くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道、日常のことなど雑多に書きます

【感想】 幸福な職場 【きたむらけんじ】

たむらけんじさん作・演出の「幸福な職場」を観てきた。小技も効いて、笑いあり、涙ありの充実の2時間だった。

 

2009年から演出やキャストを変えて繰り返し上演されているらしい。それも納得する(安定の)クオリティだったし、これからも上演を続けて欲しい内容だった。知り合いに電話して勧めたいくらい。つまり、大満足。

 

というか、このお芝居、社員研修で観せたらいいんじゃないの。

それくらい、今の日本に必要だと思うし、時流に求められていると思う。2009年よりも、ダイバーシティが声高になって、長時間労働是正にようやく動き始めた今の方が。

人事の皆さん、まだチケットが多少残っているそうですから、上演中にぜひどうぞ。

 

 

さて、以下、ネタバレを含むかもしれない感想を30分1本勝負で書く。

 

 

 

 

 

私は障がい者と普段あんまり触れ合う機会がないから、彼らのことをよく知らない。

だから手術をして子どもを産めない体にするという話は地団駄踏みたいくらいショッキングだったし、月に好きな人の顔を描いているという、可愛らしい素敵な手紙にも感動する。空に月があって本当によかった。

 

この作品を観て、障がい者の彼らが救われるストーリーを、現実でも期待する人は少なくないだろう。私は1週間ぐらい、誰にでも優しくできそうな気持ちになった。

バッハのマタイを聴いた青年が、「善良な人間になりたいと思います」と感想を言い、バッハはたいそう喜んだそうな。私もそんな気持ちになった。これは芸術の力である。

 

 

こんな風に素直に感動して心あたたまる作品だったのだが、このお芝居は「障がい者」を扱っているからこそ、メッセージ性を持てたのか、というと、たぶんそうではない。

この作品、働く喜びと人は何のために生きるのかを描いていると同時に、なぜ働きづらくなってしまうのか、それも丁寧に描けている。

この働きづらさって、障がい者の人に限らない。その指摘が、さりげなく鋭い。

 

私が印象に残ったのは、会社で働くことはとりもなおさず、「自分たちのルールに従え」という命令から始まってしまうのだ、ということ。

そりゃそうだ。

チョークを作るためには、会社が研究の末に編み出したカルシウムと接着剤の配合比があるし、機械で練り上げる時間も分単位で決まっている。

作業手順も、道具も機械も、すべてもう出来上がっている。その中で、働いている人たちは現在の最適解を実現していると信じ、ルール化している。

そのルールが決まったのは、暴君や専制によってではない。合理性だ。だからこそルールに従うのは当然で、従えない人にはご退場いただくしかない。というかそんな人、そもそも採用できない。

 

 

でも、これって、いろいろ暴力的な前提に立っているのではなかろうか。それに、なんだかとっても不幸なことではなかろうか。

そんな問いをこのお芝居は突き付けている気がするのだ。ちょっと難しく言えば、『アンチ・オイディプス』で統合失調症患者が人間性を再定義すると予言したように。

 

 

富士ソフト企画という会社に取材に行ったことがある。その会社は障がい者雇用が9割以上の会社だ。身体障がい者から精神障がい者まで、いろんな人が働いている。目が見えない、耳が聞こえない、自閉症で他人に共感しづらい、そんな人たちが一緒に働いている。

 

彼らの話を聞いて、魂が震えるくらい衝撃を受けた。彼らは自分たちがコミュニケーション可能だという前提に立っていないから、かえって良いコミュニケーションが取れていると言う。

そして、お互いの得意不得意を理解しているからこそ協力でき、能力を発揮でき、企業として成長し続けられるそうなのだ。それだけでなく、病気も少しずつ良くなっている。

しかも、彼らは健常者の助けを借りない。自分たちで、チームの最適な運営を考え出している。

 

私たち「健常者」は、意思疎通できて当たり前、価値共有できて当たり前、という前提に立って物事を進めている気がする。というか、インタビューしていて自分自身がまさにそうだと気づき、目からウロコが100枚くらい落ちた。

そういう前提に立っていると気づかないほどに当たり前になっているけど、思ったほど物事って、そううまく進まないよね。

個人の能力を最大に引き出し、コミュニケーションを十分に取るのって、「健常者」にとっても本当に難しい。

かといって、コミュニケーション取れない、ルールを共有できないという前提に立つのって、はっきり言って面倒くさい。丁寧に付き合った方がいいとわかっていても、怒りたくなる時がある。

 

この面倒なことを削ぎ落とし、相手がどんな人間なのかも削ぎ落としてきたのが日本の労働環境だとも思う。まあ、仕方がないことなのだけど。

 

でも、この作品でも描かれているように、やはりダイバーシティが達成されている会社って、強い。

人に合わせて仕事をデザインすると、作業が効率化されるし、発想も多様性が出てくるし。やっぱり、幸福な職場が会社を強くするのだなと思う。

 

ところで、ここのところ、人事が採用にあたって重視する能力の筆頭が「コミュ力」だそうだ。ずっとトップを独走中らしい。

 

人事の考えていることが、「会社のいうことをとにかく聞け」という隷従を求めるものではなく、「お前ととことん向き合うから、理解しよう、伝えようと懸命になってくれ」というものであってほしい。

学生諸君には、「どうやら会社は君とじっくり付き合いたい、ということらしいぞ、どうやら会社も変わってきたようだな」とポジティブに解してほしい。

そう願うばかり。

 

まあ、上記のようなことを考えて、ハートフルだけど、まさに今見るべき社会性もしっかり持った作品だと、吹聴したい気持ちになったわけである。

 

法律は数学(数字)ではなく文学、というセリフも良かったなあ。