くもり空の形而上学

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空条承太郎が時を止めることについて

久しぶりの更新が、「JOJOの奇妙な冒険」という漫画のキャラクターについてです。

 

今回取り上げたいのは、第3部の主人公であり、人気キャラの空条承太郎

 

彼の人気は、「スタンド」と呼ばれる特殊能力の圧倒的な強さによります。(それと、承太郎のクールで無敵なキャラ。)

彼の能力は「時間を止める」ことです。第4部などではほぼ無敵の強さを誇るため、とにもかくにもカッコイイ。

 

この記事を読む方には説明不要かもしれませんが、議論の前提として押さえておきますと、劇中ではスタンドというのは「精神性のあらわれ」であり、「精神エネルギーそのものが力あるビジョンとなったもの」となっています。スタンドが壊れれば、持ち主である本体も死にます。

 

例えば、第3部のラスボスDIOは、「ザ・ワールド」というスタンドを持っており、このスタンドは「時間を数秒間だけ止める」ことができます。

DIOはどのような精神の持ち主かというと、「方法や過程などどうでもよい」というセリフと吸血鬼になってしまったことに端的に表れているように、「人間らしく生きることをやめた支配者」です。

 

そんなDIOが時間を止めることができるのも納得です。

というのは、「時間を止める=存在を支配する」ことであり、「手段を問わない=プロセス(生きている過程)を問わない」ことが時間支配の能力で、究極に体現されるからです。

 

注目したいのが、「プロセスを問わない=結果だけを求める」のは、JOJOの奇妙な冒険では、絶対悪のひとつとして描かれていることです。第5部のボスはディアボロという名前のマフィアのドンですが、その彼の能力も、「プロセスを吹き飛ばすことができる時間能力」です。そして第5部の劇中でも、「吐き気のする邪悪」として描かれています。

 

「友情・努力・勝利」を掲げる少年漫画的にもその方が望ましい事情もあるのでしょうが、私は、作者の荒木氏が現代社会に対する思想表明として、「結果だけを求める=悪」を意識的に描いているように思います。

 

つまり、JOJO全編を通じて解釈していくと、「プロセスを問わない=時間を止める=悪」のはずなんです。そして、「邪悪の化身」であるDIOがこの能力を持ったのも当然納得できます。

 

納得できないのが、ではなぜDIOを打ち倒す存在である空条承太郎が、時間を止めることができたのか。彼の精神性は、「支配者」なのか。どういう精神だからこそ、DIOの「支配の精神」を超えることができたのか。

 

それが謎でした。今回そのことについて解釈を出したいと思います。

 

承太郎は、「俺を怒らせた」から、DIOは敗北したのだと言います。

では、「承太郎の怒り」とは、どのようなアレゴリーなのでしょうか。

 

承太郎の「承」という文字は、「引き継ぐ」という意味を持っています。名前からは容易に、「繋がり世代が続いていく」命のありさまをキャラ設定に盛り込みたかったのだろうと連想させます。

永遠の命をもつDIOと、死と誕生という「命の運命」を背負った承太郎はそこでも対極的です。

つまり、「命の本質、命そのもの」と、それを利用しようとする「邪悪」が対比されているわけですが、しかし、「命そのものの怒り」と言われても、よくわかりません。実はこのテーマは第5部で究極のレベルまで掘り下げられるのですが、今回はそこには触れません。

 

命そのもの怒りとは、例えば、会社組織を考えていただければよいでしょう。結果だけを問われ、汚いことをやり続けていれば、当然意欲もなくなるし、社会的にも存在価値がないでしょう。やがて良心の咎めや社会的な怒りが、やがてその会社の思想「結果=業績だけを追求する」ことを糾弾し変えてしまうはずです。

 

作者が描きたい対立構造と、そこに盛り込みたかったテーマも、そこまで難しくはありません。

 

問題は、「命を肯定する側の人間が、なぜ時間を止める能力を持つのか」ということなんです。

 

劇中には残念ながらこの答えはありません。「スタープラチナのパンチは光速を超えるから」という説明がありますが、現象説明であって、主人公にその能力を持たせた作者の思想を説明するものではありません。

 

私はこの作品の大きな矛盾に思い、悩んでいたのですが、やっと一つの解釈を得ることができました。

承太郎が時を止めることについては、おそらく、ゲーテの戯曲『ファウスト』が下敷きになっています。

 

承太郎の立場は、命の肯定であり、JOJOのテーマである「人間賛歌」です。

ファウスト』の最後は、ご存知の通り、人間が助け合いお互いの未来を作る姿(まあ、土木工事なんですけど)をファウスト博士が見て、「時間よ止まれ、あまりにお前は美しい」と呟き、メフィストフェレスが魂を奪おうとしたところに、天使がバラの花びらを降り注いで、ファウストの魂を天上へと導く、というものです。

 

つまり、人間賛歌の瞬間、命の全肯定の瞬間は、「時間よ止まれ」ということなのであり、JOJOもこの思想を引き継いでいるのです。多分。そう考えるとまだ納得ができます。

 

そんなわけで、承太郎が時を止めることができるのは、彼が支配者の属性を持っているからではなく、「時間よ止まれ」といってしまうほどに、「命はあまりにも美しい」という、彼が持つ生命賛歌の力なのでしょう。承太郎氏がヒトデの研究で博士論文を書いたのも、命への深い愛情があってこそのことなのでしょう。

 

以上です。