くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道、日常のことなど雑多に書きます

【読書感想】 一〇五度 佐藤まどか  

2018年初夏追記

最近、読書感想文を考えるために、このエントリーを読んでくださる方が少なくないようです。この過疎ブログをご覧になるくらいですから、感想を書けなくて困っている方ではないでしょうか。

コツというか、伝えたいことがあります。

 

『一〇五度』は、子供たちにどのように生きてほしいか、著者の願いがたくさん込められています。だから、感想を簡単に言葉にできない人こそ、必ず、心の中に何かをたくさん感じ取っているはずです。

せっかく素晴らしい読書体験をプレゼントしてもらったのだから、やっぱり、自分の言葉で、自分の心と頭で、考えて書いてみましょう。

 

書くことがまとまらなければ、そのまま、「書きたいことがまとまらない」、と書きましょう。それで、なぜまとまらないのか、どの部分が気になっているのか、自分の心を描写してみましょう。思うがままに書きましょう。文章の稚拙さなど考えずに、あなたの心の状態を、そのまま書けば良いと思います。

 

本の感想がなく、今夜のご飯のことばかり考えているのだとしたら、それをそのまま書いて、なぜ本の感想を考えないのか、まとめてみましょう。

自分の心の声に耳を傾ける時間は、とても大切です。

優れた感想文を大人は欲しがっている訳ではありません。どれだけ自分を見つめられるか、それを期待しているのだと思います。

 

 こんばんは。吹雪です。

あすなろ書房さんから出版されている佐藤まどかさんの『一〇五度』を読みました。

 

一〇五度

一〇五度

 

 

この本、とっても青春していて面白かったです。

ごく簡単にネタバレしない程度にあらすじを紹介すると、椅子に特別な愛着を持つ主人公が、学生デザインコンペにモックアップを作って応募する、というストーリーです。随所に気の利いたアイデアがちりばめられており、リアリズムもあり、また精密な登場人物の心理描写もありで、大変素晴らしいヤングアダルト文学でした。

友達と目標を共有して濃密な時間を過ごすことができるのは、アガる設定です。そういう青春って、楽しそうですよね。しかも、部活の大会とかではなく、自分の興味から発した目標なのだから、なお自由で大人っぽくて、やりがいも感じられて、羨ましいなと思いました。そういえば、僕は高校生の時に中原中也賞が欲しくて、詩の出版をどこかでしてくれないかとあちこち応募していましたっけ。

 

僕のことはさておき、「耳をすませば」的な背伸びした学生っていいですね。このように大人の世界に切り込んでいく若者の成長ストーリーをもっと読みたいなと思いました。

 

読後感として不満はないのですが、こんな展開もアリでは、という気持ちも湧きましたので、いくつか備忘録がてら感想を書きます。

 

父親が、今や絶滅危惧種と思われるほどに「地震雷火事親父」のド迫力。主人公を殴って2メートル吹き飛ばし、主人公は恐怖から逆らえなくなるエピソードが出てきます。

 

この父親、読んでいて腹が立ってくるほど、頑固で、たくましくて、越えられない壁で、圧倒的に物分かりが悪くて(子供目線)、自分の考えを押し付けてくる。

こんな親って、今、いますかね……? 古い親父イメージと思う反面、ぶっちゃけ、ああ、こういう父親はやっぱりいい親だし立派だわ、と思うのですよ。

とはいえ、父親は実は完璧ではなく、主人公の弟への対応は疑問しかない対応なので(弟を病弱だからと努力させない)、賢い親が厳しいふりをしているだけとは思えないのですが……(著者は父親との間に何かあったのでしょうか)。

この父親との対立が物語の推進力になっていますが、実際には、父親ではなく、周囲の友人との対立が原動力になっている人が少なからずいるとも思いますので、そういった周囲との関係性の果てに、成功するストーリーも読んでみたい気がします。

椅子を偏愛するマイノリティの立場を堂々と受け入れる主人公たちの姿が冒頭で描かれますが、せっかくの魅力的な同級生とのエピソードをもう少し読みたかった気もします。しかし、そうなると個性の書き分けも大変ですし、エピソードを回収するには字数が多くなりますから大変ですね。

 

 

また、主人公の能力が高すぎるので、椅子のアイデアについても、「ああ、頑張って考えたんだな」くらいしか印象が持てなかったので、創造する苦しみが伝わるとより共感できるかなと思いました。閃くまでのプロセスがほしかったなというか。しかし、それをやってしまうと、暗くなってバランスが悪くなるので、まあ、必要ないかもしれません。

 

もう一つ。好きなことを仕事にするのは大変だと本書では書いています。その通りだと思いますし、子どもたちには、将来を慎重に決めさせるために、そう言いたくなる親の気持ちもわかります。

これは本書への批判では全くないのですが、就職活動で書かされ言わされる「志望動機」は、どれだけ仕事に関することが「好きで本気」なのかが重視されたりしますよね。じゃあ、結局好きなことをどうやって仕事にするか考え続けていた方が実際に生きていくには良いのでは……と思いました。それに、プロクオリティで仕事できる人って、やっぱりその仕事が好きだと言える人かなと。いい学校行ってエリートサラリーマンや官僚になることに、リアリティを感じる子どもたちはいるのかな。かなりリアリティがなくなっていると思うのです。

 

また、これからの子どもたちが働く上で、重視することは一体なんでしょうか。想像しづらいのですが、苦労に折り合いをつけられるかどうか、そういったことではないでしょうか。だとすると、好きなことを仕事にした方が良いのではないのかなと。

 

さらにもう一つ。では、好きなこと、夢中になることを選択していくことを子どもたちに勧めたいかというと、それも少し疑問です。

僕に子どもが生まれて気づいたのは、性格や能力って結構遺伝するな、ということでした。先祖がどういう生き方をしたかったのか、どういう環境に適応してきたのか、どういう衝動を持って生命を分化させてきたのか、そういうことを考えると、自ずと自分に向いている職業や働き方はあると思います。

本書では、主人公の祖父が椅子職人なので、そういう「血」について触れられていますが、そのあたりをすっ飛ばしている小説も多いですよね。僕はむしろ先祖がどういうことをしてきたか、主人公がそこから発想する小説が読みたいですね。

 

でも子どもたちには、本書のような体験をしてほしいです。この本の中で書かれていることは、人に任せられる強さであり、人と協力しなければ生きていけない、「素晴らしい弱さ」なのです。この「素晴らしい弱さ」に気づくことは、やはり人と105度で背中合わせで支え合わないとわからないと思います。

 

最後に、夢を持った多くの人が感じるであろう気持ちを歌った、REOLの「No title」を。


[MV] REOL - No title

【読書感想】 『千の種のわたしへ』 さとうまきこ

児童書編集者にジョブチェンジをしたので、児童書をたくさん読んでいます。

児童書って、読みやすいですし、無駄な文章をそぎ落としているのでいいですね。

 

今回感想を書きつつご紹介したいのは、『千の種のわたしへ』(偕成社)です。

千の種のわたしへ 不思議な訪問者

千の種のわたしへ 不思議な訪問者

 

 

著者はさとうまきこさん。この著者の本は、『9月0日大冒険』を読んだことがあります。この『9月0日大冒険』は思い出の本で、小学校1年生か2年生の頃に、地元の図書館で本棚を見上げていたら、隣のお兄ちゃんが「これ?」と言って取ってくれた本でした。本当は違う本だったのですが、せっかく取ってくれた手前、言いづらくて『9月0日大冒険』を借りて読んでみました。

すごく面白くて夢中になって読んだのを鮮明に覚えています。恐竜の卵をかき混ぜて生で飲むところや、ぬるいとろっとしたエメラルドグリーンの水の池で泳ぐシーンなど、まるでその場にいるかのようで、とても興奮しました。

もう一度読みたいと思っていた本でしたが、タイトルを忘れて二度とめぐり合うことができず、わたしの中で伝説化した本でした。しかし、ネットの時代はすごいですね。少ない情報でも『9月0日大冒険』にたどり着くことができて、久方ぶりに読んでみたら、やはりとても面白く、さとうさんの他の本も気になって読んでみた、というわけです。

 

さて、今回の『千の種のわたしへ』の感想です。

あらすじをざっと紹介すると、不登校になった千種の元へ、クスノキの精霊がやってきます。精霊は、千種の元に5人の訪問者が来て、身の上話ををしてくれると告げます。最後の話を聞き終わった時に、千種は自分が変わることになるとクスノキは言います。それを信じて千種は訪問者を待ちます。訪問者との楽しい時間と、その時間が終わってしまう切なさが千種の胸に混ざりながら、千種は自分の心が少しずつ揺れ動き、感情が豊かになっていることに気づきます。そうして千種は再び動き出すことができる、そんな話です。

 

千種が不登校になる理由のたわいなさと、それを千種が自覚し、自分をダメな人間だと思い、そのダメさ加減に激しく焦燥感を覚えるさまがよくかけています。

また、反抗期ゆえのピリピリした感覚や、母親の言葉への感度などもよく表現されています。

ひとえに、この本の魅力はこの上記の点だけでも十分ではないかと思うのですが、言葉のワンフレーズが、人の心に残り、その人を動かす力になることを本書はよく描いています。

例えば、「道はどこまでもつづいているんだから」「思い出は永遠だ」「大切なのはおそれをすて、羽ばたくことだ」こういった言葉が千種の心に残り、力となります。

 

何気ない言葉が、その人の行動規範になる。よくあることだと思います。だからこそ言葉には力がある。本来、力がある言葉を届ける役割だったはずの千種の母親は、「表現力がない」と自身が言うように、反抗期の娘には届けることができないのだなと思いました。その役割を5人の使者が補うのです。

子供達に力ある言葉を届ける大切さがよく描かれていました。それは、大人の責任でもあり、作者が密かに伝えたかったことなのだろうと思いました。

 

 

茶道の話 石洲流 64 備忘録 【盆点前】

こんばんは。吹雪です。

そろそろ毎回違う点前をやるようになってきて、覚えるのが大変になってきました。次回は桑小卓ということなので、予習しておかなければ。

 

今回は盆点前をやりました。夏向きの簡略化した点前ということですが、なかなか面白かったです。

 

【仕込み】

お盆の上に、茶碗(茶巾、茶筅(前に向ける)、茶杓を仕込む)と棗を乗せ、袱紗をかけて、鉄瓶の前に置く。

今回は襖を開けたまま、礼をして建水を持って入室。襖を閉めずに、まっすぐ進んで座る。

建水を置き、袱紗をそっと持ち上げて腰につけ、建水を少し前に出して挨拶する。

袱紗を持ち上げるときに、手の指は三本で持ち上げ、茶杓茶筅が動かないように気をつける。難しいので、指を広げて袱紗を少し持ち上げてからすっと取ること。

 

【点前】

茶碗は仮置き。壁付きに置く。壁付きには遠慮せず思い切り近づけておいて良い。

棗を清め、鉄瓶の横に(普段は水差しがあるところに)置く。

お盆を清めて、茶碗を置く。茶杓を清め、棗の上に。茶筅を取り、棗の横に。

茶巾を右手で取り、膝のあたりに手を置いて、左手で鉄瓶を持ち、茶碗に近づける。

茶碗にお湯を注ぐ時は、注ぎやすいように、右手の茶巾を鉄瓶の底の方に当てること。

お盆を清める時は、小指を少し外側に向けて、両手で持って少し手前に引く。清め方は、五角形を描くようにするが、四筆でやるため、最後は閉じない。

 

茶筅通しをしてすすぎ、茶巾で清める。畳んだ茶巾は鉄瓶の蓋の上に。この時も親指は向こう側になるので気をつけること。それから抹茶を入れる。

抹茶を入れるときに、棗の蓋はお盆の外、4時くらいのところに置くこと。

お茶を点てて出来具合を確認し、お出しする。

 

【終い】

終い茶碗が来たら挨拶して終い点前をする。

お湯で洗い、手で雫を切るのは平点前と同じ。

茶筅洗いも鉄瓶のお湯でやる。

茶巾を巾の字を書いて拭いたら茶碗の向こう側において、茶筅を前に向けて置く。茶杓を清めて置く。

茶碗を仮置きに。

お盆を清める。

お盆は両手で持って膝におき、右手で清める。お盆を膝前に起き、棗を清めて、右手でお盆の上に置く。茶碗を右手から左手に持ち替えて置く。

袱紗をかける。

これが少し難しいので注意。

袱紗を右手で取り、先端を少し摘んで、左手でもつまむようにする。

目の前で四角形の袱紗が広がっているような状態から、

左手と右手でつまんでいる頂点を合わせる。(当然、この時も手は三本指で)

右手を滑らせて、右側の頂点をつまむ。

この時、3つの頂点が重なっていることになる。

それから、左手を右手から離して一番左の頂点を離す。

右手は、手のひらで一番右の頂点、指先で真ん中の頂点をつかんでいることになる。

 

こういう持ち方をすると、四角形が45度ずれて、広げるとダイヤ型のようになる。

下側の頂点をお盆の淵に合わせるようにし、右手の手のひらの頂点を離し、左手を離し、右手の指を離して、茶碗に袱紗をかける。

これを自然にやるのは難しいので練習して置くこと。

建水を持って退出する。

礼をして終わり。

 

お菓子は大和屋さんの鬼灯の生菓子でとても美味しかったです。

お軸は、「瀧」でした。

 

 

 

 

【いまさら】山内マリコ 『かわいい結婚』 【レビュー】

世の中の女性のみなさん。既婚女性のみなさん。

 

どうですか。この本。山内マリコの『かわいい結婚』。

 

かわいい結婚

かわいい結婚

 

 

 いや、すっごく面白かったんですよ。

 

あるあると思って読む人多いだろうなと思ったし、文章がうまい。読んで楽しい。

描写に無駄がなく、笑いを取りにいくときもアイデア豊富で、センスがあって、かっこよろしい。

 

プロの業(ワザ)ですよ。ええ。軽いけど、浅くない。かすったのに、致死。

 

かつて「恋はボディーブロー」とかいうミュージシャンがいたけど、やっぱり「結婚もボディーブロー」だったのねっていう本だと思いました。じわじわ来ているのがよく書けている。

 

しかも、よくある「女性って大変だよね」だけじゃない。

例えば、結婚を機に義理の母から、「息子のお世話、よろしくね」と言われて、「なんなんだこれはいったいなぜなのだ」という気持ちを抱いた表現など、とても良い。

 

ジェンダーとしての女性を通り越して、中性的なところを今の女性は生きているということなのかもしれない。実際、旧世代的な役割分担って、リアリティない人も少なくないと思う。そういうところがよく書けている。

 

天才ですわ。

天才と評するの、なんだか申し訳ない。才という気が走ってますわ。

 

 

ところで、ひとりのしょうもない男性として、私はなんだかもやもやとしています。

amazonかどこかで、「男性の感想を聞きたい」というレビューや感想もちらほら見かけたので、恥ずかしながら、わたくし立候補させてもらいます。書きますよ。

 

 

 

確かに、女の人が男の世話をしなきゃいけない、というのはどうかと思う。

 

いまだに女性の手作り弁当をめぐって、学生がスッタモンダする、漫画の描写、ありますね。

あれ、すっごく嫌いです。自分が食べたいものは自分で作りなさいよ。

 

 

僕、週末に、1週間分の料理を作り置きしております。3〜5時間くらいかけて、10〜15品くらい作る。料理結構得意です。

(唐突に自慢ぶっこんですみません)

 

作り置き料理に野菜が足りなくなったら、サラダなどをその都度追加する。ドレッシングは「人参、玉ねぎ、しょうが」などをすりおろして保存しているので、栄養満点です。

どんなに忙しい人でも、1週間に1日くらい、休みがあるでしょう。その1日の3時間を料理にあてるなんて、簡単です。

お酒飲んで音楽聴いたり考えごとしながら料理すると、ぶっちゃけ楽しい。だから、男性は料理しましょう。美味しい節約料理を作りましょう。もう一度言います。ぶっちゃけ楽しい。奥さんも助かります。喧嘩も10分の1くらいに減ります。美味しいご飯にはそれくらいの威力があります。

 

さて、家事や育児や料理などを十分手伝ってくれる男性が増えたとしましょう。

女性の皆さんは、それで、文句ひとつ言わず、「ああ、幸せな毎日だわ」と思うでしょうか。「理解してくれて、一緒にいて楽しくて、真面目に働く。完璧な夫なの。ウフフ」となるでしょうか。

 

たぶん、それでも不満が出てくるものではないかと思うのです。 人間だもの。

 

男性だって、不満を持ったり、役割を強制されているように思ったりして、辛いなと思うことがあるでしょう。

 

しかし、男性って、かなり状況が悪くても、びっくりするくらい能天気だったりしますよね。

 

「こいついつも幸せそうなツラしてやがんな。悩みないのかテメー」

 

女性のあなたは、そう思うかもしれない。

 

そんなとき、男性諸兄は意外とこう思っておる。

 

「ご飯はカップ麺で、楽しみはニコ生でゲーム実況見ること。一生それでもいい」

 

ウソみたいだろ。満足なんだぜ。それで……。

 

つまり、幸せのハードルがけっこう低い。だから、嫌なことがあっても、小さな幸せでごまかすことができるし、あまり不満を感じないのです。

(もちろんみんながそうじゃないよ!)

 

幸せのハードルが低いのは、男性には謎の安定感があるからではないか。

多分、男性は1ヶ月に何回もホルモンバランスが崩れることがないからではないか。

 

一生、同じようなホルモンバランスで、謎の安定感にどっかりあぐらをかいている。

この謎の安定感があるから、奥さんが保育園入れなかったらどうしよう、と相談を持ちかけているのに、

 

「富士山はフィリピンからプレートに乗ってやって来たんだって!

ロマンあるよね! 俺が総理大臣になったら、フィリピンに返そうかな。ワハハ」

 

とまるで関係のないことを嬉しそうに話すのです。

(上記のようなことを言えるくらいならまだマシだよ!) 

 

でも、こののんきさは、人類が生存する中で必要だったはずなのです。許してやってください。本人は、一所懸命生きているのです。

 

 

さて。

 

 

山内マリコさんの本の話。

 

いったい、男性にどのような役割を持ってもらうのが良いのでしょうか。

女性が不満を言わなくなるためにはどうしたらいいのでしょうか。

 

そんな続編を書いてください。

幸せな結婚生活、夢見たような素敵な結婚生活、きっとどこかにあると信じたいです。

茶道の話 石洲流 61~63 備忘録 【茶箱】

こんばんは。吹雪です。

子供のことなどひと段落しました。

 

今日はエントリーがたくさんです。

下書きを見ているうちに、なんとなくバンバンアップしたくなりました。下書きはいっぱいあるよ!

 

さて、お茶の備忘録です。

61回目、62回目は、7月23日にあったお茶会に向けての練習でした。

平点前です。わたしからは足の運びが気になるので質問させていただきました。

戸のくぐり方や、踏み込んだときに回って戸を閉めることなど教わりました。

 

63回目(今日)は茶箱をやりました。

 

茶箱を使うときは、鉄瓶を使うそうですが、今回は鉄瓶がないので、釜を使いました。水差しも使います。茶箱は水差しの前に置いておき、建水(蓋置+柄杓)を持って入室します。通常は水差しの場所に茶箱を置くそうです。

 

また、茶箱の準備は以下の通り。

 

茶巾は鉄瓶を使う場合は、三つ折りにする(S字型)。つまみやすいように、輪の方を点前側にして、先端が左側を向き、茶碗の中側に来るようにする。

今回は釜だったので、茶巾の腹側が右側になるように、横向きでおく。

茶碗は、右下側に。棗は左上に。茶碗の中の茶巾の上には、金平糖を入れた振出を置いておくらしい。今回はなかった。

上記のものを入れて、中蓋を閉める。中蓋の上には、茶杓が上を向けて左側に置く、袱紗は右側。また、茶筅筒に小さめの茶筅を入れて、右上の穴から入れる。

袱紗のたたみ方は、四つ折りの半分に折って、ヒダヒダの方を右側に。端っこを三本指で持って、パラリとできるようにとのこと。

 

さて、建水を持って点前だたみに踏み込み、今回は風炉と釜だったので、風炉に向かう。風炉のカンを袱紗がないので手で下ろす。これはイレギュラー。

そのあと、建水を下げて、茶箱の前に移動し、茶箱を持ち上げて点前座に向く。持ち上げるときは、両手で少しだけ持ち上げること。両手が畳に擦れるくらい。

点前座に向くと、茶箱の蓋をあけて、茶箱の左側に置く。蓋を回転させるときに、手は滑らせるようにすること。

茶筅筒を右手で取り出し、そのまま置く。蓋と茶箱の真ん中に。真ん中とは言っても、蓋と茶箱に挟まれるようにはしないこと。

中蓋を持って、蓋の上に置く。中蓋を持つときは、心持ち真ん中あたりを三本指でそっとつまむようにして持つこと。

振出を取り出す。右手で持って、左手で受け、右手で持ち直して、お茶を出すところに置く。右手で持ち直すときは、茶杓を拝見に出すときの動きでやること。振出をお客様に向けて置くときの向きがあるとのこと。

次に、棗をとる。右手で上から持つようにしてとり、左手で受けて、右手で横から持ち直して、水差しの右側に置く。

次に、茶碗を、右手でつまむようにしてもち、左手で受けて、右手で持ち直して、茶箱の横に仮置きする。

茶筅筒を右手で持ち、左手で受けて、右手でグッとしたから押し、右手で二回引っ張って取り出す。このとき、筒を中心から心持ちそらし、先端は右側に少し向けること。刀を構えるような感じだと思った。茶筅筒を左手で受けるときは、下の方を三本指で持つこと。

茶杓を右手で取り、左手で受けて、右手で持ち直して茶碗の上に置く。

茶碗を右手で持ち、左手で、水差しの左のほうに置く。

中蓋をしめ、茶筒を右手でとってそのまま入れ、蓋を閉めて、壁付きの方に移動する。建水の方にかなり下げて置くこと。そうしないと、蓋置が置けない。

柄杓、蓋置を取り出し、いつもの場所におく。

一服差し上げます、と礼をして、薄茶の手前と同じようにして始める。

途中は平手前と同じ。

 

しまいの手前は、途中までは一緒。ただし、茶巾を茶碗に置くときに、ひねって輪が右側に向くようにすること。

 

以下、やや順番が怪しいので要注意。

 

水差しの蓋を閉めて、拝見の挨拶(今回はない)の後、手前座に向き、柄杓と蓋置を取り、そのまま手前座に向いたまま、建水のところに、蓋置、柄杓の順において、少し下げる。

それから、茶箱を膝前の位置まで持ってきて、蓋を取る。

茶碗を茶箱の隣に置いて、茶筒を取り出す。中蓋に茶杓を置く。

茶筒を右手で取り、左手で受けて、茶筒に茶筅をすっと入れ、そのまま右手で持ち直して、左手でポンと突き上げて、茶筅を入れるようにする。

中蓋をとって、蓋の上に乗せる。

茶碗を右手で持ち、左手で受けて、右手でつまむように持ち直して、右下に入れる。

棗も、同様に、右手で持ち、左手で受けて、右手で上から持って、左上に入れる。

振出を茶碗の上に置く。(振出の持ち替えが必要か確認すること)

 

中蓋を閉めて、茶筒を入れ、蓋を閉める。水差しの前に置く。

建水を持って下がる。風炉を清めて、席を立つ。

 

茶箱はなかなか楽しいお点前でした。工夫というか、何が出てくるか、気になって面白いです。

 

それではお休みなさい。吹雪でした。

企業が求める「コミュ力」って、「女子力」並みにわけがわからん。というか、企業の優しさじゃね? という話

企業人事が求める能力の1位を独走しているのが、「コミュ力」らしい。

 

そこでわたくし、出版屋としては、『コミュ力をつける本』っていう書籍を出したいと、ちょっと考えるが、まあ、ほとんど売れない予感がする。

いや、断言する。これは売れない。

 

『読むだけで誰とでも30分楽しく喋れる本』という方が、かえって売れると思うし、『コミュ力ねーよと開き直ってかえって好かれる人の開き直り方』みたいな方が好まれると思う。

 

つまり、コミュ力そのものって、総合的すぎてレベルアップさせられないし、レベルアップを求めている人もそんなにいないと思うわけ。 

例えていうなら、バッターボックスに立つ前に「人間力を高める本」を読む、そんな感じ。大きすぎて、使えないですわな。

 

コミュ力ないなと悩んだ人であっても、解決しようとするときは、きっと「会話上達本」とか、「連絡メール術」とか、そういう具体的な知識で乗り越えようとするはず。

本の売れ行きを調べると、そんなことが予測されるわけ。

 

コミュ力」って便利な言葉だけど、実態を何も言い当ててないんじゃないか、そう思うわけです。

空虚な空文。女子力なみに、言ったつもりになっているだけで、言い当ててはいない。

 

 さて、企業が「コミュ力」を求めていると言い始めているのって、日本大丈夫かと心配したくなる。あってないようなものを当たり前に求める風潮ができているってことだと思うから。

 

でも、企業が「コミュ力」と言い出したことを、もう少し真面目に考えてもいいかもしれない、そう思うようになった。

 

言い換えると、こういうこと。企業がコミュ力を求めている、と言われて、なんとなくめんどくさい感じがするでしょう。わたし、げんなりしている若者のあなたに、まあ、こう考えてみてはいかがと伝えたいことがある。

 

わたくし思うに、これ、実は、あなたにパーリーピーポーになって、会社でウェイウェイwやりなさい、と言っているわけではないと思うの。

また、上司が口を開きかけるや否や、上司の言わんとすることを理解せよとするような、念能力者並みの超能力を求めているわけでもないと思うの。

それに、一見いじめと思えるような愛のムチに耐える忍耐力を求めているわけでもないと思うの。

 

じゃあ、企業がコミュ力を求めるって、なんでしょう。

 

これ、きっと、企業が「あなたとコミュニケーションとる準備ができてますよ」というアピールだと思うわけ。

心を閉ざさずに、こっちへおいで、色々相談しておくれ、ということなの。理屈から考えてもそうだし、いや、そういうことにしておこう。

 

 コミュ力を求めるって、実は日本の会社の優しさの表れなわけ。

 

明日も頑張りましょう。

和包丁を使いなさい

今回は、和包丁をごり押しするエントリーです。

 

料理好きで和包丁が気になっている方。

買おうと思ったものの種類が多くていまひとつ実感がわかない方。

そんな皆様にへ向けて書いています。

 

さて、最近お気に入りの和包丁の話を。

幼児食を食べている娘は、アジが大好きです。

小さめの切り身を焼いて冷凍しておき、ご飯のたびに解凍して食べさせています。

手づかみでパクパク。食べ終わると「アジ、アジ」と催促するくらいです。

 

 

娘が好きで体にもいいし、アジを常食にできたらいいなと思い、うまく捌けるようになりたいと思いました。

もともと、三枚に下ろすのは苦手ではないと思っていました。

小さい頃からよくやっていたし、アジの漬け丼を作ったり、鯛を捌いてお造りと鯛飯を作っているからです。

 

ところが、娘にアジの身を渡す時に、身がボロボロになって持ちづらいことに気づきました。

確かに、魚の身は、焼くと崩れるものです。

しかし、それ以上の崩れ方をする。冷凍庫へ入れる段階で、切り身ではなくほぐし身のようになってしまっている。

これは、三徳包丁で切る時に切りづらくて身をグッと抑えてしまい、身が潰れるからです。これまでの料理を振り返っても、身がボロボロになっていた気がします。

 

あとで説明しますが、これは包丁の切れ味の問題ではありません。刃の形の問題です。

そこで、色々考えた結果、これを買いました。 

 あ、このブログは、アフィリエイトなんかじゃありませんよ。メーカーや写真、スペックといった情報がわかりやすいので引用しているだけです。

 

舟行という包丁、漁師が舟の上で使ったと言われています。

そのため、魚をさばくための出刃包丁と、魚を刺身にするための柳刃包丁の中間のような包丁が便利だったのでしょう。揺れる舟の上で包丁を何本も使い分けるのは面倒そうです。

出刃包丁は分厚くて短く頑丈。

柳刃包丁は薄くて長いので一回包丁を引いただけで下まで切れる。

その両方の特徴をそこそこ兼ね備えた包丁が舟行包丁です。

 

さて、なぜアジをさばくのに舟行包丁を選んだのか。

それは、アジきりという小型の出刃包丁があるのですが、それよりも汎用性が高いかなと。普段の三徳包丁の代わりにも使いたかったのです。

例えば、葉っぱものをみじん切りにする時に、切れ味が悪いと潰れて緑色の汁が出て料理があまり美味しくなりません。舟行包丁なら、あまりそうはならないわけです。

出刃包丁よりも薄いので、小さな魚を下ろす時にも身がめくれるのに邪魔になりません。また、頑丈なので、大きな魚もさばけます。

 

そんな舟行包丁。いきなりこれを買うのもどうかと思いますので、柳刃をお持ちの方は、ぜひ、出刃や三徳の代わりに使ってみてはいかが。

 

さて、和包丁全般の使い心地についてお話ししましょう。

 

魚に限らず、野菜も肉も、木材をカンナで削るみたいに、すーっと身が離れます。これには感動しました。三徳包丁だと、「えい、えいっ」と力を入れてギコギコしないと切れなかったのが、和包丁ではズバッとさばけます。

魚をさばくとき、特に感じるのは、刃が骨と平行に入れ安いんですよね。三徳のような両刃の包丁だと、刃の部分と骨をくっつけるようにして切ると、骨と刃が平行にはならないし、平行にしようとすると、微妙に骨と刃に隙間が開くんですよね。あと包丁が外側に逸れていくというか。

 

もう一点、片刃の包丁は研ぎやすいです。べたっと表を砥石にあてて研いで、かえりが出たら、裏側をさっと1回砥石で撫でます。両刃は、裏も表も同じ角度で同じだけ研がないといけないので、難しい。使いづらい。

研ぐと切れ味が恐ろしいほどになりますよ。鋼の重みだけでトマトもネギも切れるようになります。

 

お手入れは、給湯器のお湯でじっくり流して、ふきんでさっとふくだけ。

水分が飛んだのを確認したら片付けます。神経質な人は油をさっと塗っても良いかもしれない。

 

お手入れも意外と楽で、切れ味も抜群。料理の美味しさが引き立ちます。研ぎやすいし、おまけに値段も安い。

 

和包丁、本当にいいですよ。迷っている人は、ぜひ。