまうような子供だった。(39ページ)

 

オキシトシンを吸入することで、他社の気持ちを表情から読み取るという共感力も一時的に向上させることができる。(48ページ)

オキシトシンには嫉妬心を高めたり、他人の失敗を見て喜んだりするようになるという報告もある。(49ページ)

オキシトシンを吸入した後は他人を信頼しやすくなり、投資ゲームでも投資行動の上昇がみられた。

 

実のところ、このような薬など使わなくても、人間には自然にオキシトシンをださせることができる。ハグ(抱擁)などのように、体の接触があれば、人間あh自然とオキシトシンを放出する。(51ページ)

 

石黒浩氏の開発している「テレノイド」や「ハグビー」といった遠隔コミュニケーションメディアでは、対話している相手との身体的接触に近い感覚を作り出せる。(54ページ)

 

この公共財ゲームを見ると、人間にはもともと信頼や共感が備わっているから、自発的に協力し合い、すべてがうまくいくのではないかという予想がみごとに外れる。公共財ゲームの参加者たちは、フリーライダーがいるために、他人と協力することをやめてしまう。

チューリッヒ大学のエルンスト・フェールらが行った研究では、このようなフリーライダーの行動を制するために、罰を与える制度の意義を実験により示した。(69ページ)

 

ゴシップの存在には、個人の利己的な非社会行動を抑制する働きがある。倫理的にやましいことを画策していても、それが世間に知れてしまってhあ問題になるという心理が働くことによって、思いとどまることがある。……アダム・スミスは「人間は経済的利益よりも、よい評判を求めている」と書いている。(76ページ)

 

人は、他人に見られているときと見られていないときで行動が違う。これを心理学では「観客効果」という。(77ページ)

 

イギリスで行われた実験。紅茶を飲んだら自主的にお金を寄付する制度になっていた。そこに、花と目のポスターを交互に貼るようにした。そうすると、花よりも目のポスターを貼った時の方が寄付が多かった。

 

ベンサム自身は、功利というものをお金というよりは、心理的な快楽や苦痛を除くという観点から考えていた。実際に『立法と道徳の原理序説』の中では、快楽と苦痛の心理的状況をリストアップしている。そのような主観的感覚としての快楽を最大西、苦痛を最小にすることを善だと考えたわけである。だから功利(Utility)というのは、そもそも金銭的な利益だけではなく、心理的な主観的感覚のことだったのである。(84ページ)

 

オックスフォード大学のラシュワースらの研究。

このサルの研究により、大きな社会集団の中で生活しているサルほど、社会性と関わる脳の部位が大きく発達するということが確認された。

……

さらに興味深いことに、この前頭前野の大きさは、サルのオス同士の上下関係とも相関していた。つまり、この部位が持つ社会性の脳機能が、サルが社会の中で成功し上位の立場を獲得するのに役立つようなのである。(94ページ)

 

孤独感は遺伝するということが、行動遺伝学の双子研究により示されている。(98ページ)

 

幸福には、二つの側面がある。一つは、感覚的な快楽のことで、<ヘドニア>という。それとは別に、自己実現の喜びや生きる意味を感じることでえられる幸せもある。これは<エウダイモニア>と呼ばれる。(101ページ)

 

 

10月30日

IKEAモデル―なぜ世界に進出できたのか

IKEAモデル―なぜ世界に進出できたのか

 

仕事の都合で読んだ。仕事が忙しかったのと、翻訳はやはり読みづらく、時間がかかってしまった。

 

・イケアはダイバーシティと社会貢献に取り組むことで、事業が継続できるという。

・44カ国で、12万人以上が働いている。

・採用では経験や実力だけでなく、価値観の共有を重視している。

・貧困の問題に取り組む最良の方法は、イケアのような優良企業が雇用を生み出すこと。

・イケアの方法をサプライヤーに遵守させるため、第三者機関に逸脱していないか世界中のサプライヤーを調査させた。

・イケアは上場企業ではないので、長期的視点に立つことができる。

・長期にわたりオーナーが変わらないので、一貫性が育まれる。

・経営幹部を車内から登用することで安定性が確保され、成功の前提条件が確実に共有される。

発展途上国サプライヤーにおける環境と労働条件に対する懸念は、顧客その他の利害関係の間で高まる一方だったので、社会問題を2000年に前面に押し出し、供給戦略を立てた。

・児童労働に断固として反対している。

・日本のホルムアルデヒドの基準は、参入当時は他の国よりも非常に厳しく、他の国の2分の1だった。

・この本の著者は自由競争を大いに推奨している。

・イケアは非公開企業であり、より正確に言えばオランダの財団。1982年にこの構造が整えられた。創業者イングヴァル・カンプラードは、のちの世代が会社を分割や売却をするリスクを取り除くことで、イケアの将来を保証するため、もうひとつは節税のため。イケアの親会社はインカ・ホールディングBVで、これをスティヒティング・インカ・ファウンデーションが所有し、さらにこれをイケア・ファウンデーションが所有するという構造を持っている。

 

全体的な感想

どのタミングでロシアや中国に進出したか、また各国での参入状況・障壁がよくわかった。アメリカでの成功が話されているが、広く浅い記述のため、ストーリーに感情移入はしづらい。人物伝記というようなものではない。貴重な記録だと思うが、整理されていない印象。分量に比べて繰り返しも多いので、斜め読みでも大丈夫。