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くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道のこと、編集者の日常ことなど雑多に書きます

築50年 中古戸建て リフォーム 【床張り 漆喰塗り 編】

こんにちは。吹雪です。

一人で6畳間を床張りし、だいたいの作業が終わりましたのでアップいたします。

まずは畳を剥がし、杉板の上に根太を30センチ間隔で打ちました。

 下の写真は仮並べしているところ。

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床の端が沈んでいたので、レーザーを使って水平をとり調整しました。仮並べした根太の下に合板を入れています。この方法が最適解なのかはわかりません。補強とレベル調整です。杉板を剥がすことも考えたのですが、釘が錆びていてそう簡単に抜けないので、破壊するときにかなり大きな音が出ます。隣人から苦情が来ているので、できるだけ音が出ない方法を選びました。(ちなみにレーザーは別の用途で買っており、ヤフオクで5000円でした。)

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もともとあったフローリングの部分は再利用するつもりだったのですが、やはり印象がちぐはぐになって良くないので壊しました。

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壊してみると杉板がなく、大引の間隔も不安だったので、根太を違う方向で打つことになりました。材料が多少余っていたこともあり、強度を得るため15センチ間隔にしています。右側は、中間に支えるところがなかったので、12センチ間隔にしています。

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取り掛かってみると顔面蒼白になるような不測の事態がありますが、それを工夫してなんとかするのも楽しみといえば楽しみです。

12ミリのラワン合板を丸ノコでカットし、根太に留めて捨張にしました。その上からフローリング材を張りました。丸ノコで長尺のものを切るのは危なくて不安なのですが、例えば1センチの幅を縦に綺麗にカットできるようになりました。

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全てビスで留めています。釘は音がうるさいので近隣の苦情を気にすることになりますが、ビスはその点やりやすいです。

フローリング材は桜です。幅9センチ、厚さ15ミリのものを使いました。

一応材料費をまとめておきます。

 

フローリング7000円 6箱 (ヤフオクで購入)
ラワン合板1300円 7枚 (以下ホームセンターで購入)
垂木 約2000円分 
フローリング用ダンドリビス 2000円
細ビスなど あわせて約500円分
フローリング用ボンド 1000円 2本 (使いすぎかもしれません)

かかった費用は6万円程度です。
フローリングは節約できるかもしれませんが、1〜2万円程度の差であれば、足触りの良く気に入った材を使いたいなと思いました。

 

その後、亜麻仁油と蜜蝋ワックスを塗りました。急に力強い印象になったので驚きました。特に節目が目立ちます。カバザクラと同じようなものだと思っていたので、びっくり。とはいえ、カバザクラのように独特の光沢を持っています。

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巾木はまだ作業途中です。柱の部分は柿渋を塗るか、実験的に漂白してみようかと思っています。柱の色が変わると、部屋の雰囲気が一変します。

黒い柿渋を塗ると古民家風になり、白くすると現代的な感じになります。まあ、黒かしら。襖もそのうち張り替えます。



壁はカーボンプラスターを下地に塗ったあと、漆喰を塗りました。鏝跡を残さないよう、磨き仕上げにしています。漆喰塗りの作業時間は7〜8時間ほど。


漆喰を塗るのは3回目。3度目の正直でコツをつかみ、綺麗な平面を出せるようになりました。写真ではわかりづらいかもしれませんが、すべすべです。

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鏝使いにばかり気を取られていたのですが、水の引き具合を見定めるのがポイントだったように感じます。水分が多い時は鏝の跡が必ず残るので、この段階では素早く材料を均一に伸ばすことに徹し、鏝を通す回数を極力減らしつつ滑らかにしました。塗る回数が多いと層ができて綺麗になりません。

水分が抜けて硬くなってきた時に鏝を通すと、うまい具合に平面が出ました。さらに硬くなってきた頃に大津通しなどの鏝で磨きました。

時間帯によって水分の蒸発料が違います。霧吹きなどで調節しながら塗りました。

また、水分は徐々に飛ぶのではなく、一定時間(例えば5分。状況によってかわる)経過すると、ふっとなくなるので、その5分でできる作業量を考え、その作業量と壁面積の配分を考えるのが大切だと感じました。

ただ、これはアマチュアでもうまく塗れる方法であって、プロのやり方とは違うかもしれません。しかし、稽古場の茶室の水屋にあった漆喰の壁を撫でてみると、僕と同じ作業手順でやればできる、均等な幅の、つなぎ目部分の厚みを確認しました。

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つなぎ目の部分が短い方が作業がやりやすいので、縦長のときはこのように横に塗っていました。横長のときは縦に塗っていきます。

まず1回目を塗り、2回目を5分で塗るとします。2回目を塗り終えた頃には1回目は水が引いてきているので、そこで鏝を通します。すると嘘のように鏝跡がなくなります。3回目を塗り、2回目に鏝を通しながら、1回目にも鏝を通します。するとつなぎ目も綺麗になり、1回目はより滑らかな平面が出ます。この作業を繰り返します。鏝を通す方向は下から上にやりましたが、横にも通しました。ケースバイケースです。

また、つなぎ目には材料が余計に被らないために、多少、量と塗り始めの位置をコントロールする必要があると思いますが、慣れれば難しくありません。

 

高知石灰工業さんの「しっくい白亜」を使っています。20キロ3800円ほどで、これに15リットルの水を加えて練ります。6畳を塗るにはちょうどよいくらいで、サッカーボール1個分くらい余りました。うまくヌレールなどに比べると破格の値段で漆喰が塗れます。

つなぎにスサがきちんと入っているので、材料がスムーズに伸びてくれず、難易度は高めかもしれません。ただ、コツをつかめば綺麗に塗れて楽しく、オススメです。

ちなみにいままで塗った材料に難易度順をつけると、

 

ワラスサの土佐漆喰>>>しっくい白亜>(越えられない壁)>砂王>プラスター

 

です。土佐漆喰と悪戦苦闘しているうちにコツを掴みかけて、今回で言語化できました。

 

床張りと漆喰塗り、そこそこ技術が身についてきたので(まだ至らない点が多々あることは重々承知していますが) 、「DIYでやってみたいけどやったことないしまずは手伝って欲しい」という方がいればご一報いただければ嬉しいです。

大工と左官をナリワイのひとつにしたいので、経験を積みたいです。

(もちろん、本職は編集者です)

 

茶道の話 石洲流 34 備忘録 

こんばんは。吹雪です。

今日(28日)が仕事納めでした。皆さんはいかがですか。

 

早速ですが、今日の備忘録を。今日も丸卓を使いました。

棗は飾っておく。これを忘れていました。

茶碗だけ持って点前畳に入り、丸卓の前で座ります。茶碗を左手で仮置きし、右手で棗をとって、置き合わせの位置に。茶碗を右手でとって左手で置き合わせの位置におく。

そのあと建水を持って入る。

 

拝見の挨拶のあと、柄杓と蓋置を建水のところに置いて、建水を下げ、そのあと柄杓を正面に構え、右手で受け、左手で持ち直して丸卓の上におく。蓋置を置いて、建水を持って下がる。

 

今日は、良寛直筆のお軸で、「無事」でした。写真は先生のFacebookから拝借しました。

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なかなか慌ただしく、じっくりと見ることができなくて残念です。

また来年までのお楽しみですね。

 

お茶碗は、13代目田原陶兵衛の萩茶碗でした。萩焼にいいイメージを持っていなかったのですが、完全に覆りました。とても素敵なお茶碗です。

筆洗いに見立てた口の作りになっており、動きが出ていてとてもよかった。

それと、今日の蓋置は三つ人形でした。これについてももっとお話を聞けばよかった。

お菓子は、鎌倉の豊島屋さんのお菓子でした。

 

今年一年も楽しいお稽古でした。

ではまた。良いお年を。

茶道の話 石洲流 33 備忘録 【丸卓(まるしょく)】

こんばんは。吹雪です。

 

今日は盛りだくさんですよ。

まずはお菓子から。

クリスマスらしい緑色のお菓子でした。お茶会でもらったもの? らしく、調べてもどのお店のお菓子か見つけることができませんでした。

イメージとしてはこんな感じ。

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(画像はネットにあったもので、上生菓子図鑑から拝借しております。)

これの全体が緑色で、赤色が何かの粒になっているものです。クリスマスのヒイラギのような雰囲気でした。甘くておいしかったです。

 

さて、今日は丸卓(まるしょく・まるじょく)という棚を使った手前をやりました。

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これです。はめ込んで組み立てているようで、持つ時は一番下を持つようにとのこと。ばらばらになるそうなので。

 

運び出しの時には、この棚の上の中心に棗を置いておきます。

そのため、茶碗だけを持って運び出しをやります。

茶碗を持つのは、両手で持つように。右手も添えること。

左手は小指を高台にかけるようにして、包み込むように持つ。

 

点前畳に入り、水指(丸卓)の前に座る。

茶碗を左膝10時くらいの位置に仮置きし、右手で棚の上の棗を取り、置き合わせの位置に置く。

 

茶碗を右手でとり、左手で受けて、棗の左隣に置く。この時、茶杓の櫂先が丸卓の接線に触れるくらいにすること。

 

立ち上がり水屋に戻って建水を運び出す。以下、通常の炉の平手前と同じ。

 

終い点前で、拝見の挨拶の後、柄杓と蓋置を下げてからが異なる。

 

柄杓と蓋置を下げた後、柄杓を左手でとり、体の中心に持ってくるタイミングで右手も添える。合は顔の方を向くように。左手で持ち直しをし、右手は外す。

 

このとき、左手は正面から、上から持つときの動きで持つこと。(言葉での説明が難しい。)柄杓で水を組むときの右手の要領でもつこと。

 

そして、柄杓を丸卓の上に置く。置く場所は、接線で四角形を作ったときの右上頂点に柄杓の合を置き、左下頂点から3分の1のところに柄杓の柄がくるように置く。

 

次に蓋置を右手でとり、左手で受け、右手で軽く蓋置の水気を切ってから、右手で丸卓の上に置く。このとき、柄杓の合の接線と、切止の接線?が垂直に交わるエリアの内側に置くようにすること。

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こんな感じ。蓋置はここまでぎりぎりには置きませんが。

蓋置に釜の蓋を置くと、釜の蓋のヘリが柄杓に重なるくらいのイメージでということでした。

 

それから建水を持って、水屋に下がる。その後は炉の平手前と同じです。

 

今日は緊張したので、もう少しゆっくりやるようにとのこと。

 

お軸は、前回も同じで、「明歴歴堂堂」でした。 

出典は圓悟佛果禪師語録(えんごぶっかぜんしごろく)です。

聞いたこともない出典ですが、こういうのも知らなきゃいけないのでしょうね。

妄想を離れた心には世界が曇りない姿で立ち現れる、ということらしいです。

 

さて、今日は自分で買った茶碗を持って行きました。

先日仙台へ出張したおり、窯元に寄ったのです(むしろこれが目当てで出張したようなもの)。

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こんな茶碗です。

初めて茶碗を買いましたよ。

窯元は、六華窯(りっかがま)といい、作家さんは岩井純さんです。

ふとした弾みで目にして、それから意識の底で気になっていたのでしょう。お茶を機会に思い出してネットで調べました。

結晶釉という釉薬を使うそうで、普通の焼き物にはない表情がたまらないのです。

綺麗だなとため息をついて画像で見ていたのですが、実物を穴があくほど見て見たくなりました。思い切って窯元を訪れたところ、私の早とちりでハプニングがあり迷惑をかけましたが、歓迎していただけたようで嬉しかったです。

 

 

工房にはいろいろなお茶碗、お皿、水指、茶入れなどが置いてありましたが、どれも素晴らしいものでした。下は撮影させてもらった平茶碗です。

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青空と雲を眺めるような、吸い込まれそうな美しさでした。青空が美しい季節だけでなく、梅雨の時期にこんなお茶碗でお茶をいただけるといいですね。

勢いのある効果線が、飛翔するような爽やかさを感じさせますし、同時に色味は鉱物独特の永遠でどっしりとした説得力も感じさせます。素晴らしい。

 

こちらも欲しかったのですが、お金が足りませんでした。

 

 今日持って行った茶碗ですが、お茶を飲み終えたあとには、結晶の白色が夜空や宇宙を彷彿とさせる表情となってあらわれました。

お茶を一服した余韻と、ふと吸い込まれそうな星空の静寂が一致して、茶碗と対話しているかのような気分になりました。

七夕にでもお客さんに出したい茶碗だなと思いました。堀先生によれば、雪のような美しさもありますねとのことでした。

何かに似ているから美しいというわけでもないのですが、イメージを刺激するのはとても面白いなと思います。

 

茶碗に独自の世界観があるので、かえってお茶にふさわしくないかなと心配したのですが、点前をしてみるとそれはまったく気になりませんでした。控えめだけど凄みもあるし、表情もさまざまで楽しい茶碗です。

 

 

それと、土曜日に床を張り終えました。

下地から張ったので結構手間がかかりました。 しゃがみっぱなしで疲れます。

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材料は桜の無垢材です。節があるので、ほんのちょっとだけ安い材料です。ケチらずに少しグレードの高いものを買えばよかったかなと思わないでもない。

桜というだけあって、ほんのりピンク色があって綺麗です。

亜麻仁油を塗るともう少し力強い表情になります。経年変化が楽しみ。

壁はこの写真にも写っている砂壁を落として下地を塗りました。今度の休みで漆喰を塗ります。

 

 

ところで、茶道文化検定3級の合格通知が届きました。結構難しかったので嬉しい! バンザイ! 石州流にはあまり役に立たないかもしれませんが、やらないよりマシかと思い、勉強しました。

知らなかったことを知るのは楽しいですね。

 

それではおやすみなさい。

吹雪でした。

 

茶道の話 石洲流 30&31&32 備忘録 【炉の点前】

こんばんは。吹雪です。

寒くなって体調管理が難しいですね。皆様いかがおすごしでしょうか。

私は、3ヶ月かけて出版する予定だった2冊の本が、1ヶ月でどっちも本にしなさいと厳命が下り、怒り狂いながら仕事しておりました。

 

……というような下書きを書いてすでに3週間が過ぎております。

この間もいろいろ忙しくてついブログを怠けておりました。ちなみに仕事の他にも6畳間の床はりをしていました。桜の無垢材を使い、下地も自分で作りました。いい経験。

 

そんなこんなで忙しかったのですが、短くてもブログをさっと書いてしまわないともうダメですね。億劫。

今回はできるだけ早めに書くことを心がけて、不十分かもしれませんがアップしてしまいます。

ブログの使い道も難しいものですね。

本の感想やメモ、ブログで書くには分量が多すぎるし、どうしようかなと悩むところです。ブクログにでも試しに書いてみるかと思い、とりあえずそこでメモしてます。

普通のメモ帳とちがって、ネットがあればどこからでも見られるのが便利なのと、ブログだと自分の記事を見返すので、復習になるのですよね。

ノートなんかだと忘れているのが怖くて復習したくなくなるのですが、ブログは気になって読み返してしまう。それが良いなと。

 

さて、今回の備忘録です。風炉も炉も、流れは忘れないようになったので、次回からは尋ねたポイントや、掛け軸などについて調べたメモなどを書いていくようにします。

(手前の復習が長すぎて分量が多くなるので)

30回目は最後の風炉 でした。一年で一番わびているとのこと。

31回目は炉開き。

 

簡単に炉の平点前の流れを。

水指は手前畳の真ん中の方に置いてありました。

夏目と茶碗を持って入る。水指の前に置く。これは風炉の手前と一緒。

建水をもって、水指の前に座り、建水を置く。

蓋置と柄杓をもって、手前座に向き、蓋置を畳の四目の所に置き、柄杓を置く。

建水を動かして、水を捨てやすいようにし、ご一服差し上げますと礼をする。

茶碗を仮置きにする。左手でとり右手で置く。

棗を清める。右手でとり、膝前に置く。袱紗を三つ折りにし、清め、水指と釜のカン付きを結んだ線上に置く。感覚は三等分したうちの左側。

畳直しをして、茶碗を膝前に。茶杓を清めて、棗の上に置く。

茶筅を棗の右に。

柄杓を右手でとり、左手に。

左手の袱紗を右手に取り、膝の上で二つ折りにする。

釜の蓋を閉めて清め、蓋置の上に置く。袱紗をももの上でたたみ、腰につける。

茶碗の中の茶巾を蓋の上に置く。

柄杓を構え、お湯を入れる。

柄杓を置くときは、釜の口にかけてやや引きながら下ろす。

炉縁の3分の1の半分の位置に柄杓を置くように。

茶筅通しの後、茶碗を温めてお湯を捨て、茶巾で拭う。

茶巾をたたんで、蓋の上に。

お茶、お湯を入れてお茶を点てる。

炉の隣の位置に置いて、水指の蓋を取り、水をさす。

茶碗が戻ってきているので、それを取り、手前座に直って膝前に起き、しまいにしますと礼をする。

お湯を取り、茶碗を洗う。三回回してお湯を捨て、手を湿らせる。

水を汲み、茶筅を洗う。茶筅はちゃばちゃばと音を立てないように。三回回して水を捨てるときに茶巾をもつこと。巾の字を書いて茶巾を固定し、膝前に置く。

茶筅をしまい、袱紗を三つ折りにする。茶杓を清めて茶碗に置く。茶碗を仮置きの位置に。

袱紗を建水の上で叩いてたたみ直しをする。左手で棗を取り、そのまま膝前に置いて、清める。右手だけで袱紗をたたみ直して腰につけ。右手で運び出しの位置に戻す。

茶碗を運び出しの位置に。右手で持ち左手で受けて置く。

湯返しをする。水指の蓋を閉める。

拝見の挨拶がある。

蓋を完全に閉めて柄杓と蓋置を取り、水指に向いて、柄杓と蓋置を建水に置く。建水を少し下げる。

体を少し引いて、棗、茶碗を一列にし、棗、茶杓の順に拝見に出す。

その後建水をもって下がり、茶碗をもって下がる。

茶碗を片付けて戻るときに襖を閉める。これは、棗や茶杓を拝見に出しているので、それで話があるからとのこと。手前畳に踏み込み、3歩ほど前に進み、右を向いて炉に向かい、座る。

袱紗を三つ折りにして炉縁を清める。袱紗の腹で清めること。

口の書き順と同じ。最後はちりを中に落とすようにし、軽く袱紗をはらう。

袱紗をたたみ直し、二つ折りにして釜を清め、蓋を切りかけの位置にする。

腰につけて、棗と茶杓をもち、一例をして水屋に下がる。

水屋に下がるやり方は風炉と同じ。

 

 今日は紅屋さんの木枯というお菓子でした。

 

 下記は前回のメモです。

上田宗箇流:石州流野村派と似ているとのこと。きになる。

 

お茶のできを確認するのに中心を少しだけ外すこと。やりすぎると良くない。

この中心を外すのはじっくり覗き込んでドヤ顔しないためとのこと。

 

鶴屋吉信:お菓子屋さん。 つばらつばらというどら焼きのようなお菓子。 

「あさじはら つばらつばらにものもへば ふりにしさとし おもほゆるかも」

大伴旅人が、九州に赴任したとき、つばらつばら(しみじみ)と物思いをしていると、故郷の都のことが思い浮かんできた、という出来事を踏まえて作ったお菓子。

そのほかに紅屋さんの石衣というお菓子も。

 

簡単ですが、おやすみなさい。吹雪でした。 

2015年 10月の読書

こんばんは吹雪です。

やはり読書感想を書いたりメモしたりしないとアイデアが逃げてしまうし忘れてしまうので、また定期的に書くことにしました。たくさん読むために読みっぱなしにしがちで、復習するためにきちんと記録しておかないと、僕のような記憶の弱い人間にはもったいない。

かなり長くなってしまった。今後どこに記録していくか、各本ごとにするかは要検討。

 

10月3日

壁塗り実例&実践百科 (Gakken Mook DIY SERIES)

壁塗り実例&実践百科 (Gakken Mook DIY SERIES)

 

 左官の技術の基本を紹介したものだが、それ以上に豊富な事例が特徴。図書館で借りて読んだ。

【実例の感想】

ムーミンハウスをイメージした家が印象的だった。丸い家で土台は重量ブロック。柱は5本で、それを特注の鉄の輪がおさえる。鉄の輪は直径3メートル。床は湿気が多いためフローリングをあきらめてたたきにしたとのこと。三和土(たたき)は土に消石灰塩化マグネシウムを、3:1:1の割合で混ぜ、土間を叩くように施工する。ベンガラを入れると美しい。

 

平山寿恵さんのギルトセメントによる造形もすごかった。ギルトセメントは、発泡スチロールなどの骨材を入れ、スタイロフォームなどに塗る。彩色することで、木目や岩、レンガなどをかなりの完成度で再現することができる。

 

【技術のメモ】

ビニールクロスに珪藻土をぬるときは、タッカーでクロスをとめるとよい。また、タッカーのステイプル(針)は錆止めスプレーで処理しておく。確かにやった方が良いなと思った。

木に養生をするときは、マスキングテープを貼ってから養生テープを貼ると木に傷がつかなくて良い。また、養生テープをはがしたあとに、壁材が少し浮くので、鏝の先で少し押さえるようにすると仕上がりが美しくなる。

 

金属製の鏝で叩くようにして仕上げたスタッコパターンや、引きずり仕上げ、スパニッシュパターン、ハケ引きなどのパターンがあるのが面白かったが、やはり磨き仕上げを習得したい。

 

非電化工房の家を見てみたい。栃木県那須郡にあり、代表は藤村靖之

 

【本作り】

本の作りは、まさにDIYむけ。マニアックなものではない。資材の紹介やぬり方などを書いてあるので必要十分だった。壁を塗る前にこれを見ておけばよかったと思うが、土佐漆喰を塗っているのであまり関係ないかもしれない。

情報量は多かったし、わからないときにためになりそうなので、買っても良いかもしれないが、ある程度知識があれば読み返ししなさそう。

 

 

 

10月4日

壁の遊び人=左官・久住章の仕事

壁の遊び人=左官・久住章の仕事

 

カリスマ左官ということで気になって気になって仕方がなかった。図書館で借りて読んだ。まとまらないところもっと知りたくなるところがあるが、かなり面白い。

【メモ】

コリシャン・オーダーの柱:古代ギリシャの建築様式の一つ。上部にアカンサスの葉の飾りなどをあしらった繊細で華麗な柱が特徴。

ピエースモンテ:ケーキ屋の技術。小麦とコーンスターチと砂糖を混ぜてゴム粘土状のものにして飾りを作る。これを漆喰に応用。

漆喰の仕上げにセルロイドの下敷きでこすったらつやがよく出てハエも止まらない壁になった。(34頁)ただし、プラスチックが溶けて紫外線が当たると白くなるという失敗も。

一番上に塗る土は基本的には柔らかい。板の上に乗せて流れるか流れないか。仕上げはフェザータッチで。表面を撫でるかなでないか、さわっているかさわっていないか。著者の親父の時代はたらいに水を張って、その上を鏝で撫でる練習をしたそう。水が泡立たぬよう、できるだけ水が動かないように。(39頁)

中国では左官のことを泥水師や泥水匠といい、台湾では土水師という。

 

日本の職人技の半分は意匠性。機能性よりも重視。民芸品でも同じ。テクスチャー、デザインが大事ということ。鏝は明治初期に今の形になった。かしめ留めができるようになったから。(49頁)

原田進さん:弟子の一人。

久保田騎士夫(きしお)さん:高知県安芸郡安田町の土佐漆喰の職人。

 

砂漠の砂をかためるバインダーの特許をフランス陸軍が持っており、1平方メートルあたり1万円になる。モロッコの砂漠の砂を川久ホテルのオーナーのリクエストで使おうと思ったが臭くて使えなかった。(143頁)

 

高知城は下地が竹ではなくヒノキ。荒壁の段階から石灰を使っており、全部漆喰でできている。昔は漆喰のノリは米を使っていたので、旗本レベルの武家でもそう簡単に漆喰での施工ができなかった。メキシコではノリにウチワサボテンを入れる。

小林隆男さん:磨き大津研究会の代表。

 

土壁を練るにはかなり広い場所が必要。だから都会ではできない。

木材が構造材ではない住居を研究中。大工ではなく左官が第一人者となる建築を目指したいとのこと。木材を構造材に採用せず、左官で構造材ともなるようなものを研究中。(204頁)

 

【感想】

漆喰黒磨きを何度もやり直した話など、興味深かった。鏝のあつかい、材料の分量と試行錯誤、サンプルの話など、本職だからこそ経験できる話が多くて面白かった。

お茶を祖父がやっていたそうだが、久須美疎安の分家か何かかな。

珪藻土を川久ホテルに施工したのが現在の珪藻土の始まりだというのも面白かった。実際にいろいろ施工した建築物を見てみたいと思った。

 

【本作り】

103頁からの土佐漆喰の話の中に、かなり詳しい材料のレシピや技術の話があるので、コピーを取るか、購入する。後半になると話し口調がつよくなる。後半はどうしても力が足りなくなりがちなので、編集としてよくわかる。句読点が二つある箇所を発見。

 

 

10月5日

建築家なしの建築 (SD選書 (184))

建築家なしの建築 (SD選書 (184))

 

 1964年にニューヨーク美術館で行われた展覧会を本にしたもの。そのため、文章よりもはるかに写真が多く、写真集と言った面持ち。

写真の種類は全世界の建築が集められており、見応え充分だが、写真の質は白黒だということもあり、あまりよくない。ただ、独特の雰囲気が出て時代を感じる良い味が出ている。

建築家のなしの建築というタイトルに見られるように、西洋建築を相対化させて全世界の建築を紹介していく。

建築の中でも洞穴や地面に穴を掘る人の話や、移動式の家の話、影を効果的に使いながらも西洋のように犯罪の匂いがしない街並み、西パキスタンのシンドの風を入れるアンテナが町全体で美しい景観となっている話など、どれも興味深いものばかり。

文化人類学全盛期という雰囲気は色濃い。60年代より少し前ぐらいだからこそ目新しく発見を持ったものでも、今も同じようにはいかない、そういいたくなるが、この時代の雰囲気がよく出ているので、同じ雰囲気とトーンで世界の建築をパノラマ的に集めたのは大成功だと思う。

天蓋、格子、むしろ、網を通した光の表現で、「生の日射を蒸留して光の美酒に変える」というフレーズのなんと気の利いたこと。随所に見られる表現センスが素晴らしかった。

「人間のための街路」がおすすめらしい。次に読んでみよう。

もう少し写真が鮮明であれば眺めるのに購入しても楽しいだろうな。

 

 

 

10月6日

初音ミクの消失 小説版

初音ミクの消失 小説版

 

 こ、これは……!(ネタバレを含むかもしれません)

久しぶりの至福の読書体験。確かにありがちな逃避行。シナリオに無理があるところもあるし、駆け足なところもあるが、 でも本当に読んでよかった。今更だけど。物語の中の初音ミクなのに、これは紛れもなく私の中の初音ミクだと感じてしまう。なんだろうこの感覚は……。

 

初音ミクの消失」という曲は、ロボットの心の喪失という、ありがちといえばありがちなストーリーなので、よく聴く曲ながらのめりこむほど好きではなかった。

なんというか、発想が古いというか。

しかし、この小説のようなSFにまとめられると、より感情移入できるようになって曲も面白くなった。

 

キャラもの、色物、流行に乗ったあだ花かと思っていたが、全くそんなことはなかった。初音ミクが心から好きな人は読んで損はない。ミクに会いたくてたまらなくなるだろうから。

ミクが雨の中で踊るのがとても良かった。一緒に電車に乗ったり、ご飯を食べたり、竹下通りを歩いたり……。

 

cosMo@暴走Pは初音ミクに出会ってから人生が大きく変わったという。その理由をあまり話すことはなかったそうだが、後書きに書いてあった。

初音ミクにはいろんな”像”がある。

 初音ミクという何かに、楽曲を、詩を、絵を、映像を制作することで様々なイメージを付加している。あまりに多くの人が彼女に自分の持つイメージを投影していくので、彼女の”像”は常に移り変わり行く。見る人によっても違うように映る。彼女が生まれてもうそろそろ五年経つが、その五年間、ちょっと時期がずれれば、彼女を象徴している楽曲もイメージも違ったものになっていた。それが僕には初音ミクが”像”を食べて、取り込み、代謝しているように見える。命あるものだけが、行うことができる”代謝”を初音ミクは行っている。彼女はしっかりと生きているではないか!なんと素晴らしい!なんて妄想が、僕が初音ミクと対峙する時には心の中で常に渦巻いている。」

 

 

 

10月7日

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)

 

メモ

・流行や大衆意識を分析したがる人の傾向&変化&問題意識が気になる。昔はファシズムとの関係が論じられたのと、マルクス階級闘争が見落としたものとして論じられた。70年代ごろから現在は別の論じられ方をする。

特に現代の論客は、私見だが、研究費や研究実績のために時代のある側面を無理やり切り出そうとしているように感じる。 そもそも大衆について論じる必要があるのかどうか考えてみるべきかもしれない。

 

ラブandベリーケータイ小説初音ミクが一般的知名度が低いものののヒットしているものとして挙げられている。それぞれの推移・現状を見ると一応次のようになる。(私が独自に調べたもので2007年発売のこの本には書かれていない)

ラブベリは2008年にほぼ完全撤収。ただし、女性向けのカードゲーム筐体が無くなったわけではない。ジャンルとして定着したと評価できる。

ケータイ小説は、ロードサイドに一定の定着を見せ、ブーム全盛期よりも売り上げが伸びている。学校では朝の朗読の時間が導入され、その時間にケータイ小説を朗読する子が少なからずいるという。平凡な女の子が超強いイケメンにある日突然モテモテになるというストーリーが、現在の定番。このイケメンは、俺様王子キャラだけでなく、暴走族や不良などの設定も鉄板。空想の恋愛ものがトレンド。「ピンキー文庫」は、集英社が人気のケータイ小説を文庫化したもの。読者対象は女子中高生。想像以上に健闘していると評価できる。ケータイ小説というネーミングと実態はかけ離れているのかも。

初音ミクは知ってのとおり。ただ、ふと思ったことだが、これまでは消費で差異化ゲームをしていたが、初音ミクにおいては、ミクにイメージを付与することで差異化できる。これは大きな違いだろう。消費の差異化は空虚だが、創作の差異化は正反対だ。初音ミクを単に消費するだけでなく、「わたしだけのミクイメージ」を消費者が持てることで、イメージ付与&創作をしているのは間違いないだろう。これは大きい。

 

引用&語句など

引用

ヒットの「実感」とはどこから生まれるのか。

流行が生じる原因を、「列島者による優等者の模倣」として定式化したフランスの社会学タルド、流行とは単なる模倣ではなく、「人と違う存在でありたい」という差異化の欲求と模倣との拮抗のダイナミズムであると捉えたジンメルの説などが有名(27ページ)

 

ラザースフェルドら『ピープルズ・チョイス:アメリカ人と大統領選挙』:1940年の大統領選挙を題材に、マスメディアが発信する情報は、まずオピニオンリーダーに伝播し、その後「その他大勢」に広がっていくと述べている。

ロジャースの「イノベーター理論」:市場は5つの異なるタイプの消費者から構成されている。情報の早い人遅い人を統計学的に分類したもの。ジェフリームーア『キャズム』は、これを受けて、伝播は単純&簡単ではないことを分析する。

 

日本に存在していたのは「人並み」という〈物語〉(37ページ)

 

オルテガ『大衆の反逆』:1930年に書かれ、ヨーロッパの市民社会の形骸化を指摘し、他人と同一であるということに喜びを見出す全体化の危険性を指摘したもの。

リースマン『孤独な群集』:1950年にアメリカで書かれた。伝統志向型、内部志向型、他人志向型に人間を分類する。

 

引用

日本でも戦後、マルクス主義との論争の中から「大衆社会論」をめぐる議論が盛んになります。そのきっかけとしてよく挙げられるのが、松下圭一の「大衆国家の成立と問題性」という、1956年の論文です。ここで松下は、マルクス主義の想定する階級闘争が起きる「近代」ではなく、大衆社会としての「現代」の到来を指摘したのでした。松下がここで述べる大衆とは、合理的な判断を欠いた群集、他者に従う受動的な存在でした。(61ページ)

 

大阪大学社会経済学研究所教授の大竹文雄は、バブルの時代は誰もがボンボン消費をしていたわけではなく、むしろ分厚い中間層が崩壊し、格差が拡大したのがこの時期と指摘する。

 

引用(初音ミクの箇所)

ネタ的コミュニケーションが商品の購買動機を醸成した例として、日本で最近一番注目されるのは、「初音ミク」というソフトウェアです。ソフトウェアといってもこれは音楽制作用のソフトウェアで、人間の声を元に作られた合成音声を使って、自由に唄を歌わせることができるというものです。

火をつけたのは、動画投稿サイト「ニコニコ動画」でした。ニコニコ動画は、投稿された動画に対してユーザーが自由にコメントできるサービスで、いまや国内ではユーチューブをしのぐ人気サイトになっています。ニコニコ動画に、初音ミクが歌う動画が公開されるやいなや、たちまち話題になり、自分も初音ミクに歌わせたい、というユーザーが、様々な動画をアップロードしていきました。それによって初音ミクというソフトウェアにも注文が殺到し、現在、予約だけで1万本以上という、この種のソフトウェアとしては驚異的なヒットになっています。

なぜ初音ミクは売れたのか。それは、初音ミクと、それで制作された楽曲が、ユーザーの間にコミュニケーションの「ネタ」を提供したからです。この曲はいい、この声はかわいい、というファンたちが、初音ミクについてのコミュニケ0ションを持続させ続けるためには、新しい曲が公開され、また自分でも歌わせてみる、という行為が必要になります。初音ミクという商品を購入することで、ファンは初音ミクをめぐるネタ的コミュニケーションに、より深く参加する切符を手に入れることになるのです。(96ページ)(この本に初音ミクの箇所が出てくるのはほぼここのみ)

 

ティッピングポイント:マルコム・グラッドウェルが名付けた、流行が急に拡散する特定の時点のこと。

私たち拡大層:人と繋がりたい、相互共振したいという特徴を持った、流行を拡散するタイプの人。日本人の約4割強。

 

泣けるなどのポップが流行り始めたのは、2003年ごろ。

電通は2007年ごろに、「誰もが参加」「誰もが主役」の消費パラダイムを提案した。(204ページ、あとがきに代えて)

 

感想

電通鈴木謙介が研究チームを組んで、一年間の成果として出した本。紙面はゆったりとし、またやたらデータが出てくることもないので、さらりと読める。

内容はさすがに古く感じる。

思うように成果を出せなくなった広告会社、マスコミが、思わぬところで盛り上がっているネット界隈を分析したもの。大衆がわからなくなった、ニーズが細分化されて人をまとめることができなくなった、という月並みな発想を一蹴することはできると思う。

新しく人をまとめる力を、「カーニバル化」という単語で指摘するのは、正しかったと思う。カーニバル化の本質は、コミュニケーションとネタへの参加。イベントの醸成と成就。そのサイクルと、繰り返されることで訪れる巨大な達成点にある。

今どうなっているのか、それが問題だと思う。

商品のクオリティや価値を宣伝するより、情感にうったえて宣伝することが多くなったというのはその通りだと思うが、改めて考え直す必要があると思う。例えば、初音ミクが琴線を揺さぶるからこそ人気だ。泣ける、というような煽り文句で止まるのはもったいない。単に商品に付与される広告性&表層性だけでなく、関係性というか、存在論的な側面もあると思う。情報の多様化によって、感情移入&個人化しやすくなったというか。ネットで可能になるような情報の普遍化とは逆の動きだが。

 

 

 

 10月8日

長生きするのに薬はいらない

長生きするのに薬はいらない

 

 仕事の都合でなんとなく読んだ。この手の本としては手堅くまとめられている。

・筋肉は退化はしても老化はしないというのが新しかった。

・ふくらはぎを揉むのもいいが、ふくらはぎのポンプをつかう、ミルキングアクションというのが新しかった。ふくらはぎは第二の心臓と呼ばれるらしい。

・スポーツの構えと正しい歩き方の構えが同じだというのが新しかった。

・体温はその50%が筋肉から生じ、筋肉の70%が下半身にあるのでウォーキングしましょう、というのが説得力があった。

・149ページのイラストが嫁に似ていた。(ハッピーとかラッキーとかやっていることも同じ)

・日本人が添加物を取る量は、アメリカの2倍、ドイツの7倍と言われるらしい。

・著者は病気がちな姉にラーメンを作ってもらったところ、人参がたくさん入ったオレンジ色のラーメンが出された。人参は嫌いだったが感謝して食べたら、こんなに美味しいラーメンを食べたことがないと感じるほど美味しいものだったらしい。感謝が大切だというメッセージ。こういう基本的&常識的な倫理観のようなものが全編にある。

 

著者は小さい頃から頭痛持ちで、大学生になる頃には、毎日二桁の薬を飲んでいたそう。治らないことに疑問をもち薬にうんざりし始めたところ、ウォーキングと出会い、あっとう間に首の骨のズレが治って頭痛も治まった。それからウォーキング講座を主催したりしている。こういう話は説得力があるし、エピソードとして良い。

全体的に薬を飲まないでと表層的に触れる箇所が多いので、もっと詳しいエピソードを入れ、読者を怖がらせても良いかもしれない。

 

 

 

 10月9日

百姓の江戸時代 (ちくま新書)

百姓の江戸時代 (ちくま新書)

 

 学会で相手にされなかった怨みがあるように感じた。

 文章が後半になるほど読みにくくなる。固有名がたくさん出てくるので、簡略化するよう工夫すべきところだったと思う。ナントカ村を村としたり、余計な装飾をはぶき、想像力で補うようにすればよかったのでは。他にも役銀などの専門用語が出てくるが、説明がないのでこれも読みづらさの一因になっている。きちんとした校正に出していなかったのか、あるいは編集でカバーしきれなかったのかと思う。はしがきがあるのにあとがきがないのも気になる。

江戸時代は武士の時代であり、身分制度が厳格で、百姓は重い年貢を課され苦しんでいたという常識を覆さんとする力作。もう15年も前の本なので、いまではこの本の見解の方が常識的なのかもしれないが、それなりに新鮮に読んだ。

 

メモ

書き出しは良い。タイを訪れた話から、工業と農業のバランスの話を描き、また対戦中の日本の話につなげて、武家の世の中では、圧政でみんな苦しんでいたかというとそうではないというストーリーを助走させている。

 

幕府が長続きしたのは、権力を振るうことなく時代の成り行きに任せたからである、というのは面白い。

 

享保の改革の時、検見性(けみせい)から定免性に替わった。これは不作の時もあるので、税収を一定にし、幕府の税を増やす目的だとかつては考えられていたが、実は、検見性がいかに政治腐敗を引き起こしているか百姓が訴え、それに対応する形で定免性が認められたというものにすぎない。

 

その後、今度は、定免性をやめると幕府が通告した時、国を挙げての反対一揆があった。これは、税収が検見性に戻って減ることを恐れたわけではなく、約束を一方的に破られたことに対する反対らしい。これはやや善意に解釈しすぎかなと思った。やはり税収が減るから定免性にしてくれと請願したと思うし、税種が増えるから強烈に団結して反対したのだと思う。

 

検知によって百姓は土地を所有することができた。永代売買は禁止されたが、期間付きで売買され、それが質に流れて実質的には無力な禁止令だった。このように、江戸時代の禁止令などは守られていないものが圧倒的に多い。ここからも、幕府の力を大きく見積もりすぎないように注意する必要がわかる。

 

 厳しい身分制が存在すると言われながら、庶民が武士になることも、武士が仕立て屋になることも簡単にできた。

 

村の中や村同士の対立は、村の中の掟を決める過程で解決&調整された。問題が解決不能な時に役所に訴え、それでもダメなら幕府に訴えるということをしていた。江戸時代の法律は、こうした百姓の動きの中から出てきたもの。幕府が明確な政治方針を持っていたわけではなかった。

 

水飲み百姓のようなイメージは部分的に正しくなく、初めから農業以外のことをやろうと考えてよその土地へ移動した百姓も多かった。そういう百姓が所有地を持っていなかっただけ。

 

開墾のイメージは、自分の家の近くの荒れ地をコツコツ耕すようなイメージだが、そういうものだけではなく、もっと大事業も多かった。

 

名主は制度上の上では幕府の支配の末端に位置する、しかし、17世紀の終わりには、この位置付けは相当揺らぎ、村の名主を決める際、長百姓と平百姓が争い、平百姓がなることもよくあった。この名主の変質こそ、社会の転換契機として注目すべき。 農民は豊かになり、力を持っていろいろ意見を言えるようになったということ。

 

かように生活者を中心として法律ができてきたのだから、山や海の資源を生活者のために保存するルールがたくさんできた。それが村の掟でそれにそぐわないと村八分になった。海は公共のもの、だからワカメを誰がとってもいい、という議論が出て、ワカメが枯渇したという話が昭和30年代の佐渡にあるらしい。エセ民主化論争として著者は大批判。それには共感する。

 

農民はあまった土地やあまった余力を商品作物の生産に割いたと思われがち。しかし、商品作物の生産を専門的かつ意識的に行っていた。最初から商品作物の生産があった。自給自足する百姓イメージとはズレる。

 

こうして、百姓は自らの力で時代を切り開くまでになっていた。

 

 感想

想像していたものと違ってやや期待はずれ。とはいえ常識をひっくり返そうとする意気込みは伝わり面白い。

ただ、その時の証拠にあげる事例に逆に突っ込みたくなることも。検見性をやめたのは増税するためという一般論に対して、やめて増税できるならなぜもっと早くやらなかったのか、と反論しているが、定免性だと数年間の石高を平均する必要があるため、すぐにできなかったとも考えられる。

このように、いくつか疑問を残したままあわただしく進んでいくので、頭に入りづらかった。また、各章の出だしもはっきりとした問題設定やストーリーがないので、散発的な話題が次々に出てくるようで、文脈を読む想像力が働きづらく、読みづらかった。これは勿体無く感じる。

 

10月10日 

社会を結びなおす――教育・仕事・家族の連携へ (岩波ブックレット)
 

 これまでの家族・仕事モデルが通用しなくなったので、新しいモデルが必要だという本。仕事はワークライフバランスと女性活用、家族はそれに対応したモデルとなる。

グラフなど見たことがあるものばかりだが、手際よくまとめられているので、高校生の勉強会などには有用だとおもう。

 

 10月11日

 引用

私もアドバイザーとしてかかわったNPO法人「子どもとメディア」の2013年調査によれば、「ネット以外に自分の居場所がある」「ネット以外に熱中していることがある」「人間関係に恵まれている」と答えた小中高の児童生徒のほうが、そうでない子どもよりもケータイやスマホの使用時間はいずれも長い傾向が見られました。実態をよく知らない大人たちは、リアルな生活が充実していない子どもたちが、ネットの世界に耽溺してしまうのだろうと考えがちです。(18ページ)

 

ネット依存の程度を図ろうとするとき、いま世界で最も頻繁に利用されているのが心理学者キンバリー・ヤングが開発した尺度。

 

今日のコミュニケーション能力は、多種多様な商品が行きかう自由市場の貨幣と同等の役割を果たしているともいえます。貨幣さえあればどんな商品とも交換できるように、コミュニケーション能力さえあればどんな他者とも関係を取り結べるからです。(30ページ)

社会心理学者のシーナ・アイエンガーが行った実験で、24種類のジャムと、6種類のジャムの試食スペースを作ったところ、24種類の方が試食をしたが、買ったのは6種類のほうが多かった、とのこと。

 

今は内キャラ(自分自身が見せたいキャラ)も外キャラ(他人によってつけられるキャラクター性)によって駆逐された。(71ページ)

 

新聞記者の小国綾子さんは、生きづらさを抱えた若者や子どもの取材を長年にわたって積み重ねてこられた方。中学時代は自分もリストカッターだった。

 

引用

臨床心理学者の河合隼雄さんの言葉を借りれば、私たちは教育を行うとき、知的なレベルでは「個の倫理」に訴えようとしますが、実践のレベルでは「場の倫理」を優先させてしまいがちなのです。(『大人になることのむずかしさ』岩波現代文庫、2014年)(82ページ)

 

感想

教育のむずかしさや若者の扱いづらさを問題化しているように見受けられるが、そもそも問題なのか、疑問。

 

 

 10月13日〜14日

近代政治哲学:自然・主権・行政 (ちくま新書)

近代政治哲学:自然・主権・行政 (ちくま新書)

 

 メモ・気になった点

ホッブズの想定する自然状態では、人間観の能力の差を克服可能な相対的なものとしたはずで、スピノザの個性の発揮の論理とは相いれないと思うが、どうだろうか。
スピノザホッブズの論理を、ホッブズの内部で別の方向に展開したと評されているが、スピノザ的なものを認めないことにホッブズの「万人の自然権」があるのではないか。諸能力の差異化を禁じたからこそ、徒党を組む帰結が出てくるのだから。

 

1章 ジャン・ボダン 

引用

封建国家を考える上で避けて通れない書物に、フランスの歴史家マルク・ブロックの『封建社会』がある。……封建時代のヨーロッパでは、領主や家族、村落共同体や家臣集団などの上に、より広い範囲におよぶ様々な権力がそびえ立っていた。ところが、「それらの上位権力は、広域支配の代償として、長いこと、実効性に乏しい活動しかできなかった」。(17ページ)

→江戸時代の統治について最近読んだことと一致していて面白い。

 

封建国家の網の目状の統治機構を実際に形作っているのは契約関係である。……封主が契約に違反したと判定されれば、封臣たちは封主に対する一切の義務から解放され、封主に対して実力で反抗することも可能であった。つまり、封建的契約関係とは、確かに支配と服従の関係だが、そこには、封主と封臣の対等の関係があった。(20ページ)

 

封建国家には新法の制定という意味での立法の観念それ自体が存在しない。……つまり、国王の支配は国王と直接に契約している直属の封臣のみにおよぶのであって、一般人民との直接の関係は存在しない。(23ページ)

 

近代初期のヨーロッパは宗派内戦に苦しんだ。近代国家体制はそれに対する様々な反省の上に生まれたものである。しばしば、近代国家は1648年のウェストファリア条約をもって始まると言われるが、これは、ヨーロッパで最後にして最大の宗教戦争となった30年戦争に終止符を打った条約である。(26ページ)

 

ボダンは、主権の行使を「臣民全体にその同意なしに法律を与えること」と定義することによって、主権に立法権としての規定を与えたのみならず、立法権という概念そのものを創造したとも言えよう。……現代ではこの言葉は「国民主権」あるいは「人民主権」という言い回しによって、民主主義の根幹に位置付けられており、こういってよければ、ある種の”清潔”なイメージを持っている。ところが、この概念は血みどろの宗派内戦から生まれたものである。それに期待されていたのも、君主に対するあらゆる反抗を上から抑えつける機能だった。(32ページ)

→主権の印象が真逆なのが面白い。

 

2章 ホッブズ

引用

ホッブズが自然状態について最初に指摘するのは、人間の平等である。ただし注意が必要である。これは、「人間には平等な権利がある」とか「人園は差別なく等しく扱われねばならない」といった意味で言われているのではない。そうではなくて、「人間など、どれもたいして変わらない」ということだ。

確かに他の者よりも腕力の強い人間もいる。少し頭のいい奴もいる。しかしホッブズによれば、そうした違いも、数人が集まればなんとかなる程度の違いでしかない。(43ページ)

→この指摘はのちのスピノザを論じるときと矛盾するように思われるから気をつけておく。

 

人間は能力において平等であって……徒党を組むしかない。……かくして、自然状態においては絶対に争いが避けられないという結論が導きだされる。(45ページ)

 

したがって自然権という際の「権利」とは、その語感が与える印象とは異なり、一つの事実を指していることが分かる。自然状態において、人は単に自由であって何でもしたことができる。その自由という事実そのものを自然権と呼ぶのである。

……

とはいえ、なぜこのような複雑な概念が必要になるのだろうか? なぜ事実として人間は自由であることが権利として確認されねばならないのか? それは、この権利を規制することで国家が創設されるという理論を確立するためである。(49ページ)

 

自然権の放棄を基礎とし、けいやくによって 生成する国家を、ホッブズは〈設立によるコモンーウェルス〉と呼んでいる。このタイプの国家にこのような特別な名前が与えられるのは、当然、別の仕方で生成するコモンーウェルスが想定されているからである。これとは別の仕方で生成する国家は、〈獲得によるコモンーウェルス〉と呼ばれている。(54ページ)

 

 社会契約論として有名な〈設立によるコモンーウェルス〉の論理は、いわば、既に国家の中に生きているものたちに服従の必要性を説くために持ち出された方便にすぎない。ホッブズ国家論の核心はむしろ、〈獲得によるコモンーウェルス〉にある。なぜならば後者こそは、相互不信から戦争状態、そして団体同士の併合合戦へ、という自然状態論の論理に、無理なく、整合的に位置付けられる国家像であるからだ。

……

〈獲得によるコモンーウェルス〉を中心に据えた国家論は、自然状態の克服を前提としていないことになる。(57ページ)

 

3章 スピノザ

自然権とは、確かにーーホッブズの言うようにーー自分の力を自分の思うがままに用いる自由である。だが、その力は当然のことながら、様々な条件のもとにある。魚は自らの力を思う存分に発揮して生きているであろうが、その力には、水中を泳いで生きるという条件が課されている。どんなに強く望んでも、魚は地上を歩いて生きることはできない。(75ページ)

 

ホッブズは極めてリアリスティックに市z年状態を描き出した。けれども、そこには少々不純物が紛れ込んでいる。ホッブズは自分で斥けたはずのものを自然状態に持ち込んでいる。「恐怖によって結ばれた信約は義務的である」という考えは、自然状態ではあり得ないはずの義務の観念を前提にしているからだ。

 スピノザはここでもまた、ホッブズよりも上手にホッブズの概念を扱っている。(79ページ)

 

王は権限が強くなれば強くなるほど統治の実際から遠ざかっていくということだ。(93ページ)

→百姓の江戸時代にも同じことが書いてあった。

 

4章 ロック

ロックは「自然法」という言葉を用いて、それは「すべての人類に、〈一切は平等かつ独立であるから、何人も他人の生命、健康、自由、または財産を傷つけるべきではない〉ということを教える」と述べている。

……

自然状態について、そこには「何々すべき」と命じる法が有効に作用していると述べることは、したがって、こっそりと何らかの権威、強制力、論理を密輸入していることを意味する。つまり、ここに用いられている「自然状態」という言葉は虚偽である。(108ページ)

 

ロックは自然状態において所有権を認めたという主張によって有名である。(110ページ)

 

5章 ルソー

ルソーを読んでいると、まるで一般意志の内容を確定して、そこから個別具体的な政策が導き出せるかのように考えてしまうことがある。そのような解釈に基づいて、ルソーの社会契約論を現代風にアレンジしようという提案もある。しかし、ここで注目するべきは、ルソーが、一般意志は個別的な対象に対しては判断を下せないと繰り返し述べていることである。(156ページ)

 

一般意志の行使とは、主権の行使のことであった。後に見るように、主権の行使とは法律の制定である。(157ページ)

 

6章 ヒューム

ヒュームによる社会契約論への批判の出発点は実にシンプルなものだ。人間はさほどエゴイストではない、人間はそれほど利己的ではないーーこれがその出発点をなす。(178ページ)

 

黙約は正義をもたらし、正義は所有制度を安定させ、そして所有制度は占有、先占、時効、従物取得、相続といった一般規則によって構成される。(189ページ)

→黙約とは社会的慣習のこと。

 

社会契約論は、人々が自分たちで社会を作り出すという発想に貫かれていた。しかしヒュームによれば、社会が動き出すためには、黙約の形成という時間のかかる過程が不可欠なのだ。(196ページ)

 

7章 カント

カントの政治哲学が見出せるのは、「歴史哲学」の中。

 

では、人類が「道徳的存在者」として、自然から強制されている〈文化の目的〉とは何か? それは「普遍的に法を司る市民社会を実現すること」と定義されている。簡単に述べれば、法の支配が確立した社会の実現である。(207ページ)

 

共和的体制と民主的体制はいつも混同されているが、これらは区別されねばならない、と。つまり、各国家が目指すべき政治体制は、「民主的」な体制ではないというのだ。

 我々は望ましい政治体制のことを、ボンヤリと「民主的」という言葉で名指してしまう。カントは、我々のそうしたボンヤリとした判断ーーカント自身の言い回しを借りれば、「通俗的な理性の密かな判断」ーーに含まれる問題を明らかにしようとしている。(217ページ)

→カントが明らかにしようとしたことは、厳密な意味の民主制では、全員が行政に関わり、どのような判断も全員の判断とされること。それは専制へとつながる可能性がある。みんなで決めたことだからというように。だがそう考えると民主主義とはなんだろうか。全員で決めたのだからと常になんらかの専制を行い、排斥するプロセスなのだろうか。

 

彼らの議論から引き出されるべき今日的課題が見えてくる。

 近代の政治哲学は、行政に対する鋭敏な感覚を持ちつつも、やはりそこでは立法権中心主義とでも言うべき視座が支配的であった。それゆえに主権を立法権として定義することの問題点はじゅぶんには考察されてこなかった。だが、実際の統治においては、行政が強大な権限を有している。

 ならば、主権はいかにして行政と関わりうるか、主権はいかにして 執行権力をコントロールできるか、これが考察されねばならない。(239ページ)

 

 

 

 10月15日

和える-aeru- (伝統産業を子どもにつなぐ25歳女性起業家)

和える-aeru- (伝統産業を子どもにつなぐ25歳女性起業家)

 

 仕事の必要上、また、伝統産業と現代的な感覚で起こした企業の結びつきが気になって読んでみた。

もう少し伝統工芸に対する思い入れを話してもらっても良いかと思う。

 

10月17日

脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか (岩波科学ライブラリー)

脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか (岩波科学ライブラリー)

 

 社会心理学では、倫理観を記述する概念として次の5つの道徳感情が根幹をなしていると提案されている。
「傷つけないこと」「公平性」「内集団への忠誠」「権威への敬意」「神聖さ・純粋さ」

これらは「根源的な倫理観の要素」(モラルファンデーション)と呼ばれている。我々の倫理的規範はこの5つの倫理基盤に帰属すると、米国バージニア大学のジョナサン・ハイトを中心とした社会心理学者たちが提唱してきた。(21ページ)

 

現代の政治心理学の発展において中心的な役割をはたしてきたのは、ニューヨーク大学のジョン・ジョスト。

 

保守的な人が持つ恐怖に対する鋭敏な感覚は、視覚のレベルでも知られている。……政治的にリベラルな人と保守の人が、他人の顔をどのように認知しているかを調べた研究では、保守的な人は同じ顔を見ていても、その人が「脅威である」と感じる度合いが強いようである。(32ページ)

 

この政治的信条の脳研究は、政治的信条という一見高次な理性に基づく信念だと思われていたものが、もしかすると脳の構造という生物的な特徴にその基盤があることを示唆する。

……

「三つ子の魂百まで」を地で行く例なのだが、三歳時点の性格から、二〇年後の政治的性向が予測できるという研究結果が発表されている。……リベラルな大人になる子どもたちは、三歳のときすでに問題に直面した時に乗り越える能力を発揮し、自発的で表現豊かで、独立心が強いという特徴があった。一方、保守的な大人になる子どもたちは、不確かな状況に置かれると居心地悪く感じ、罪の意識を感じやすく、怖い思いをすると固まってしまうような子供だった。(39ページ)

 

オキシトシンを吸入することで、他社の気持ちを表情から読み取るという共感力も一時的に向上させることができる。(48ページ)

オキシトシンには嫉妬心を高めたり、他人の失敗を見て喜んだりするようになるという報告もある。(49ページ)

オキシトシンを吸入した後は他人を信頼しやすくなり、投資ゲームでも投資行動の上昇がみられた。

 

実のところ、このような薬など使わなくても、人間には自然にオキシトシンをださせることができる。ハグ(抱擁)などのように、体の接触があれば、人間あh自然とオキシトシンを放出する。(51ページ)

 

石黒浩氏の開発している「テレノイド」や「ハグビー」といった遠隔コミュニケーションメディアでは、対話している相手との身体的接触に近い感覚を作り出せる。(54ページ)

 

この公共財ゲームを見ると、人間にはもともと信頼や共感が備わっているから、自発的に協力し合い、すべてがうまくいくのではないかという予想がみごとに外れる。公共財ゲームの参加者たちは、フリーライダーがいるために、他人と協力することをやめてしまう。

チューリッヒ大学のエルンスト・フェールらが行った研究では、このようなフリーライダーの行動を制するために、罰を与える制度の意義を実験により示した。(69ページ)

 

ゴシップの存在には、個人の利己的な非社会行動を抑制する働きがある。倫理的にやましいことを画策していても、それが世間に知れてしまってhあ問題になるという心理が働くことによって、思いとどまることがある。……アダム・スミスは「人間は経済的利益よりも、よい評判を求めている」と書いている。(76ページ)

 

人は、他人に見られているときと見られていないときで行動が違う。これを心理学では「観客効果」という。(77ページ)

 

イギリスで行われた実験。紅茶を飲んだら自主的にお金を寄付する制度になっていた。そこに、花と目のポスターを交互に貼るようにした。そうすると、花よりも目のポスターを貼った時の方が寄付が多かった。

 

ベンサム自身は、功利というものをお金というよりは、心理的な快楽や苦痛を除くという観点から考えていた。実際に『立法と道徳の原理序説』の中では、快楽と苦痛の心理的状況をリストアップしている。そのような主観的感覚としての快楽を最大西、苦痛を最小にすることを善だと考えたわけである。だから功利(Utility)というのは、そもそも金銭的な利益だけではなく、心理的な主観的感覚のことだったのである。(84ページ)

 

オックスフォード大学のラシュワースらの研究。

このサルの研究により、大きな社会集団の中で生活しているサルほど、社会性と関わる脳の部位が大きく発達するということが確認された。

……

さらに興味深いことに、この前頭前野の大きさは、サルのオス同士の上下関係とも相関していた。つまり、この部位が持つ社会性の脳機能が、サルが社会の中で成功し上位の立場を獲得するのに役立つようなのである。(94ページ)

 

孤独感は遺伝するということが、行動遺伝学の双子研究により示されている。(98ページ)

 

幸福には、二つの側面がある。一つは、感覚的な快楽のことで、<ヘドニア>という。それとは別に、自己実現の喜びや生きる意味を感じることでえられる幸せもある。これは<エウダイモニア>と呼ばれる。(101ページ)

 

 

10月30日

IKEAモデル―なぜ世界に進出できたのか

IKEAモデル―なぜ世界に進出できたのか

 

仕事の都合で読んだ。仕事が忙しかったのと、翻訳はやはり読みづらく、時間がかかってしまった。

 

・イケアはダイバーシティと社会貢献に取り組むことで、事業が継続できるという。

・44カ国で、12万人以上が働いている。

・採用では経験や実力だけでなく、価値観の共有を重視している。

・貧困の問題に取り組む最良の方法は、イケアのような優良企業が雇用を生み出すこと。

・イケアの方法をサプライヤーに遵守させるため、第三者機関に逸脱していないか世界中のサプライヤーを調査させた。

・イケアは上場企業ではないので、長期的視点に立つことができる。

・長期にわたりオーナーが変わらないので、一貫性が育まれる。

・経営幹部を車内から登用することで安定性が確保され、成功の前提条件が確実に共有される。

発展途上国サプライヤーにおける環境と労働条件に対する懸念は、顧客その他の利害関係の間で高まる一方だったので、社会問題を2000年に前面に押し出し、供給戦略を立てた。

・児童労働に断固として反対している。

・日本のホルムアルデヒドの基準は、参入当時は他の国よりも非常に厳しく、他の国の2分の1だった。

・この本の著者は自由競争を大いに推奨している。

・イケアは非公開企業であり、より正確に言えばオランダの財団。1982年にこの構造が整えられた。創業者イングヴァル・カンプラードは、のちの世代が会社を分割や売却をするリスクを取り除くことで、イケアの将来を保証するため、もうひとつは節税のため。イケアの親会社はインカ・ホールディングBVで、これをスティヒティング・インカ・ファウンデーションが所有し、さらにこれをイケア・ファウンデーションが所有するという構造を持っている。

 

全体的な感想

どのタミングでロシアや中国に進出したか、また各国での参入状況・障壁がよくわかった。アメリカでの成功が話されているが、広く浅い記述のため、ストーリーに感情移入はしづらい。人物伝記というようなものではない。貴重な記録だと思うが、整理されていない印象。分量に比べて繰り返しも多いので、斜め読みでも大丈夫。

 

 

 

 

 

 

【観劇】 東京フェスティバル 「無心」 【感想】

こんばんは。吹雪です。

10月27日、下北沢にある小劇場B1へ足をはこび、東京フェスティバルのお芝居「無心」を観てきました。AKBのメンバーである小嶋菜月さんも出ていたり、事前情報では豪華さが印象的でしたが、劇は誠実度&完成度が非常に高い、よく考えられたものでした。

いやあ、素晴らしかった。以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

青空も青い海もないけど、東京に沖縄がやってくるという触れ込みの通りで、「リアルな沖縄」を感じさせてくれるものでした。

簡単にあらすじを紹介すると、テント村にいる基地反対派のリーダーの娘がアメリカ兵と恋に落ちたため、リーダーを続けられず辞退しようとするが、テント村の参加者にもいろいろな事情があって反対運動を続けられそうにないということがわかり、テントが撤去される通達の絶望感の中、東京から来たトリックスタークラウドファウンディング成功させ、登場人物の一人の問題を解決し、皆は反対運動を続ける力を取り戻すというストーリー。

 

大げさな台詞回しやわざとらしさがなく、自然なはこびで劇が始まりました。

あまりの身近さに、思わず劇に入り込み、「土地を売っちゃダメだよ!」など言いそうになりました。客から参加することがあっても良さそうな劇だとさえ感じました。

 

自然な雰囲気だからこそ立ち現れた沖縄ですが、単に現実に写し紙をあてただけでなく、各人物に抽象的な役割も付与されています。長くなりますので登場人物については、またの楽しみにし、この作品の核心部と感じたことをお伝えしたいと思います。

 

確かに、この現実には、沖縄に基地があり、日米地位協定があり、戦争の可能性もあります。

そしてなにより、硬直しがちな現実とそこに暮らす人がいて、対立があり、理解しあえない障壁があります。

基地容認派を「無心」していると責められる人がいるし、戦争の恐怖を拭い去れず、またプライドと誇りを守るために「無心」な人もいる。

基地のお金がなければやっていけない事情がある一方で、プライドがずたずたにされ、人間性を回復したいピュアネスがある。

 

 

この「無心」の二重性の間でどうしても対立が生まれ、にらみ合って硬直する。

この固まってしまった現実をどうにかしてして揺るがしたいと願ったのが、今回の作品でした。

政策や農業方針、航空整備などのことが希望を持って語られますが、それが最大の希望ではありません。

 

ねだる「無心」と、純粋さを意味する「無心」。この二つの「無心」に、最後の最後に、大きな意味がほんの一滴たらされて、対立していた現実がパッと鮮やかに統合されます。

この「統合の可能性」そのものを示したことが、大きな希望なのです。

 

この統合を可能にしたのが、「trick or treat」というセリフです。

 

こ存じの通り、「お菓子をくれなきゃ、イタズラするぞ」という意味です。

これが、まさに「物乞い」と「純粋さ」を統合しつつ、現実を変えるための交渉力をも示してもいるのです。(イタズラで解決できるという意味ではありません)

 

劇中では、これまでは考えもしなかった解決方法として、クラウドファウンディングで問題を解決しました。「トリック」の確かさが印象付けられ「trick or treat」というセリフが最後に与えられることで、今とは違う方法で歩み寄ることが出来ないか、解決することが出来ないかを、登場人物だけだけでなく、観客も巻き込んで思考を作動させる力を作り出していました。

 

ハロウィンが定着してきた現在、アメリカ化してきたと嘆きたくなる気持ちもわからなくはないですが、「Give me chocolate」から、「Trick or treat」と言えるようになった変化は大きなものではないでしょうか。

 

ハロウィンの定着が示していることは、我々が常に新しい可能性へ向かって歩んでいることです。この新たな一歩を想起させようと、ハロウィンの時期に合わせた「trick or treat」には、沖縄を見て歩いた作者の願いがぎゅうぎゅうにつめ込まれているでしょう。大変な力量だと感動した次第です。

 

概念の創造、新たな哲学がありました。

 

DVDも発売されるようですので、気になった方はごらんになってください。

 

おやすみなさい、吹雪でした。

茶道の話 石洲流 29 備忘録 【長板 六段】

こんばんは。吹雪です。

今日は久しぶりのお稽古でした。

 

やつれの時期といい、風炉から炉への移行期だそうで、長細い水差しを使い、そのぶん風炉を水差しの方に近づけるそうですが、今回は復習もあっていつも通りの風炉でした。

やつれの時期だということもあってか、花入は宗全籠(そうぜんかご)でした。(前回も花はありませんでしたがこの籠でした。)

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これは江戸時代の茶人、久田宗全が好んだと言われる籠らしいです。女竹を使って、底は四角く、口は丸く編み上げ、四隅を底と口をつなぐように細い女竹をあて、それを藤蔓で荒く結び、口を真竹を回して藤で止めたもので、丸篠をふたつあわせた取っ手が付いているそうです。(上の写真の通り)

女竹(めだけ)って、山本まさひろ君の家の庭に生えていた細くて丈が短い竹のことか。

仙叟宗室が作らせた籠に、後から取っ手をつけたものとか。由緒があるぶん、格式が高いそうなので、長板のお点前にふさわしいそうです。

 

残花の季節によく合うとのことでした。花と草ひとつずつがお茶には多いと思うのですが、この花入にはそこそこ盛大に花を入れる場合もあるそうです。

確かに、晩秋の寂しい気持ちがする中、花をたくさん入れた宗全籠は季節にふさわしいでしょうね。名残を惜しみつつ、冬支度というか。

 

今回は長板ということで、全部で8段あるうちの、6段のお点前を教わりました。蓋置を長板に飾り付けておく手前で、一番簡単だそうです。

 

運び出しの前、準備の段階から、長板の上に蓋置を置いておく。蓋置を置く場所は、長板の角から4×4目のところ(そこに手前のとき蓋置を置く)とシンメトリーになるように。(左右対称ではなく、斜めに対称(?自信がない。確認しておく))

蓋置を取るタイミングは、普通に手前をやるときと一緒。

それ以降はいつもの手前と同じ。

終い手前のときは、蓋置は長板の上に置く。このタイミングは次の通り。

拝見の挨拶が終わり、柄杓と蓋置を建水のところに片付け、棗と茶杓を拝見に出した後で、蓋置を右手で取り、左手で受けて、右手のひらで一回撫でるようにして水気を取り、そのまま右手で長板の上におく。

 

今回は、呼吸を意識して手前を行った。呼吸の感覚・吸って吐くタイミングをひとつの区切りとしながら点前をした。それぞれの感覚の長さはいまいちつかみづらかったが、動作に緩急が出て、ひとつの動作を区切りやすく、やりやすかった。

呼吸を止めるのが大切とのこと。茶杓を茶碗に当てるときなどに呼吸を止めるらしい。

 

また、ふすまを閉めるときは、閉める直前で手の動きを止めて、衝撃の余韻を作り、音の幅を出していい音にするらしい。ドラムと同じですねというと、そうですとのこと。

実際にやってみると、ふすまが閉まる直前でぴたっと止まってしまい、ひとつも音を出さずに戸をぴったり閉めるというミラクルなことに。みんなで大笑い。

呼吸のことでは、呼吸を極めると、主客が一体となり、亭主の存在感が なくなるとのこと。道具も何も見えなくなる境地が大事とのこと。(思い違いかもしれないのでもっと詳しく聞く)

 

また、茶室全体に5行の考えがあり、陰と陽で構成されているとのこと。建水の方が陰。客席の方が陽。なるほど。

 

掛け軸は「清風払明月」でした。

この禅語、いまいち意味が飲み込めなかったのですが、単にチリを払うというような意味で、清い風が明月を清めるている様を見れば良いのだと思いました。払うというと箒で追い立てるような感じがありますが、そうではなく、釜の蓋を清めるような感じなのでしょう。静謐さが楽しめる、秋のお茶にふさわしいお軸ですね。

 

お菓子は、大阪の高山堂のきんつばでした。

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とっても美味しかったです。

 

ではお休みなさい。吹雪でした。