くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道、日常のことなど雑多に書きます

【いまさら】 君の名は。 【感想】

こんばんは。吹雪です。

今日、池袋のレイトショーで、映画「君の名は。」を観てきました。

いまさらですよ。やっとですよ。でも、空いていてよかった。

空いていたとはいえ、そこそこ人も入っていたし、まだ人気があるのだなと感じました。

 

さて、ネタバレも含みますが(ご注意ください)、感想を書きたいと思います。僕と同じように感動した人が、共感してくださったら幸いです。

 

 

 

 

 

劇中に、隕石が落ちて災害で人がたくさん死んだ、しかもそれが3年前である、という話が描かれます。

事故当時の新聞記事やニュースや写真集としてまとめられている情報を、主人公の瀧くんは、焦燥感を持って漁ります。

彼の姿に自分を重ねて、3・11を連想した人も多いと思います。

僕も、テレビやラジオのチャンネルをあちこち合わせ、その後の情報をかき集めながら、圧倒的な無力感と悲しみを感じた、生々しい感情を思い出しました。

 

 

その悲しみや混乱に対する、一つの応えが描かれていたなと思いました。

 

 

悲しみや混乱は、「もつれて」いることです。

糸がこんがらがり、絡み合って解けなくなってしまう。そのごちゃごちゃした複雑さです。

どれだけこんがらがっても、糸はつながっている。たとえ、もつれて切れてしまっても、その切れた糸は、また結び目を作ることができる。

この繋がりつつ絡み合い、重なり合うのが、劇中の時間軸の複雑さとイコールで繋がります。今現在の日本も、いろいろ面倒なくらいごちゃごちゃしている。でもそれは、劇中の図式を借りるなら、ごちゃごちゃするほどに存在が重なり合い、隣接しているということ。だからこそ、その底には人を思う気持ちが強くあって、奇跡が起きるのだということかなと。

 

世界は美しい。そして、人を思う気持ちは、信じるに値する。

 

それが本当によく描けていた映画でした。

帰り道、以上のようなことを考え、うおおおんと泣きながら帰りました。特に作品解釈などではないので、ふーん、くらいに受け取ってやってください。ユリイカ新海誠特集をやっているようなので、評論はそういうものに目を通してから(やりたくなったら)やります。

 

 

映像がとっても綺麗でしたね。現実よりもリアリティがあるなと思いました。実写のようでいて、実写ではこうはいかない美しさです。細田守がポストジブリだとすると、ジブリのようなアニメらしさとは違う方向で、世界の美しさとその秘密に触れていると思いました。その意味で、実写よりもリアリティがあるなと。

ちなみに、今回改めて、細田守新海誠の笑う時の口の開け方が違うなと思いました。人の書き方などに無理やデフォルメがなく、リアリズムがありますよね。(アニメであることには変わりないのですが。また、どちらがすぐれているという話ではないです)

 

ほしのこえ」の時でもそうでしたが、遠い誰かに対する呼びかけが新海さんのテーマになっているのでしょうか。興味深いです。

 

また追記などするかもしれませんが、この辺で。

 

 

 

 

 

 

 

 

茶道の話 石洲流 45&46&47 備忘録 

こんばんは。吹雪です。

MacのOSが変わって日本語入力が勝手に変換され、微妙な感じですよね。いや、やっぱり入力しやすいわ、これ。誤変換ほとんどありませんやん。

 

さて、45回の稽古は、平棗を使って、少しお点前が違いました。

丸卓を使った棚のお稽古です。

運び出しの時から、平棗をおき合わせの位置に置く時に、右手で、上から、真ん中のところを持つようにする。裏千家薄茶点前の時に持つようなイメージ。

そのあとはいつもの平点前とおなじ。

棗を清める時が違う。

上から持って棗を膝前に置き、袱紗をたたむ。

左手で上から持ち、右手は袱紗をやや握りこむようにして、三本指で、棗を持ち替えて、左手の上に乗せる。そして右手で清めて、握りこむようにして三本指で持ち直し、左手で上から持つようにして、水さしの前に置く。袱紗はたたみ直す。

 

あとは平点前と同じ。

終い点前の時に、棗を清める時も少し違う。

 

 

お菓子は大和屋さんの花火の錦玉でした。

 

46回、47回では、茶碗に今千春さんの茶碗を使わせていただきました。

46回は平茶碗。47回は、信楽と織部です。信楽はざらっとした感触も楽しく、先生もなかなか良い飲みごたえになりますね、とおっしゃいました。

 

47回目は、ススキと稲穂がカゴにどさっと置いてありました。実りの秋を感じさせて楽しく素晴らしかった。お軸は、清風払明月です。

 

ここのところ、お茶とは何かというような話を先生とよくしています。

お点前を再現することだけがお茶ではないし、武家のお茶だからといって甲冑を床の間に置くのは馬鹿げている。ではお茶に求められるもの、お茶固有のものとは何か……。

 

 僕自身、じっくり考え、経験を積んで考えていきたいです。

 

最後に、何となくですが、初音ミクで大好きな曲を。


VOCALOID2: Hatsune Miku - "Unfragment" [HD]

マジカルミライ2016 in 幕張メッセ

みなさんこんばんは。吹雪です。

 

昨日(9月11日)、幕張メッセであったマジカルミライ2016昼コンサートに参加してきました。

初音ミクをはじめとした、ボーカロイドのコンサートです。

 

毎年参加していますが、今年も素晴らしかった。

ただの感想文ですが、思ったことを書き留めておきたいと思います。

(疲れ果てているあまり、改行や見出しなどありませんが、そのうち直します。見づらかったらゴメンなさい)

 

今回のセットリスト、すごくありませんでしたか?

公式CDに入っていたり、プロジェクトディーバというゲームに入っていたり、ミクエキスポで演奏したりして、確かに馴染みがある曲があるとはいえ、マジカルミライではやったことのない曲ばかりだったので、予習してないと本番で戸惑ったのではないでしょうか。攻めてましたねえ。さすが、ミライを冠にしたライブだけあります。マンネリにはさせんぞ、という気迫が素晴らしい。映像買いたくなりますよ。ダンスもすごかったし。

 

さてさて、最後の曲が、BUMPのrayとは、意外すぎて、ハンパなく感動しました。

みんなサイリウムを左右に振って、BUMPへのリスペクトと同時に、初音ミクの(ミクファンの)懐の深さが見えて、涙がどっと出たし、心地よかった。

 

 

ひょっとすると、すごく意地悪な人がいて(いないと思いますけど)、初音ミクのライブなのに、BUMPの曲をやるなんて、なんという商業主義、媚び始めたらもうおしまいだな、みたいなことを言う人がいるかもしれませんので(いや、やっぱりいないと思うけど)、反論の予防線にはもちろんなりませんが、ちょっと思ったことを書きます。

rayというこの曲、もちろん自由に解釈していいと思います。なので、わたしの偏った意見です。

この曲を初音ミクが歌う理由って、そもそもなんだろうと思いませんか。コラボして若者にもBUMPの曲を届けたいから? しかし、それでもともとのファンを失っていたら仕方がないし、そもそもBUMPって、手堅いファンがたくさんいるから、そんなことをする火急の必要はないでしょう。(若者に届けたいというのはあると思うけど)

 

じゃあ、藤くんが初音ミクが好きなのだということでしょうか。

 

まあ、きっとそうかもな、と思うと同時に、もう一つ付け加えたいのは、初音ミクって、その人が一番大切にしている思いを、思い出させてくれるんだなということ。

このrayでの初音ミクの役割って、そこだと思うんですよ。初音ミクって、本当の姿が見える鏡の役割を果たすというか。それで、藤くんのとっても大切な想いって、やっぱりアルエのことだと思うのです。RA(アルエ)と、初音ミクの象徴でもあるYを足したら、RAYになるよね。もちろん、綾波「レイ」のrayでもある。まあ、藤くんは二次元のキャラは関係ないです、と言っていましたが、本人はそう言っても、あてにならんわけで、まあ、アルエと関係している、というわたしの勝手な解釈をお許しくだされ。

 

さて、初音ミクって、本当の姿が見える鏡、みたいなことを言いましたが、これは、経験則にすぎませんが、確信するところがあるのです。

 

今回、土曜のツナガルミライというオフ会に参加して、その参加者に初音ミクのどこが好きなのか聞くと、やはりみんなそれぞれで、自分が一番大切にしていることを教えてくれました。

 

ある人はロボットやテクノロジーが好きで、声がすごいなと思っているうちに、かわいいと思い、自分がどれだけ理系人間なのか気付いた、ミクさん最高!ということでした。

 

またある人は、好きな曲を聴いているうちに、自分も周りに還元したいと、DJを始めたそうです。感謝しかない、と言っていました。感謝する気持ちが自分にとって大切なモチベーションだということだと思うのです。

 

ある人は、エレクトロポップが好きで好きでたまらない、と言っていました。

 

ある人は、アメリカから来た人で、こんな風につながりができていることが奇跡で、そこが好きなのだと言いました。

 

ある人は、わたしはまだここにいるよ、という初音ミクの歌と歌詞に、昔大好きだったクラブミュージックが蘇った気がして、涙が出た、ということでした。

 

ある人は、初音ミクがハブとなって、いろんな人の思いが社会を作っている、これが真の民主主義であり、初音ミクはそのジャンヌダルクだと思ったと言っていました。

 

わたしは、初音ミクこそ、「きっと君の力になれる」という言葉を、一番リアリティを持って言うことができる、ほとんど唯一の存在で、こんなに優しい存在はいないから、好きなんです。

 

きっとまだまだ好きな理由を聞けば聞くほど出てくるでしょう。ツナガルミライで話を聞いて、多様だなと改めて思った次第です。

初音ミクは無限に思いを受け止めてくれるから、自分に最も向き合うことができて、ふとした瞬間に、奥底にしまって大切にしていた自分の気持ちに気づいて、涙が出るほど感動するのではないかなと。(個人差があると思いますが)

 

さて、藤くんにとっても、初音ミクがそんな役割を果たしてくれたのじゃないかなと。初音ミクという、いないはずの存在の、不思議なほどに強いリアリティ。これに触れて、あの時の気持ちを思い出したのかなと。いない存在への恋を。

 

こういった初音ミクとクリエイターの関係が背景に見えるのがrayだとしたら、これは、やぱりryoさんのodds&endsにも匹敵するような、初音ミク「らしい」歌なのだろうと、思うのです。初音ミクのライブにやってほしい、素晴らしい曲だと。

 

マジカルミライはいつも幸運に恵まれて、最前列かほぼ最前列だったのですが、今回は真ん中の少し遠い席でした。連日の飲みすぎもあって、ヘロヘロになって見ていたのですが、じっくり見れてかえって良かった。

本当にそこにいるかのように、降臨していました。いや、本当にそこにいた。今も、心の中にいる。まぶたの裏にいる。

 

ありがとう、初音ミクさん。スタッフの皆さん。来てくれたボカロ好きの皆さん。

本当にありがとう。

改めて、皆さんがいるという、最高の感動と奇跡に、感謝を。

茶道の話 石洲流 43 & 44 備忘録 

みなさんこんばんは。吹雪です。

かや茶会が終わり、スタッフにお点前をいたしました。お茶デビューになるかな?といったところです。暑くて、流れる汗に気をつけつつ、なんとか無事に終わりました。

 

お稽古場の工事が終わり、茶会も終わり、ようやく日常が戻ってきました。前回は平手前でリハビリのような稽古です。今回は丸卓を使った点前でした。

今回の備忘録を。

 

丸卓の上には棗を飾りました。

点前が始まって運び出しのとき、茶碗だけを持って、丸卓の前に行く。

座って茶碗を仮置きにする。左手で仮置きの場所に置く。右手で棗を下ろして、置き合わせの位置に置く。

あとは平点前と同じ。

終い点前のときに、拝見の挨拶のあと、蓋置と柄杓を建水のところに置き、棗と茶入れを拝見に出して、蓋置と柄杓を飾りつける。

柄杓を左手でとり、右手で受けて、左手で正面から持ち直し、丸卓の上に置く。蓋置は、右手でとり、左手で受けて、右手で頭を軽く拭いてから、丸卓の上に置く。

建水を持って部屋を出る。あとは平点前と同じ。

 

拝見の挨拶の前に水差しのふたを閉めるのを忘れたので気をつけること。

手の扱いにまだ自信がないので、次の動作の前に手をふとももの位置に戻すかどうか、いろいろ動画をみて研究すること。

足の運びを自信を持ってキビキビと動くように心がけてみた。戸を閉めるときと茶室を出るときの歩数をよく考えて、自信を持って動くこと。

水屋で水がこぼれたところはふいておくこと。

棗にお茶を入れすぎないようにご指導いただく。場合によっては人数分を考えて少なめに入れても良いとのこと。

 

お軸は、「風光日々新」でした。

碧巌録の一節のようです。

 

ところで話は変わりますが、ミュージックステーションでエンタウンバンドが新曲を披露していましたね。

わたし、charaというミュージシャンがとても好きで、なんという天才だろうと尊敬しております。歌詞や曲作りに対する姿勢が好きです。

昔の曲も好きですが、最近の曲も好きです。とはいえ、大好きなミルクを紹介して終わります。


Chara「ミルク」 1997 AKASAKA BLITZ

 

おやすみなさい。吹雪でした。

館山 かや茶会 練習備忘録 (茶道の話 石洲流 39 40 41 42 備忘録)

こんばんは。吹雪です。

5月は稽古場が改修のためにお休みでした。随分久しぶりになりました。

今日は、27日開催の、館山の古民家での茶会の練習をしました。

実際に現場で変わるかもしれないので、当日のオペレーションとは異なるかもしれませんが、忘れないように記録しておきます。

 

まず、お客が入り、定刻になると亭主が挨拶します。

そのあと亭主が運び出しをするので、その前にお菓子をお客に出します。

今回は、お盆にお菓子と黒文字を懐紙の上に乗せ、一人ずつお出しすることになりました。

懐紙の袋になる部分をお客に向け、黒文字もお客側に向けます。お盆は手が八の字になるようにもちます。

お客の前に座ったら、膝の右隣くらいにお盆を置き、お菓子を持ち、お客の縁外におきます。その時に、こちらにお置きいたします、というように一声かけること。

菓子器を両手で隣にずらして、移動し、次も同様にします。そのあと両手で持って立ち上がること。お菓子の数は、5人分ずつくらい。2回ほどに分けて運び出すこと。そして、お菓子を食べた人が使用済みの懐紙を外に出していれば、それを下げること。

半東さんは、亭主が点前をはじめ、茶筅通しが終わった頃に、替茶碗を亭主の左後ろくらいに置きに行く。

亭主が茶碗に抹茶をいれた頃に、水屋にお茶をお願いします、と声をかける。

水屋の人は、人数分、お茶を点てる。

給仕は、正客と二客が終わってからお茶を運ぶ。

臨機応変に茶碗を下げていく。下げる時は、おさげいたしますと言って一礼すること。

半東さんは頃合いをみて終い茶碗を持っていく。

 

今日教わったことはこのくらいです。

当日、緊張してボロボロになるとおもいますが、それでも楽しみです。

それではまた。

茶道の話 石洲流 38 備忘録 

こんばんは。吹雪です。

今日のお稽古ではすごい雷が鳴っていました。みなさんいかがお過ごしでしたか?

 

さて、簡単に備忘録を。

今回は棚を使わない平手前。

しかし、茶碗が筒茶碗でした。

茶巾を向こう側に仕込み、茶筅を穂先を下にして仕込みます。

このときにお点前である変更点は、茶碗を茶巾で清めるとき。

茶筅通しをした後、お湯を捨ててからが異なる。

巾の字を最初に書いて、輪っかを向こう側に出し、3回茶碗をまわしてふく。茶巾を縁にかけたまま正面を向かせ、右手で置く。茶巾を右手でとり、そのまま(右手の甲を上にしたまま)懸垂の上で左手を添えて絞る。

いつもと清める順番が違うのは、筒茶碗だと最後に底をふくと、手の甲などで茶碗の縁を汚してしまうから、とのこと。

 

筒茶碗は先生の持ち物で、作家さんは今野千春さんという方。

お菓子は鶴屋吉信の桜餅。

お軸は、「花開けば蝶自ずから来る」です。

 

今年もこのお軸を拝見できました。去年、いい軸だなあと思っていたことを思い出しました。

 

それではこの辺で。おやすみなさい吹雪でした。

茶道の話 石洲流 35 & 36 & 37 備忘録 

こんばんは吹雪です。茶道の皆様ずいぶんご無沙汰しておりました。最近仕事が忙しくなっていることと、いろいろ勉強することが増えておりまして。でもお茶の勉強は時間を見つけて行っております。

1月はお稽古がお休みだったので、初釜はありませんでした。とても残念です。

 

ここのところ、丸卓を使ったお稽古をしています。簡単に復習を。

夏目は丸卓に飾り付けておく。

茶碗だけ持って入る。左手で茶碗を仮置き。夏目を置き合わせの位置に右手でおく。茶碗を置き直す。

あとは建水を持って入り、通常の平手前の通り。

終い手前のときは、拝見の挨拶をしたあと、夏目と茶杓を拝見に出してから、丸卓に柄杓と蓋置を飾り付ける。

 

35回目のお稽古。

バレンタインのお菓子でした。どこのものかは聞いていません。ホワイトチョコが使われた和菓子で、とても美味しかったです。

お軸はありませんでした。

 

37回目のお稽古です。

菱餅のお菓子でした。しかしこれはフェイクで、餡でできたものです。大和屋さんでした。

掛け軸は、「青松寿色多」です。

青々とした松はそれだけでおめでたい色をしている、というような意味らしいです。

 

38回目のお稽古です。

大和屋さんのつくし野でした。

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とてもケシの実の食感もつぶつぶとして楽しく、餡の密度も高くてとっても美味しかったです。大和屋さんのお菓子はやはりおいしいですね。

お軸は「本来無一物」でした。仕事が忙しかったりストレスがたまると、こういった禅語をありがたく感じますね。静かで超越した心境になりたいものです。お茶をやっているときは少なくとも超越した心境になれるので、毎日お稽古したいですね。というか、炉を切って家でお茶をたてられるようになりたいです。

 

お湯を茶碗に入れるときは気持ち横へ迂回して入れるようにとご指導いただく。

雨が降っていて、一定のリズムが気持ち良く、それを聴きながら手前をする。季節で雨音が違うというけれど、そういったことを感じられるようになればと思う。

他に、畳を復権させようなどの話で盛り上がる。

 

今日は簡単にここまで。お休みなさい。吹雪でした。