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くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道のこと、編集者の日常ことなど雑多に書きます

【いまさら】 趣都の誕生 増補版 【読書感想】 

読書感想

こんばんは。吹雪です。

2003年に出版され、2008年に増補版が出た本の感想を書きたいと思います。遅きに失した感じもしますが。

記事のタイトルにも書きましたが、『趣都の誕生』という本で、秋葉原の成立を巡り、現代社会論を展開するなかなかの名著です。

 

趣都の誕生―萌える都市アキハバラ (幻冬舎文庫)

趣都の誕生―萌える都市アキハバラ (幻冬舎文庫)

 

ざっくり内容を分けると、

  • 秋葉原の成立史 
  • オタクはなぜ二次元を愛好するかについての考察
  • 建築の変化のイデオロギー的考察
  • 現代秋葉原の建物の意味とオウムサティアンの考察
  • 秋葉原がメディアに取り上げられてどう変わったかについて増補的考察

になると思います。

この論の大きな特徴は、秋葉原をモデルとして、イデオロギー的な都市の創造から資本主義的な都市の創造へと移行し、その後個人の趣味によって形成される都市へと変貌している流れを描き出していることです。これはかなりの筆力で描き出すことに成功しており、説得力だけでなく、目から鱗の魅力があります。

ごく簡単にいうと、都市を形成する力が、官→民→個へと移行したというのです。あるいは、この公式の有力な事例であると。

特に秋葉原のお店に個人がスペースを出せるようにし、手作りの商品を並べるショーケースが密集している実際の都市の写真は深く納得させるものがありました。

そこにコマーシャルや資本が絡んでいないことも重要なポイントとして繰り返し説明されます。確かに、オタク文化のさまざまな風景は、マス主導ではなく、個人の有機的結合によって作り出されることが多いのは確かです。

 

興味深かったことがもうひとつ。オタクはなぜ二次元を愛好するかということについて、それはアメリカの占領に対する逆転現象だという説明がとても新鮮でした。

すなわち、ディズニー的なものに対する羨望と支配にオタク的創造の起源があるという指摘です。

子供を神聖なものとし、暴力と性を排除するディズニーに対して、日本のアニメは対照的です。それは、手塚治虫がディズニーに影響を受け、それと格闘したことからも運命付けられていたことのように感じます。

また、プロテスタント的な清潔が土壌に浸透していないこの国でディズニー的ではないアニメが育ったのは、必然というよりも、その方が生育しやすかったのでしょう。

 

さて、これに限らず非常に豊穣な論点を持った本であることは間違いないのですが、この本でやはりいま気になるのは、秋葉原のその後についてなので、少し書きます。

 

出版された2003年以降、ずいぶん状況が変化したため、2008年に増補版が出されました。秋葉原は2003年までは、趣都であったことは間違いないのですが、メディアが盛んに「電車男」や「メイドカフェ」を取り上げることによって、思わぬ変化を遂げ、増補版は秋葉原が新たに持った舞台性を慎重に分析しています。とはいえ、そこにはアイドルなどの考察が足りません。

僕はアイドルには疎いので偉そうなことは言えませんが、少なくとも国民的人気のアイドルの拠点が秋葉原にあるということが、秋葉原の本質的な変化を象徴づけていると思います。

 

まあ、この辺りのことを続編に期待したいのですが他人任せにせず、僕が思うことを少しだけ書きます。

 

今現在起きているのは、秋葉原の変化ではなく、全国的な秋葉原化ではないかと。それが起きていたからこそ、メディアの注目を集め、大衆性を獲得していったのではないかと。(もちろん雑な考察です)

そして、この秋葉原化が全国的に普遍性を持ち始めているのではないかと考えたとき、秋葉原に顕著な「個人の創造性による変革」が社会を変える力となって新しく芽生えているのではないか、というのは言い過ぎでしょうか。

有機的な個人の趣味的連合が、国家レベルの環境を上書きできる力になって、実はすでに誕生していると。都市設計について、さらにいうならば、生活環境の設計について、現在の日本では、秋葉原化のような、「ゆるい上書き」と「修正パッチの配布」が可能になっているのだとしたら、面白いように感じます。

まあもともと秋葉原に生活している人にとってはついていけなくて困っているでしょうけれど……。

 

さて、実はこのことと関連して、現代日本の創造力について、個へと移行した時代の創造力について書きたいと思うのですが、それはまた別の機会に譲ることにします。

 

おやすみなさい。

吹雪でした。