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くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道のこと、編集者の日常ことなど雑多に書きます

初のお茶会! @北浦和「築山の家」

茶道

こんばんは。吹雪です。土曜日、お茶の先生に誘われて初めてのお茶会に行ってまいりました。

 

いま現在、家の引越しとリフォーム、それに2週間で1000ページの法律書の編集と、NPO法人でやっているインタビューなどなど重なりまくっております。

そんなわけで土曜は朝はやくから家のリフォームをし、そのあとお茶会に向かいました。ズボンに破壊した石膏ボードのあとが付いていて慌てて駅で洗いました。

金曜の夜に白い靴下を準備しました。あまりにも白すぎるのは不自然かしらと思い、無印良品でオフホワイトの靴下を買いました。ところが純白が良いらしいと聞き、あわててセブンイレブンに買いに走って始まる前から大変です。亭主はもっと大変なのでしょう。

 

場所は北浦和の駅から5分ほどの古民家。外から見える梁の材は、丸太を半分に切ったもの。どっしりとした力強さと、丸みのある軽やかさが素晴らしかった。そんなことを思いながら外観を見ていると控え室に案内されました。蔵を改造した場所で、一転して洋風。白い部屋で、大きな窓と、天井まで届いたカーテンが印象的。豊富なウイスキーや、アンティークなお皿と陶器の人形が飾られていました。(お皿を調べましたが似たものが見つかりませんでした。)

どの部屋も立派で、いま一所懸命やっているリフォームがみすぼらしく思えてしゅんとしました。仕方ないや。がんばろ。

 

亭主の堀先生からご挨拶があり、待合に誘導されます。履物の置き方を石州流師範代の富永さんが教えてくださります。

履物ですが、本来は立てかけて、履き終わったら次の人の履物を用意するとのこと。履物を置く仕草や手順があると思うのだけれど、早くて覚えきれなかった。手をくるっとしていたような。今度聞いてみよう。

それから手水を使う。左手、右手を清め、口をすすぐようにして清め(実際にすすがなくてよい)、柄杓を立てて柄杓自身を清め、合を左側に向けて柄杓を置く。手はハンカチで拭く。それから母屋に上がり、お茶室に向かう。

母屋に上がるときは、前の人の履物を片付けること。

お茶室に入るときは、亭主役のときにお茶室に入るように扇子を出して一礼してから入る。入るときに立ち上がらない。富永さんのやり方を見ていると、扇子を膝のさらに向こう側においてから、手をついてにじるように茶室に入っていた。

まずはお軸を拝見し、そのあと釜を拝見する。このとき、扇子を出して礼をしつつ拝見すること。(これは初めてだったし、予想もしていなかったので非常に面白く感じた。やり方が詳しくわからないので聞いてみる。)

 

堀先生のお点前が始まる。

濃茶の飲み方がいまいちわからなかった。古帛紗も特に使用しなかった。

途中でお道具やお軸の説明。

お花はすすき。入れ物は金属で黒色に金粉が舞うように見えます。ふっくらとした楕円形で、夜の丘の上にゆれるススキのよう。技法について説明がありましたが、濃茶を飲んでいるときで聞きそびれてしまった。(今度聞こう。※追記:吹き分けというそう)先生がアップされていた写真があったので勝手に拝借いたします。

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掛け軸は、「もののふの屋島の浦の夕波に流れて会えぬ弓張りの月」

 

作者はお軸では「海月」のように見えたが、「蓮月」とのこと。

大田垣蓮月は、1791年から1875年まで生きた尼僧。京都で生まれ、蓮月焼といわれる焼きものを作る。小さい頃の鉄斎を待童として人格的影響を大きく与えたそう。おお、鉄斎が。

それで、この歌は源平合戦を詠んだものといわれていますが、蓮月は自分の心情を吐露して歌にすることはあまりなかったそうなので、これも歌のストーリーを借りて自分の思いを表現しているのでしょうか。

源義経屋島での戦いのときに弓を落として流してしまうエピソードが歌われていると思うのですが、何を伝えたいのか難しいです。

詠んだのは蓮月80歳のとき。1871年。数え年かもしれないので、正確にはわかりませんが、幕末から明治初期です。単なる源平合戦と月をかけただけにはとどまらない、世相に対する思いがあるのでしょうか。蓮月のもとには当時の重要人物たちがたくさん出入りしていたようですし。

 

さて、このお軸とススキが一体となって世界観を表現しています。物騒になってきたように感じる現在の日本。波立ち見えない月。蓮月のようにニュートラルに見据えつつ、優しさを忘れぬようにしたいものだなと感じます。

月のお軸。夜のススキ。

 

お茶碗は三つ。

一つは、10代目旦入の赤楽茶碗「住之江」。黒楽茶碗「高砂」と対になっているそう。1000万円だとか。存在感のある赤色と、有機的な黒色も濃すぎず広すぎずとてもよい景色でした。この茶碗にもいろいろエピソードがあるかもしれませんが、調べるのはまたの機会に。

もうひとつは、皮鯨とよばれたもので、瀬戸唐津皮鯨手茶碗。ふちが鯨の皮のようだからということ。高台の煤けた黒色や、目跡という重ねて焼くときのあとが、茶だまりから見込みのあたりにはっきり3つ残っており、また全体的なコントラストも力強くてとてもよかった。

最後の一つは、瀬戸伊羅保(いらぼ)だと言われていたような気がする茶碗。向こうで給餌され、拝見で回ってこなかったのでよくわからず。残念。(※追記:高麗伊羅保とのこと)

茶入れは、唐津でした。ただ形がいびつで独特。ふたを開けると金箔がはってありました。

 

蓋置はニューヨークでも使用したという、田原陶兵衛作、萩七宝透かし蓋置です。

風炉は紅鉢でオープンな印象。釜はぶんぶく茶釜ということで、耳がついているそうです(よく見えなかった)。作者は畠春斎?聞きそびれました。 

水指は小さめのもので、平水指。蓋は大蓋。この屏風を調べたのですが、なんというのかよくわかりませんでした。誰か教えて下さい。(※追記:この屏風は縄を編む古道具で、もともとの用途は違うそう。結界を作るのに見立てているそう。)

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主菓子は、大和屋さんの「岩清水」です。

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(大和屋さんのホームページから拝借しました)

 

濃茶のお点前が終わったあと、主催者の森田さんから薄茶をいただきました。
裏千家の方なのですが、氷水を使った手前で、水指(?)に扇子が広げて置いてあって蓋になっておりました。裏千家でも例外的だということです。氷を入れないようにして柄杓に汲み、薄茶をたてます。

お干菓子は、枝豆の洲浜と月の模様が入ったようなせんべいでした。とてもおいしかったです。

お茶碗は、間違っていたら申し訳ないのですが、馬盥の赤楽茶碗でした。

夏は涼しさを考えて底の浅い茶碗を使うそうですね。また、ネット情報で不確かですが、赤楽は薄茶、黒楽は濃茶の格だそうですが、場合によりけりだそうですね。

 

そのあと点心をいただきました。下記の写真も拝借しております。

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「蒸したナス、生姜とかぐらなんばん味噌、茶豆」 「長岡の醤油を使ったおこわ」

「八海山(がそそがれる)」 「えごねりの酢味噌かけ」

です。

えごねりの酢味噌がけは、こんにゃくに似た見た目ながらも、食感は全然違います。師範代の富永さんの話では、麺類のようにして食べるところもあるとか。

このほかに、

預け鉢に、「のっぺ」「鳥つくね(レンコンでつないである)、オクラ、菊」

煮物椀に、「海老しんじょ、カイワレとしめじ(出汁はホタテとしいたけ)」

 

醤油皿に「おめでたい」と書かれてあり、また貝のうつわ、唐じしの塗り茶椀、赤飯のように見えるおこわなどから、縁起のいい席を演出されているのがわかりました。

 

師範代が石州流の歴史を少し話してくださったのも面白かったです。石州流の力が強かったために、明治政府になったときに解体され、結びつかないようにされたとか。一子相伝ではなく自由な流派のため、名前が出てこない流派もあるかもしれないとのこと。生き別れの兄弟を探すようですねというと嬉しそうに頷いていらっしゃいました。

 

ほかにも学んだことはあるのですが、今日はこのあたりで。

おやすみなさい。吹雪でした。