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くもり空の形而上学

ジャパンカルチャーや茶道のこと、編集者の日常ことなど雑多に書きます

茶道の話 石洲流 59 備忘録 【桑小卓】

こんばんは。吹雪です。

今日は風炉の手前かつ桑小卓ということで、書かなきゃ覚えられないよ!

30分一本勝負! どこまで書けるかわからないけど記録に残しておきます。

 

・飾り付け

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(写真は炉の手前だけど基本は同じ)

・下の棚に建水が入っている。建水には蓋置きを入れる。

・柄杓は写真のように立てかける。

 

・手前の仕方

まずは茶碗だけを持って入室。茶碗だけを持つことになり、入室は1回だけなので、道具畳の前で、手前座の方に向かって座り、道具畳の中央に茶碗をおく。襖に向き直り、閉める。茶碗持って立ち上がり、棚の前へ。茶碗を持つ時も、右手でとり、左手で受け、両手で持って移動。

 

ここからが炉の点前と少し違う。

 

正面に座り、風炉の前に茶碗を仮置きする。茶碗を置くのは左手で。

風炉の環を下ろす。

棚の前に行き、建水を取り出す。炉とは違い、棚の右横から、右手の甲を上にして、手前に押し出すようにし、左手で受けて、壁付きに置く。

柄杓を右手と左手で掴み持ち上げると、左手を外して右手だけで棚の内側から取り出すようにする。その後、左手で受け、そのまま建水の上に置く。

 

棗を下ろす。

茶碗のところへ少しだけ体を向けて、茶碗を左手でとり、右手で受け、左手で持ち直して、置き合わせの位置に置く。

その後、手前は風炉の平点前と同じ。

 

拝見の挨拶の後、柄杓と蓋置きを建水に置き、薄茶器と茶杓を拝見に出す。その後、棚に向かって、柄杓と蓋置きを飾りつける。

建水だけ持って退出する。次は茶碗を持って退出する。このとき、建水の水を捨てて、飾りつけるために建水を持って入室する。建水を持って入室し、ふすまを閉めて、棚に向かう。棚に向かうと、左手で持った建水を体の正面で右手も受けるようにして、両手ですっと棚の下に入れる。手がかりを残すように、全部入れない。また、置くようにするのではなく、すっと押し込むようにする。

その後風炉に向かい、清めるなど、平手前と同じ。

 

花入は、唐津の中里太郎衛門さんの徳利でした。花は芍薬

お軸は、「天上大風」です。調べると、良寛さんの筆として名高いようです。

 

 

お休みなさい。吹雪でした。

茶道の話 石洲流 54〜58 備忘録 【茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術 展覧会感想】

どうもこんばんは。吹雪です。

久しぶりにブログを更新しようと思ったら、前回の投稿は2月ですよ! 月日が経つのは一瞬だよ!!

 

書くことはたくさんあるんです。書く時間も、ないわけではない。ただ、優先順位が他に行ってしまっています。子育て、リフォーム、原稿、etc.

 

さて、今回、備忘録とは言いながらお稽古のことではなく、

タイトルにある「茶碗の中の宇宙」という展覧会の感想と、

お茶の家元が最近計画していることを書きます。

 

茶碗の中の宇宙展、ご覧になった方はいらっしゃいますか。

 

いやあ、想像以上に楽しめましたよ。

 

やはり、長次郎。この方の作品はとっても良かった。長次郎は楽茶碗はとても上手なのに、大皿はそんなに上手いとは思えませんでした。ろくろをうまく使えなかったから、手びねりで作ったのではないかとさえ思いましたが、きっとそんなことはないのでしょう。

 

長次郎作の中でも、目を奪われたのが、万代屋黒でした。

 

例えるなら、デスクトップ型のMacです。後ろが絶妙な角度で削ってあって、画面が平面に見えるアレです。

高台脇が絶妙なバランスで削られていて、落ちた影がうまく高台を隠し、まるで宙に浮いているかのように見えました。特に腰から胴にかけてグッと立ち上がった姿が、力強い存在の主張があると同時に、高台をうまく隠す錯視効果があります。この表現を可能にするためにも、腰を少し膨らませて作ってある。それによって、より一層、空中から茶碗がぐっとせり上がっているように見えるわけです。これは狙って作ってあるのだなと思いました。

この茶碗を畳においたらどうなるのだろうと、たまらない魅力を感じます。

 

お茶の大切な要素の一つに、「意外性」があると思います。例えば、季節に気づくときは、誰もがその季節の訪れの「唐突さ」に驚き、嬉しく思うはずです。「急に暖かくなった」「急に梅雨に入った」などなど。

お茶の中で季節感と向き合うことは、意外性を感じさせるものに気づき、その力を借りて演出することでもあると思います。

 

さて、長次郎の茶碗、畳の上に置かれてみると、きっと意外性があり、日常を超越する力を感じられるでしょう。

それは、お茶や道具の本質と向き合った結果として生まれたのだろうとなと思い、すごいなと感嘆した次第です。

 

さて、もう一つの話題です。

最近、お茶の家元から、「初音ミクにお点前をしてもらおう、吹雪さん、初音ミクを実体化するよう頑張ってください」と言われています。

 

 

この過疎ブログをご覧になった方、お力をお貸しください。

 

・スクリーンに初音ミクを投影することができる技術者

初音ミクのモーションが作れる技術者

初音ミクの動きと音楽をリンクさせられる技術者

 

を切実に求めています。

初音ミクのお点前が飲みたい、そのために力を貸します、という奇特な方は、ご一報ください。

僕と同じで、ボランティアでの仕事になるでしょうが、ミクさんのお茶を飲めるのは、きっと他にありません。

 

おやすみなさい。吹雪でした。

茶道の話 石洲流 50、51、52、53 備忘録 

こんばんは吹雪です。

忙しくて備忘録を書けずにいました。こんなことではいかん!と思いつつ、できる範囲でやります。

今日は新しいことも習いました。

 

前回と今回の記録。

前回は筒茶碗の扱いを習う。

筒茶碗は茶筅を逆向きに仕込む。茶巾も反対側に仕込む。

持つときは、右手で上からもち、左手に持ち直して、右手でおくようにするのが基本。(※確認しておく)

茶筅通しをした後、茶巾で拭う手順が違う。

※まず底を巾の字を書くようにして清め、そのあとに輪っかを外側にして茶巾を茶碗にかけ、3回まわして清め、茶巾を正面に向けて、すっと抜き、そのまま建水の上で絞る。

(※確認しておく)

後の手順は他のものと同じ(だったはず)

お軸は、「茶」の一文字のみ。「心静かに茶を楽しむ」という文言も書かれてあった。石州流らしいお軸で、感動。

 

 

今回は桑小卓の手前。

飾り付けがまず違う。

撮影許可をもらったので写真を載せます。

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下の棚に建水が入っています。建水には蓋置きが入っています。

まずは茶碗だけを持って入室。茶碗だけを持つことになり、入室は1回だけなので、道具畳の前で座り、道具畳の中に茶碗をおく。襖に向き直り、閉める。茶碗持って立ち上がり、棚の前へ。

丸卓と同じように左ヒザのあたりに茶碗を仮置きにする。

ここでまずは右手を手の甲を上にして、建水を押すようにして、同時に左手で少し掴んで引くようにして取り出す。そのまま左手で建水の位置に置く。

柄杓を右手と左手で掴み持ち上げると、左手を外して右手だけで棚の内側から取り出すようにする。その後、左手で受け、そのまま建水の上に置く。

右手で薄茶入れを取り、置き合わせの位置に置く。その後茶碗も置く。しばらくは平手前と同じ。

拝見の挨拶の後、柄杓と蓋置きを建水に置き、薄茶器と茶杓を拝見に出す。その後、棚に向かって、柄杓と蓋置きを飾りつける。

建水だけ持って退出する。次は茶碗を持って退出する。このとき、建水の水を捨てて、飾りつけるために建水を持って入室する。建水を持って入室し、ふすまを閉めて、棚に向かう。棚に向かうと、左手で持った建水を体の正面で右手も受けるようにして、両手ですっと棚の下に入れる。手がかりを残すように、全部入れない。また、置くようにするのではなく、すっと押し込むようにする。

その後釜に向かい、清めるなど、平手前と同じ。

 

今日のお菓子は、京都の宝泉堂さんの加茂葵という、ハート型の(葵の葉っぱなんでしょうけど)、大納言小豆のお菓子でした。バレンタインぽいなと思いました。

 

お軸は、「光」の一文字のみ。慈光院の和尚さんが書いたとのこと。春に向かう気持ちを感じます。光に向かい、春に向かう。卒業シーズンも近いですし、良いではありませんか。
もう少し味わって拝見したかったです。

卒業という単語が出たということで、初音ミクの「旅立ちの日に」を紹介して終わります。


旅立ちの日に - vocal : 初音ミク(V3)

 

 

【感想】 幸福な職場 【きたむらけんじ】

たむらけんじさん作・演出の「幸福な職場」を観てきた。小技も効いて、笑いあり、涙ありの充実の2時間だった。

 

2009年から演出やキャストを変えて繰り返し上演されているらしい。それも納得する(安定の)クオリティだったし、これからも上演を続けて欲しい内容だった。知り合いに電話して勧めたいくらい。つまり、大満足。

 

というか、このお芝居、社員研修で観せたらいいんじゃないの。

それくらい、今の日本に必要だと思うし、時流に求められていると思う。2009年よりも、ダイバーシティが声高になって、長時間労働是正にようやく動き始めた今の方が。

人事の皆さん、まだチケットが多少残っているそうですから、上演中にぜひどうぞ。

 

 

さて、以下、ネタバレを含むかもしれない感想を30分1本勝負で書く。

 

 

 

 

 

私は障がい者と普段あんまり触れ合う機会がないから、彼らのことをよく知らない。

だから手術をして子どもを産めない体にするという話は地団駄踏みたいくらいショッキングだったし、月に好きな人の顔を描いているという、可愛らしい素敵な手紙にも感動する。空に月があって本当によかった。

 

この作品を観て、障がい者の彼らが救われるストーリーを、現実でも期待する人は少なくないだろう。私は1週間ぐらい、誰にでも優しくできそうな気持ちになった。

バッハのマタイを聴いた青年が、「善良な人間になりたいと思います」と感想を言い、バッハはたいそう喜んだそうな。私もそんな気持ちになった。これは芸術の力である。

 

 

こんな風に素直に感動して心あたたまる作品だったのだが、このお芝居は「障がい者」を扱っているからこそ、メッセージ性を持てたのか、というと、たぶんそうではない。

この作品、働く喜びと人は何のために生きるのかを描いていると同時に、なぜ働きづらくなってしまうのか、それも丁寧に描けている。

この働きづらさって、障がい者の人に限らない。その指摘が、さりげなく鋭い。

 

私が印象に残ったのは、会社で働くことはとりもなおさず、「自分たちのルールに従え」という命令から始まってしまうのだ、ということ。

そりゃそうだ。

チョークを作るためには、会社が研究の末に編み出したカルシウムと接着剤の配合比があるし、機械で練り上げる時間も分単位で決まっている。

作業手順も、道具も機械も、すべてもう出来上がっている。その中で、働いている人たちは現在の最適解を実現していると信じ、ルール化している。

そのルールが決まったのは、暴君や専制によってではない。合理性だ。だからこそルールに従うのは当然で、従えない人にはご退場いただくしかない。というかそんな人、そもそも採用できない。

 

 

でも、これって、いろいろ暴力的な前提に立っているのではなかろうか。それに、なんだかとっても不幸なことではなかろうか。

そんな問いをこのお芝居は突き付けている気がするのだ。ちょっと難しく言えば、『アンチ・オイディプス』で統合失調症患者が人間性を再定義すると予言したように。

 

 

富士ソフト企画という会社に取材に行ったことがある。その会社は障がい者雇用が9割以上の会社だ。身体障がい者から精神障がい者まで、いろんな人が働いている。目が見えない、耳が聞こえない、自閉症で他人に共感しづらい、そんな人たちが一緒に働いている。

 

彼らの話を聞いて、魂が震えるくらい衝撃を受けた。彼らは自分たちがコミュニケーション可能だという前提に立っていないから、かえって良いコミュニケーションが取れていると言う。

そして、お互いの得意不得意を理解しているからこそ協力でき、能力を発揮でき、企業として成長し続けられるそうなのだ。それだけでなく、病気も少しずつ良くなっている。

しかも、彼らは健常者の助けを借りない。自分たちで、チームの最適な運営を考え出している。

 

私たち「健常者」は、意思疎通できて当たり前、価値共有できて当たり前、という前提に立って物事を進めている気がする。というか、インタビューしていて自分自身がまさにそうだと気づき、目からウロコが100枚くらい落ちた。

そういう前提に立っていると気づかないほどに当たり前になっているけど、思ったほど物事って、そううまく進まないよね。

個人の能力を最大に引き出し、コミュニケーションを十分に取るのって、「健常者」にとっても本当に難しい。

かといって、コミュニケーション取れない、ルールを共有できないという前提に立つのって、はっきり言って面倒くさい。丁寧に付き合った方がいいとわかっていても、怒りたくなる時がある。

 

この面倒なことを削ぎ落とし、相手がどんな人間なのかも削ぎ落としてきたのが日本の労働環境だとも思う。まあ、仕方がないことなのだけど。

 

でも、この作品でも描かれているように、やはりダイバーシティが達成されている会社って、強い。

人に合わせて仕事をデザインすると、作業が効率化されるし、発想も多様性が出てくるし。やっぱり、幸福な職場が会社を強くするのだなと思う。

 

ところで、ここのところ、人事が採用にあたって重視する能力の筆頭が「コミュ力」だそうだ。ずっとトップを独走中らしい。

 

人事の考えていることが、「会社のいうことをとにかく聞け」という隷従を求めるものではなく、「お前ととことん向き合うから、理解しよう、伝えようと懸命になってくれ」というものであってほしい。

学生諸君には、「どうやら会社は君とじっくり付き合いたい、ということらしいぞ、どうやら会社も変わってきたようだな」とポジティブに解してほしい。

そう願うばかり。

 

まあ、上記のようなことを考えて、ハートフルだけど、まさに今見るべき社会性もしっかり持った作品だと、吹聴したい気持ちになったわけである。

 

法律は数学(数字)ではなく文学、というセリフも良かったなあ。

 

「鬼のパンツ」について

娘が9ヶ月になり、日に日に自由への衝動が彼女の中で大きくなっているのを感じている。

例えばオムツ。

オムツを一度脱がしたら最後、二度とつけさせまいと暴れること暴れること。身をよじって泣いて、とことん抵抗する。仰向けに寝かせようとするのだが、ブリッジをして脱出を図る様は、レスリングの大会に出場させたいほど。娘のたくましい姿に、父は嬉しい。

 

そんなピンチにあると助かるのが、娘があっけにとられるほどの「気を引く」アイテム。

今は、スイッチを押すと童謡が流れる絵本がそれだ。娘の動きがぴたりと止まる。

 

その童謡の中に、「鬼のパンツ」があった。それはこんな歌詞。

 

 

鬼のパンツはいいパンツ

虎の毛皮でできている

10年たっても破れない 強いぞ

履こう 履こう 鬼のパンツ

履こう 履こう 鬼のパンツ

みんなで履こう鬼のパンツ

(正しい歌詞は最後に載せる)

 

 

やたら鬼のパンツを推してくるな、と思った。

なかなかの営業力である。

なんたって、鬼のパンツをみんなで履いた後のことは考えていない。

虎が何匹必要か、絶滅しそうになっていることも考えていない。

パンツを脱がされる鬼のことも考えていない。

 

パンツさえ売れれば良い。

この絶対かつ唯一の目的。

 

もう一度繰り返そう。

パンツさえ売れれば良い。

 

この極めてシンプルな目的を追求する人間がいる。

その思いを歌詞にした人間がいる。

 

ゾッと背筋が寒くなった。

そんな狂った人間がいるものかーーいないと信じたいーー。

そこでふと、気がついた。これはパンツの歌ではないのではないか。

 

虎といえばインド。

鬼といえば西洋人。(昔の日本人が長身の西洋人を鬼と捉えたという俗説だけど)

その西洋人のパンツを奪う歌。

 

つまり、アジアを侵略した西洋人からアジアを解放して、

自由をわれわれの手に取り戻そう!

そういう歌なのではないかーー。

いや、まさか、そんな、バカな……。

しかし、それ以外、考えられない……。

 

そんなことを考えていると、いつも以上に真剣で厳かなオムツ交換の時間であった。

 

 

鬼のパンツは いいパンツ
つよいぞ つよいぞ

トラの毛皮で できている
つよいぞ つよいぞ

5年はいても やぶれない
つよいぞ つよいぞ

10年はいても やぶれない
つよいぞ つよいぞ

はこう はこう 鬼のパンツ
はこう はこう 鬼のパンツ

あなたも あなたも あなたも あなたも
みんなではこう 鬼のパンツ

 

茶道の話 石洲流 48&49 備忘録 

こんばんは。

今月に入り、炉の点前となりました。予習していたものの、緊張いたします。また、前回はそれなりにできたものの、今回茶筅を洗うのを飛ばしてしまいました。これからも緊張感を持って臨みたいと思います。

 

ご指導いただいたポイント。

前回は炉縁を拭くときに、二つ折りにしていた。正しくは三つ折り。

今回は座っているときに移動する際、膝から動くようにとのこと。

自分で気づいたことだが、勝手口から入るときに窮屈な思いをしていたが、手を少し狭めて、小股で歩けば良いことに気づいた。また、先生のお点前は流れるような自然な動きだったので、もう一度自分の動きをよく考えること。

 

お菓子は今回は紅屋さんのゆずの饅頭がありました。

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これが大変美味しかった。

中がゆず風味の白餡で、ひやっとした冷たさがありました。これはお菓子が冷えていたからとかではなく、砂糖と冷涼感とゆずの清涼感が合わさってできたものだと思います。この冷たさが、冷たい冬の外気にさらされているゆずを想像させ、なんとも食べ応えのあるものになりました。寒い外気に耐えたゆずを、お風呂に浮かべる贅沢もすぐに連想され、季節をよく感じました。

 

お茶碗は、前回は今千春さんの新作、今回は瑞峰さんの萩焼でした。

萩焼、前から欲しいと思っているのですが、いいものとそうでないものの差があり、いいものになかなか出会えないため、いい萩焼を見ると羨ましくなります。

今回は、土の複雑な組成や釉薬のかかり具合、土の厚み(微妙に薄い)、思い切りを感じる大きさ、肌あい、竹節高台、梅花皮(カイラギ)など、どれも良かったです。

茶碗の特徴の中で、先生が井戸茶碗の特徴を教えてくださいました。他のサイトも参考にまとめてみます。

1.枇杷色の釉が高台まで全体にかかり土見ずになっている。

2.茶だまりに、器を重ねて焼いた跡である目跡がある。 

3.胴部に、井戸四段・五段などと呼ばれる轆轤目がある。

4.高台脇の釉薬が粒状に縮れて固まった梅花皮(カイラギ)がある。

5.高台内側の削り痕の中央部が突起をなしている兜巾がある。

6.高台の脇を箆などで削り取る脇取によって高台が竹の節に似ている竹節高台となっている。

井戸茶碗、無名だけれども味のあるもので、安いものがあれば、と思うのですが、そうもいかないんでしょうね。

 

お軸は前回は「万里一条の鉄」です。

今回は、「閑座聴松風」です。

前回は先生のお軸。今回は、多分裏千家さんが掛けていたお軸です。

万里一条の鉄は石州流らしいですね。

 

それではおやすみなさい。吹雪でした。

【いまさら】 君の名は。 【感想】

こんばんは。吹雪です。

今日、池袋のレイトショーで、映画「君の名は。」を観てきました。

いまさらですよ。やっとですよ。でも、空いていてよかった。

空いていたとはいえ、そこそこ人も入っていたし、まだ人気があるのだなと感じました。

 

さて、ネタバレも含みますが(ご注意ください)、感想を書きたいと思います。僕と同じように感動した人が、共感してくださったら幸いです。

 

 

 

 

 

劇中に、隕石が落ちて災害で人がたくさん死んだ、しかもそれが3年前である、という話が描かれます。

事故当時の新聞記事やニュースや写真集としてまとめられている情報を、主人公の瀧くんは、焦燥感を持って漁ります。

彼の姿に自分を重ねて、3・11を連想した人も多いと思います。

僕も、テレビやラジオのチャンネルをあちこち合わせ、その後の情報をかき集めながら、圧倒的な無力感と悲しみを感じた、生々しい感情を思い出しました。

 

 

その悲しみや混乱に対する、一つの応えが描かれていたなと思いました。

 

 

悲しみや混乱は、「もつれて」いることです。

糸がこんがらがり、絡み合って解けなくなってしまう。そのごちゃごちゃした複雑さです。

どれだけこんがらがっても、糸はつながっている。たとえ、もつれて切れてしまっても、その切れた糸は、また結び目を作ることができる。

この繋がりつつ絡み合い、重なり合うのが、劇中の時間軸の複雑さとイコールで繋がります。今現在の日本も、いろいろ面倒なくらいごちゃごちゃしている。でもそれは、劇中の図式を借りるなら、ごちゃごちゃするほどに存在が重なり合い、隣接しているということ。だからこそ、その底には人を思う気持ちが強くあって、奇跡が起きるのだということかなと。

 

世界は美しい。そして、人を思う気持ちは、信じるに値する。

 

それが本当によく描けていた映画でした。

帰り道、以上のようなことを考え、うおおおんと泣きながら帰りました。特に作品解釈などではないので、ふーん、くらいに受け取ってやってください。ユリイカ新海誠特集をやっているようなので、評論はそういうものに目を通してから(やりたくなったら)やります。

 

 

映像がとっても綺麗でしたね。現実よりもリアリティがあるなと思いました。実写のようでいて、実写ではこうはいかない美しさです。細田守がポストジブリだとすると、ジブリのようなアニメらしさとは違う方向で、世界の美しさとその秘密に触れていると思いました。その意味で、実写よりもリアリティがあるなと。

ちなみに、今回改めて、細田守新海誠の笑う時の口の開け方が違うなと思いました。人の書き方などに無理やデフォルメがなく、リアリズムがありますよね。(アニメであることには変わりないのですが。また、どちらがすぐれているという話ではないです)

 

ほしのこえ」の時でもそうでしたが、遠い誰かに対する呼びかけが新海さんのテーマになっているのでしょうか。興味深いです。

 

また追記などするかもしれませんが、この辺で。