くもり空の形而上学

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【魔法少女まどか☆マギカ】 まどかは「最高の友達」のころから予言していた 【叛逆の物語】

こんばんは。吹雪です。タイトル映画のネタバレを含みますのでご注意ください。

 

遅ればせながら、まどかマギカの映画を見てきました。

私にとっては最高に面白かったです。

面白かったものの、どういう風に感想をまとめればよいのか書きづらく、

とりあえずTV版をもう一度最初から見てみることにしました。

 

一通り見終わって、すぐ気付いたのは、

TV版の最後、願いを果たしたまどかが、ほむらに対して、まどかが過去も未来も見えることを告げた後、

だいじょうぶだよ、きっともう一度会える、

魔法少女は、希望を叶えるものなのだから、ということをまどかが言っていることです。

なるほど、これは叛逆の物語につながる伏線になっている。

しかも、ほむらはまどかに、みんなと会えなくなるけどそれでいいのか、

と言いますが、それに対して、まどかは希望を持てるような結末があることを示唆しているように見える。

 

最後ほむらが黒い翼をひろげているのは、悪魔となったほむらで間違いない。

そうすると、今回の作品は、TVのストーリーをひっくり返したいがためにあったのではなく、

どうやら物語の必然によって続きが描かれているととれそうです。

 

多くの方が指摘しているように、また、パンフレットの解説にあったように、

ほむらの行動は、まどかのもう一つの本音をかなえ、

なおかつまどかをインキュベーターの手から守るためにやったことなのでしょう。

 

確かに、効率の良いエネルギー回収を合理的に追及するQBたちですから、

ほむらが話さなくても、いつか円環の理の仕組みに気づき、まどかを支配しようとするでしょう。

その時にほむらのようなまどかの記憶を持ったものがいなければ、

対抗することはとても難しくなるはずです。

ですから、はやめにQBが手を出すことのできない世界を創造する必要がある。

ほむらはそのことを考えて行動していたのか、それはまだ何とも言えませんが、

まどかを守ることがほむらの絶対的な祈りだった以上、

まどかの危機には、必ずほむらがいるはずなのですから、

QBがまどかの支配に気づくように軽はずみに情報を与えてしまったことも、

ほむらの「祈り」があえてそうさせたと考えてもよいのかもしれません。

実は、このことを、TVの時点でまどかは理解しているようにさえ見えるのです。

 

今回の映画では、QBが人間の感情は危険すぎる、といって去ろうとし、

いったんすべてが成功したかのように見えましたが、

ここでそう簡単に引き下がるはずはなさそうだと感じる人も多いと思います。

 

何万年もの長い時間の中には、命をかけれるくらい真剣で過激な魔法少女のことですから、

QBに対抗することを考え、ある程度成功した人間がいても不思議ではありません。

今回もひとつの事例にすぎず、本当にはあきらめていないのではないでしょうか。

そう考えると、どうも今作の最後のQBの何かをたくらんでそうな目が気になります。

そして、その後QBがどのような行動を「とらざるを得ないか」によって、

今回の世界の創造の意味が分かるのではないでしょうか。

今作は、前作との比較や、今作だけの分析以上に、

この次回作をどう予測するかによって、評価が変わると思いますし、

そのほうがとても面白い試みのように思います。

 

この作品・映画を見ていて、ずっと昔に考えていたことを思い出しました。

希望は本当に持っていいものなのか、望ましく善良なものなのか。

何が正しく、何が悪く、何がどのような結末に至るかわからないのに、

そう簡単に何かを願い求めていいのか。人間はエゴイストを超えられないのか。

少女たちが命を懸けて出した答えは、「概念の創造」という、

素晴らしい結論で、非常に感動しましたが、この映画を見ることで、

この結論をどうやって維持していくか、見届けたいと強く思います。

 

ちょっと余談ですが、世界に破滅をもたらす祈りをもって魔法少女になり、

魔女になることを望む人間がいたとしたら、そういう存在にとっては、

まどかは敵になり、まどかの結論も、すべての魔法少女にあてはまる救済ではなくなります。

しかし、きっとそういう人間の願いをQBはかなえないのでしょう。

QBは、エネルギーが爆発的に生まれるのは、希望と絶望の相転移だといいます。

つまり、絶望や呪いから出発する祈りは、どのような祈りであっても、

たいしたエネルギーにはならないということなのでしょう。

 

ところで、QBは、合理性・理性のみで判断する存在、秩序の側の存在で、

それは神となったまどかに近い属性を持っているはずです。

まどかと敵になりうる悪魔ほむらだからこそ、最後QBをボロボロにできたのでしょうか。引き続き考えたいですね。

 

このことと関係して、少し残念というか、気になるのは、神が秩序の代表で、

悪魔が混沌の代表だというのは別にいいのですが、

たとえ神だとしても、全能の神ではないまどかに、なぜか秩序という属性を与えていることが、とても安易な発想のように思えるのです。

まどかはルールや全体の損得よりも、感情を優先させたはずなのに。

このことももういちど見て考えてみたいです。

 

最後になりますが、希望は呪いを生まないという結論はどうなるのでしょう。

やはり、希望から呪いは生まれること自体は変わらないのではないでしょうか。

まどかの力によって、絶望に終わらないだけで。

しかし、その呪いは、熱く狂おしいほどの愛にもなりうる。

そう考えていると、ふと、

悪魔ほむらこそが、まどかが生み出した呪いなのではないか、そう思い、

考えてみたくなりました。

まどかの呪い。まどかの、博愛が生む、愛。